クリスマスから過ぎてしまいましたが、『従姉が里親で先生で初恋相手になった』でクリスマスのssを書きたくなったので書きました。
久々に彼女たちのお話を書けて楽しかったです。
『いつかといまのメリークリスマス』
※時系列:付き合って最初のクリスマス
太陽は曇天に蓋をされていて、朝からずっと鼠色の空が広がっていた。いつ雪が降ってもおかしくない気温と寒々しい景色が、いっそう気力を削いでいく。
こんな巣ごもり日和なら、人間からこたつむりに退化することを選ぶ。
けれど今日だけは例外だ。
身を切るような木枯らしに顔を伏せつつ、わたしは目的地へと向かっていた。
モールに近づくにつれて人の往来が激しくなってきた。
広大な駐車場は屋上を残して『満車』と満空表示器が赤く光っている。
記念日の特別性が薄れた現代でも、街灯に群がる虫のごとくクリスマスには引き寄せられてしまうものなのか。
街路樹や外壁に巻きつけられたイルミネーションの輝きが目に入り、ようやく気分が上向きになっていく。
クリスマスってのはやっぱ、カラフルでキラキラしていないと。
子供心をくすぐられている己の単純さに苦笑しつつ、わたしは一階にある洋菓子店へと歩いていった。
「予約していた光岡と申します」
「畏まりました。少々お待ちくださいませ」
予約者専用の受取窓口で、スマホから注文番号を提示する。購入窓口が分かれていて助かった。
隣の通常窓口はずらっと列が続いていて、行列整理用のベルトパーテーションが設けられている。大半が家族連れで、歩き始めたばかりであろう幼児の姿も見えた。
どの子も背筋をぴっと伸ばし、黙ってお行儀よく足を揃えていた。
待ち時間に疲れ、スマホを弄りだしたりだるそうに姿勢を崩している大人たちとの差に不気味さを覚える。
DBがVBの出生率を上回った今でも”大人に都合が”良い子への違和感には慣れそうもない。
『ケーキ持つ、持つのっ』
『ダメだよ、彰子にはまだ重いでしょ』
『おもくない、持って帰れるもん』
かつての黒歴史がぼんやりとよぎる。
たまに、そういうことがある。長らく忘れかけていた記憶が、鍵となるものを見たときに外れて呼び起こされるのだ。
ケーキは特別なときにしか食べられなかったから、とくに印象深く結びついているのだろう。
わたしは駄々をこねればなんでも我儘が通ると思っていた。そのうえ背伸びしたがりで、はじ◯てのおつかいみたいに重いものを持って褒められたかったのだ。
わたしのギャン泣きに母も店員さんも呆れ返って、仕方なくホールケーキの箱がおさまった手提げ袋を渡してしまう。
まだ体幹筋が未熟な幼児に、自分の腰くらいまである袋を安定維持できるかは火を見るより明らかで、わたしは持った瞬間に箱を傾けた。
当然、揺らされまくったケーキは家につく頃には無惨な姿に変わり果てていた。
スポンジはずれてクリームは潰れて、綺麗に盛り付けられていたであろう苺は地震で物が散乱した部屋みたいにゴロゴロ転がっていた。
口で言ってもわからんなら、痛い目を見せて学習したほうが早いと母は割り切ったのだろう。それ見たことかと冷淡な目でわたしを一瞥して、黙々と崩れたケーキを切り分ける。
クソガキのわたしは非を認めずこんなぐちゃぐちゃ食べたくないーだのぎゃーこら喚いていたけど、家族は我関せずとばかりに無言でケーキを口に運び始めた。
足りていない当時の脳みそでも、かちゃかちゃと鳴る無機質なフォークの音に威圧感があったことだけは覚えている。
後にも先にも、あれより気まずいクリスマスはないだろう。
ケーキを揺らさないように、保冷剤を多めに入れてもらった袋を両手で持って歩く。
店内で見かける子供は相変わらず、お人形さんみたいに整ってて大人しい子ばかり。小太りで白いおヒゲの、いかにもサンタな着包みをかぶった店員が手を振ってもきゃーきゃーはしゃいだりしない。
近年サンタを装った犯罪者が増えてるって聞くし、この世代はあらゆる子供だましが通用しないのかもしれない。
……けれど。二度とあの頃には戻れないからこそ、無垢ないまを大人は楽しませたいと思う心だって持ち合わせているわけで。
かしこさと引き換えに子どもの成長を見守る楽しみが減ったことは、果たして親にとっては良かったのだろうか。
余裕がない現代だから、我が子を嫌いにならないためにDBを選択したのだろうか。
なんて、歯止めが利かなくなった科学の進歩を憂う。
極寒の外を歩く足取りは重い。
腹に入れば見栄えなんていいやと良くも悪くも鈍感になった今も、わたしは慎重すぎるくらい支える腕に力を入れて、のろのろと帰路を行く。
誰かに見せつけるかのように。
サンタクロースをいつまで信じていたかって問いに答えるなら、わたしはアホなことに高学年まで騙されていた。対人関係がアレすぎて同世代との情報共有が皆無だったのもある。
律儀に靴下吊るして9時には床について、不法侵入しやすいように部屋の窓の鍵を開けておいて、毎年来訪を心待ちにしていたのだ。
我が家のサンタは必ず来てくれた。25日の朝、廊下に出るとプレゼントが毎年置いてあった。
希望していた物と違う年のほうが多かったけど、”いる”と認識できたことの喜びが上回っていたのでなんでもよかったのだ。欲しいものは誕生日かお年玉で解決できるのだし。
わたしが例の事件を起こして施設に行くまでは。
当時のわたしは、来てくれなかった初めてのクリスマスを『もうそんな歳じゃないから』だと解釈した。
大笑いしたアスカに正体をバラされてから、嘘を吐かれていた落胆よりも重く苦い後悔がようやく湧き上がってくる。
わたしは、悪い子になってしまった。
だからサンタの夢は見られなくなって、捨てられた現実を見せつけられた。
きっと、昔の光景がフラッシュバックするのは”罪を忘れるな”と無意識に脳が罰してくれているのかもしれない。
「ただいま」
マンションの玄関ドアを開けると、ぱぁんと炸裂音が数回鳴り響いた。
は? なに、爆発?
ビビって落としかけたケーキの箱を抱きしめるわたしへと、『おかえりー』と軽快な3つの声が出迎える。
「結構遅かったけど混んでた?」
「いや自転車じゃ崩れるから徒歩で向かっただけで……」
「寒かったでしょう。仰ってくだされば、親に頼んで車を手配いたしましたのに」
「そーだよー。こっからあそこのモールって、気軽に歩いていける距離じゃないじゃん」
メタルテープが飛び出たクラッカーを片手に、三井さんと山葉さんが早く部屋に入れと手招きをする。
ふたりとも紙製の三角帽子を頭に乗せているのが妙にシュールだ。
三井さんに至っては赤い鼻と付け髭まで装備していて、サンタとトナカイがごっちゃになっている。
「ごめんね、私も気が回らなくて。自転車で行ってると思ってたよ。一緒に迎えばよかった」
「ほんとですよ。くそ寒い中ひとりで行かせて。先生としても保護者としても落第点ですぜ」
「カノジョ、が抜けてますよ三井さん」
「彰子~、いまあっためるから許して~」
小姑みたいな生徒ふたりにダメ出しされて、同居人……いやいまは同棲相手の皐月が泣きそうな顔で肩を落とす。
わたしからケーキの箱を受け取ると、凍えさせてごめんねええと声をあげて抱きついてきた。
「よーしよしよしよしよし、寒かったろう」
「まだ靴脱いでないんだけど、ってかここ火薬臭いからせめてリビングでしてくれる」
ツッコミを繰り出しながらひっつく皐月に構わず廊下を進む。
三井さんと山葉さんの視線は生暖かく、『教え子の前で盛ってましてよ』『聖夜だからって先走りすぎですよね』なんて聞こえる声でひそひそ囁いている。山葉さん、フリだとしてもスマホ構えないで。
一般的には応援しづらいであろう関係を受け入れ、素直に祝福してくれた彼女たちには感謝してもしきれない。
だんだん皐月に対して態度がでかくなってきてるような気はするけど。DBであっても、コイバナに食いつく女子の感性は残っているらしい。
『彰子はクリスマスプレゼント、なにがほしい?』
少し前に切り出された皐月の提案に、わたしは『みんなでクリスマスを楽しみたい』と答えた。
恋人であればふたりっきりの甘い聖夜を提案するべきなんだろうけど、この行事には未練があったのだ。
……というか、雰囲気をどうしても隠せない日に二人きりだと過ちを犯しそうなので。
皐月はひとつひとつ、ベタなクリスマスを叶えてくれた。
ド◯キでサンタ衣装一式揃えて、昨晩はそっと枕元へプレゼントを置くのがぼんやり見えた。いつもと筆跡を変えたメッセージカードまで添えて。物音で目が覚めちゃったから、最初は夢か幻覚かと思ったよ。
そしてリビングには、ずっと夢見たクリスマスの象徴がいくつも並んでいる。
天井まで届くクソデカツリーと、いくつも積まれたレプリカのプレゼント箱。
壁一面を飾るリースやガーランドやウォールステッカー、4人がかりでも完食は難しそうな七面鳥の丸焼き。
ガチな気合の入れようにいくらかかったんだと身震いする。
わたしのバイト代からいくらか出すよと財布を出したのに、皐月は絶対に受け取らなかった。
『いい子にいいクリスマスを迎えさせてあげたいと思うのは当然じゃないか』
一片の嘘もない晴れやかな笑みを向けられて、胸が痛む。皐月はわたしの過去を知ってもなお、罪を責めたりしない。それどころか立場と年齢的に茨の道となる、恋人としての関係を選んでくれた。
いつだって、皐月は浄化するようにわたしを包みこんでくれる。
「ローストチキンよりでかい鶏肉って初めて見た」
三井さんは興奮気味に写真を取っている。一方山葉さんは『一度だけ親戚の集まりで頂きました』と淡々と口にした。
「えー、山葉さんちってリッチ。皮ぱりぱりしてて美味しかったでしょ」
「正直に申し上げますとKFCのほうが口に合いました」
おいおい、と身も蓋もない発言にずっこけそうになる。
そこの家の味付けが不十分だったのかもしれないけど、皮から下は大味で淡白で筋っぽい肉が続いていて途中で飽きてしまったらしい。
「なので二日目以降はサラダやカレーの具に活用されておりました」
「あ、そのアレンジいいね。余ったら明日はそうしよう」
「見た目ほどじゃないんだターキーって。かぶり付きたくなるくらい食欲そそる色してんのに」
今にも七面鳥に手が伸びそうな三井さんを制止して、皐月がサイダーを各グラスに注いでいく。
わたしも着席しようとして、ふと、足が止まった。
記憶の鍵が、外れたのだ。
空白であるはずの席に、見知った小さい子供が座っていた。
牙を抜かれた虎のように、いつも下を向いて過ぎ去るのをじっと待っている。
辛気臭く近寄りがたいオーラを発していた、かつてのわたし。目の前にはたくさんのごちそうがあるのに、うつむいたまま顔を上げようとしない。自分には参加する権利なんてないと言っているかのように。
「どうしたの?」
その場に突っ立ったわたしへと、3人が怪訝そうに顔を向ける。
ううん、とかぶりを振って、わたしは泡が弾けるグラスを掴んだ。
テーブルは大きいから、着席したままだとグラスを合わせるには届かない。察した3人は同じく席を立って、それぞれのグラスを掲げる。
「それじゃ、お祝いしようか」
「めりーくりっすまーすっ」
誰かがみすたーろーれんすと付け加えて中身をこぼしそうになった。
ばらばらの抑揚とタイミングになったお祝いの声を上げて、グラスを合わせる。
口に傾けるとしゅわしゅわした炭酸がはじけて、軽やかな喉越しに高揚感がどんどん上がっていくようだった。アルコールを飲むとこんな感じになるんだろうか。
「うう……ぐにゃぐにゃして切りづらいよ……」
「あーはいはいわたしやるから」
危なっかしい手つきでケーキを切り分けようとしている皐月を見かね、代わりにナイフを取った。
皿にショートケーキを添えて、各自に配って、最後に自分の席へと置く。
いまは辛いだろうけど、かならず君のもとへサンタさんは来てくれるよ。
わたしの未来は、この先どんどん明るくなっていくから。
わたしにしか見えない過去の呪縛へと笑いかけて、残りのサイダーを呷る。
伏せていた顔がわずかに上がって、引き結んでいた唇が緩んだように見えた。