ホラー短編大得意の遠部右喬さんの、なんとも気味の悪い作品です。
「もつれ」というタイトル通り、キャラの人的つながりが、もつれまくっています。
息子を溺愛し、支配したがる母は、息子の彼女が出来たと知ると、そのバイト先に押しかけて喚き散らし、別れさせることに成功。それからも支配は強まるばかり。この支配から脱するには、僕は。。というストーリーです。
が、遠部さんのことですから、話はそう単純ではありません。途中から「あれ? どうなってるんだ?」となり、最後は、「死んだのはどっち?」っていう不可解な読後感が。。
あなたはどっちだと思いますか?
読んで確かめて下さいね。
糸のもつれや痴情のもつれ。
「もつれ」という言葉は多種多様に、人間社会において使用され、その意味合いのほとんどは「並み大抵には解決しない事」を意味しているかと思います。
此度のお話の主要人物は「母親」と「息子」。
開始早々に衝撃的な展開を迎えつつ、決してそこで終わることのない世界は、単なる「平行世界」や「夢物語」と終えるのではなく、純粋に「もつれ」からなる世界です。
けど、どっちがましだろう。
その問いかけも、当初起きた現象の答えに対してではないところが、この作品の「もつれ」たるところ。
ご一読ください。
そして、もしその「もつれ」を解く方法が見つかるならば、教えてください。
「我が目を疑う」 慣用句です。目の前で起きていることを、見てしまったものの、信じたくないときに口に出して言うもので。
人が精神を病むとき、自分が見ているものが他人のそれとは違っていると気づかなくなります。気づかないうちに歪んだレンズが目の中に埋め込まれるかの如く、見たとしても確実な事実ではなくなっていきます。
ある人物は確実に病んでいました。別の人物は違和感を抱えています。
医学では自分が病気を抱えている自覚を「病識」(びょうしき)と呼びます。片方に病識はないでしょう。もう一方は病識があります。
しかし病識を得ても即座に症状が改善する訳ではありません。更には「死にたくならないなら病識を得ていない」と慎重に語られるほどに精神の病は悲惨な現実をもたらすことがあります。
我が目を疑う能力を持つほど病識を得て、なおかつ、病から抜け出せない現実。直視するべきか、逃避するべきか。
問いへの答えを導くために、本作を読んでみませんか。
不条理な恐怖。常識が通用しない中で起こった恐怖という、逃げ場のなさが強烈でした。
主人公は「殺したはずの母」が家の中に普通にいるのを見る。幼い頃からなんでも母の決めた通りに生きて行かないといけないような状況を作られ、せっかく出来た恋人の関係まで壊された。
その後で、思い余って母を手にかけたのだが……。
それから起こった出来事が、常識の通用しない「超次元」な事態に発展していく。
霊現象などのように「自分の住んでいる世界の中での怪現象」というものならば、きっとまだ割り切れたに違いない。
でも、壊れてしまったのは日常ではなく、彼の住んでいる「世界そのもの」となっている。
当たり前とか、「大前提」となっていたような自分の世界。それが壊れてしまい、一切の常識が通用しない。
「人が生きるのは、たった一つの現実の中のみ」。その絶対的な事実が壊れてしまった中で、彼はこれからの人生をどう生きればいいのだろうか。
壊れ、歪んでしまった世界の中で、彼は今後も理性を保ちきることができるのか。存在とか理性とか善悪とか、全てを歪ませる、非常に怖い超次元ホラーです。