後編:源次郎、お前は一体なんなんだ!!

「ふむ、ちょうどいいな」


 アスミの家には入れない。老婆は別の家で暮らしているし、少年も帰って行った。腹いせに奴らを襲ってやろうかと思ったが、それは私の主義に反する。


 日が落ちる前に、私はそっと隣の家の塀へと上る。

 隣の家には、立派なイチョウの木が植えられている。


 もちろん、季節は秋。ギンナンが大量に実っていた。


「そのような結界、貧乏神の前では無にも等しい」

 私は塀の上からジャンプして、一つ一つ、丹念にギンナンを落としていく。地面に落ちるとコロコロと転がって行き、唐辛子の結界の上に落ちて行った。


 中には、アスミの家の庭先に落ちるものもあった。庭の入口にはアリの巣があり、今日も小さなアリたちがせっせと列をなして歩いているところだった。


「アリどもめが!」


 私はアリが大嫌いだ。せっせと『貯え』を続ける生き物。貧乏神としては滅ぼしてやりたい種族のナンバーワンだ。


 そうした想いを込め、執拗にギンナンを落としてやった。

 アリども。貴様らもこの臭いに苦しむがいい。





「臭っ!」

 翌日、アスミの母が玄関先で呻いていた。


「臭っ!」

 アスミも学校へ行こうとし、同じく鼻をつまんでいた。


「臭っ!」

 通勤途中のサラリーマンが、おもむろに顔をしかめていた。


 これで、万全だ。

 昨晩の内に、自転車やら車やらが何度も通った。そしてギンナンを次々と潰し、この家の前を悪臭で満たしてくれた。


 あとは、誰かが動くのみだ。

 水をかけたくなるだろう。洗いたくなるだろう。


 その時こそが、私の天下だ。





「ふむ、計画通り」

 隣の家の住人が、思ったよりも早く動いた。自分の家のギンナンが近所に迷惑をかけていると気づき、丹念に水をかけて掃除していた。


 おかげで、厄介な唐辛子は取り除かれた。

 早速私は塀の上へとジャンプし、アスミの部屋を目指す。ちょうどよく、二階の窓が薄く開かれている。不用心だと思いつつ、素早く窓枠へ向かっていった。


「やはり、この部屋は良い」


 薄いピンクの絨毯の敷かれた、アスミの可愛らしい部屋。机と本棚が隅にあり、それ以外には姿見などが置かれている。


 そして、今日は『供え物』もあった。


「これは、良いものだ」


 本棚の真上の辺りに、小さな鉢植えが置かれていた。

 香りからするとペパーミント。胸がすくような香りだ。


 これでまた、アスミを『清貧』にしてやれる。





 貧乏神が力を使うには、『ある条件』が必要になる。


 まずは、『その家に侵入する』こと。

 その上で、『その家の富となるものを、一つ咀嚼する』こと。


 だから、私はすぐにペパーミントに目をつけた。

 葉っぱに口をつけ、わずかにかじり取る。


 これで、貧乏神の力が発動する。

 アスミよ。また可愛い嘆きを聞かせておくれ。





「また、お金を落としちゃったらしいんです」

 今日も、例の少年が現れた。


 私はあれからずっと、アスミの部屋に潜んでいる。どうせ私には気づかないだろうと考え、この場で様子を見させてもらう。


 アスミは暗い表情をしていた。老婆と三人でこの部屋に集まり、立ち話をする形で状況を話し合っていた。


「昨日は平気だったのに、今日は突然手が滑ったの。絶対、あんなの普通じゃない」

「やっぱり、唐辛子が流れたせいなんでしょうか」

 少年が言い、老婆がしみじみと頷いた。


「いつまで、こんなことが続くんでしょうか。唐辛子で一時は防げたのかもしれないけれど、やっぱりそういうものを維持するのは難しいですよね。そして、アスミちゃんもお小遣いがほとんどなくなってしまったみたいだし」


「もう、うんざり。外は臭いし」アスミが言う。


「だったら、早くに手を打たないとね」

 老婆はそう言って、部屋の中をぐるりと見回す。


 笑えてくる。手など打てるものか。

 源次郎とかいう奴の霊と、私を勘違いしている。そんな貴様らに、妥当な手など打つことは絶対にできない。

 神主でも呼ぶか。だが、私はびくともしない。


「手掛かりは、あるんですよね?」

 少年も神妙に呟く。


「源次郎の幽霊がアスミちゃんを襲っている。でも、『家を離れている時』は危害を加えられなかった。これはつまり、アスミちゃんの金運にダメージを与えるためには、『相応の条件が必要になっている』とみなしていいんじゃないかと思います」


 なかなか鋭い。源次郎の部分以外は。


「話を聞いてきたんですけど、隣の家の奥さん、スーパーでお財布をぶちまけて、何割かは小銭を持って行かれてしまったそうです。昨日はこの家に入れなかった代わりに、源次郎が隣の家に危害を加えた。そう考えていいんじゃないでしょうか」


 そうだったのか。ギンナンの枝にちょっかいを出したから、その影響か。


「つまり、源次郎はもうこの家に侵入している。そして今もどこかで、僕たちの話を聞いているかもしれない」

 少年が言うと、アスミは怯えた表情を見せた。


「たしかに、その通りよ。源次郎はもう、この家の中に侵入している」

「じゃあ、『例の仕掛け』に、やはり反応も?」

 そう呟き、部屋の一点を見る。


 なんだ? なんの話をしている?


「ええ。すぐに確認した。やっぱり犯人は『源次郎』よ」


 いやいや、お前らは何を言ってるんだ?

 犯人は私だよ。この貧乏神だよ。何を真剣に間違った答えを言ってるの?


「見て、このハーブ。葉っぱの一部が食べられてるでしょう」

 老婆は鉢植えを持ち上げ、二人の前に示す。


 途端に、アスミたちが青ざめた。


「これが証拠よ。だから、源次郎が近くにいる」


 どういうことだ。


「源次郎はね。とにかくものぐさだったの。おやつはちゃんと買っておいたんだけど、部屋から下りてくるのが面倒で、それを食べにも来なかった。そんな時に、部屋の鉢植えにハーブなんかが植わっていると、おなかがすいた時にそれを食べてた」


 源次郎、何やってんだよ。


「まさに、源次郎がいるとしか思えない。間違いなく、あの子の亡霊が現れて、これを食べて行った」


 ちょっと、待って下さい。

 少し、性急ではないですか? もっと多角的に物事を見ましょう。

 源次郎もおかしいですけど、あなたたちも大概ですよ。


「だから、ここであいつを逃がさなければいい。ここでしっかりと退治すれば、これ以上アスミのお小遣いも減らないで済むようになる」


 おばあちゃん、孫が可愛いならお小遣いあげな。


「コースケくん。『例のもの』は持って来たのね?」

「はい。学校で作ってきました」

 不穏なことを言いつつ、少年は鞄の中に手を入れる。


 こいつら、何をするつもりだ。

 でも、別に構わない。こいつらにはどうせ、私のことなど見えはしない。源次郎の幽霊なんかを探し続ける限り、真実からは遠ざかり続ける。


「あとは、どこに潜んでいるか」

 三人がそれぞれ部屋の中に目を走らせる。


「それより、庭先を見てきた?」

 老婆が言い、「はい」と少年が頷く。


「ギンナンが酷かったでしょう。あれ、源次郎がよくやるイタズラだったの。道路に投げて車に轢かせて、周りを臭くしてみたり」


 またかよ、源次郎。


「そしてね。庭のアリの巣のところにやたらとギンナンが転がってたわね。まるでアリをいじめるように。源次郎の奴も、よくアリを殺してた」


 おいおいおい。

 なんか、雲行きが怪しいぞ。


 窓の方へ目を向ける。まだ隙間は開いている。

 だが、老婆がその場で窓を閉めた。


 待ってくれ、待ってくれ。

 何かおかしいぞ。


 私は貧乏神。言ってみれば、常識では捉えられない存在だ。私が行動した痕跡なんて、どんなに理屈を突き詰めたって、『答え』に辿り着けるようなものじゃない。


 こいつらだって実際に、『貧乏神』の実在にだって言及しようとすらしない。

 なのに、なんなんだ。この寒気は。


「源次郎おじさん、幽霊みたいなものなのかな」

 アスミが天井の方を見る。


「アスミちゃん、それは違う気がする。そこの葉っぱを齧っているのとか、外にギンナンを落としたのも源次郎の仕業だ。つまり、『物理的にものに触れられる存在』であるはずだ」


 まずい。何かが本当にまずい。

 源次郎とか言ってる段階で、何もかも間違っているはずなのに。


「さっきの、アリの話だけどね」

 老婆がボソリと声を出す。


「源次郎、よくおなかが空いてたのか、アリを見つけると捕まえて食べてたの。そこのハーブの葉っぱと同じでね」


 源次郎、お前は人間なのか!


「あれはなんだったんだろうって、今でも不思議。アリに対して憎しみを持ってる感じとか。アリを食べちゃうところとか、なんか、別の生き物みたい」


「じゃあ、もしかすると」少年が息を呑む。


「源次郎は、『何かの生き物』にでも姿を変えているのかもしれない。その状態で、アスミたちに変な呪いをかけているのかも」


 老婆の分析。激しく間違っている。

 納得がいかない。

 どうせ真実に辿り着くなら、ちゃんとした前提を踏んで、本気で『貧乏神』ってものに向き合ってくれ。それがセオリーってもんだろう? マナーってもんだろう?


 そんな間違ったまま、追い詰められる方の身にもなれ!


「アリを食べる。アリが憎い。そして、葉っぱも食べる生き物」

 少年が反芻し、部屋の中をじっくりと見る。


 その目がはっきりと『私』の姿を捉えてきた。


 しまった。

 全身に電流が走り、私は素早く跳躍する。


 逃げ場がない。部屋の姿見の方へ向かい、私は仕方なく飛んでいく。


 黄緑色の、小さな体。


 一匹のキリギリスの姿が、鏡に映し出されていた。





 これは、遠い昔の話。


 私はかつて、歌うのがとても大好きだった。

 来る日も来る日も、ただ毎日を楽しく過ごそうと、美しい歌声を響かせていた。


 だが、幸せは長く続かなかった。


 冬がやってくる。豊富にあったはずの食べ物も、どんどん失われていった。

 そんな折りに、私はアリたちの姿に目を向けた。


 来る日も来る日も、貯えを作ろうと働き続けていたアリたち。そんなアリたちの元へと行けば、食べ物を分けてくれるかも。そしてアリたちも美味しそうだった。


「おなかが空いているんだよ。何か、分けてくれないかい?」

 私は丁寧に頼んでみた。


 だが、奴らは冷淡だった。


「は? なんで?」


 私は閉め出され、真冬の寒さに打ちひしがれた。朦朧とする意識の中で、私はアリたちを憎んだ。そして『富』を憎んだ。『貯え』を憎んだ。


 なぜ、貧富の差が生まれるのか。富を得た者は、なぜ貧しき者に施さないのか。

 憎い。憎い。憎い。

 富を、財を、貯えを。この世から徹底的に滅ぼしてやりたい。


 そうした想いから、私は『貧乏神』となった。





「そういうことか」

 少年は鞄を開き、中のものを取り出した。


 手製のスプレー。容器の色を見て、内容は把握できた。

 唐辛子。それに木酢を加えたもの。


 自然に優しい、『手作り殺虫スプレー』だ。


 おのれ、と活路を求めて跳躍していく。

 だが、窓は閉まっていた。逃げ切れずガラスに張りつく。


 おのれ、おのれ、おのれ!


 人間たちは皆、『私の物語』を知っているはずだろう。

 あの、『貧乏神ライジング』とでも呼べる話。それを読んだ人間は、私たちキリギリスに優しくしようとは思わないのか。冷淡なアリどもに憎しみを覚えないのか。


『アリとキリギリス』


 一節では、元々の話は『アリとセミ』だったという逸話もある。だが、そんなもの私は知らない。とにかく私の話は現実にあり、そこから貧乏神が誕生した。


「こいつを倒せば、アスミちゃんのお小遣いも!」

 少年が素早く駆け、窓際の私を追い詰める。


 く、ここまでか。


 わかったよ、少年。

 もう、逃げるのはやめだ。ここは素直に運命を受け入れよう。


 私はここで死ぬだろう。だが、ゆめゆめ忘れるな。この世に富がある限り、いずれは第二第三の貧乏神が現れる。その時には、貴様は年老いて何もできなくなっているだろう。


 さあ、とどめを刺せ。勇者よ。


「あの世へ帰れ、源次郎!」


 だが、どうしても気に食わない。

 退治されるなら、せめて貧乏神として逝きたかった。


 何もかも、お前のせいだ。

 源次郎、お前は一体なんだったんだ!

                                     (了)

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貧乏神ゴーホーム 黒澤カヌレ @kurocannele

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