貧乏神ゴーホーム

黒澤カヌレ

前編:それで私を防いだつもりか?

 やっと、家に帰ることができる。


 あの住み心地の良い家。清潔感もあり、身を置いているとポカポカとした温かみもある。

 そして、『家族』がいい奴らだ。


 アスミ、と私は心の中で名前を呟く。


 早く、あの娘の元に戻りたい。今年で十六歳になった少女。あの少女の顔を見て、声を聞く瞬間が私の心を何よりも満たしてくれる。


「ああ! またお金をドブに落としちゃった!」

 とても残念そうな、ともすると泣き始めそうな嘆き。


『貧乏神』として、愛さずにいられない瞬間だ。





 ルンルンルン、と、心が躍る。


 ここしばらく、あの家はずっとリフォームというものをしていた。アスミたち家族も別の街のマンションに一時移ってしまっていて、私も仕方なく近所にある別の家へと厄介になっていた。


 だが、そこの奴らはつまらなかった。金銭の管理がルーズで、小銭がなくなっても気づきもしないし、家電製品が壊れたら壊れたで『電子マネー』とやらでポチっとやるのみ。


 その点、アスミは最高だ。お金を一円単位で大事にしてくれる。百円玉をドブに落とした時などは、取る方法がないかと一時間近くも『うーん』と悩んでくれた。


 彼女を想うと、体が軽くなる。愛しの家へ向けアスファルトの道をいそいそと進む。

 だが、気持ちは長く続かなかった。


「ぬが!」

 道路の真ん中で、私は唐突に足を止める。


『唐辛子』だった。


 私が進もうとした道に、真っ赤な唐辛子の粉末が敷き詰められている。ちょうど道の端から端へ、一直線に唐辛子の粉がばら撒かれていた。


「誰だ、こんなことをやったのは」

 忌々しい気持ちで、目の前の粉末を見つめる。


 これは、紛れもない私の『弱点』。


 私たち貧乏神は、この唐辛子という奴が大嫌いだ。これが道端に撒かれていると、その先へ進むことが出来なくなる。ジャンプして飛びこそうにも、微妙に漂ってくる香りが苦手で、体に力が入らなくなる。


 なぜ、こんなことになっている。

 仕方ない、と左右を見回し、石塀の上へとジャンプする。飛び越すまでには行かなかったので壁に捕まり、そこから勢いをつけて塀の上に到達した。


 では、お邪魔します。

 雑草の茂る中を進み、庭を抜け、隣にある道へと移動する。一体誰がやったんだか知らないが、おかげで遠回りをすることになった。


 そうして庭の門を抜け、再び道路へと戻る。


 だが、再び『唐辛子』が発生していた。


「なんなんだ、一体」

 ゾワリと、嫌な予感が込み上げてくる。


 また塀の上にジャンプして、迂回しつつ目的地を目指す。

 その先で、不審な人影を目撃した。


「さあて、こんなもんかね」

 袋に詰めた唐辛子を、道の端から端へとばら撒いている。


「これで、道を通ることはできまい」

 一人の老婆がそう言って、晴れ晴れと笑っていた。





 私は貧乏神。


 名前の通り、この世に貧困をもたらす存在だ。私は主に『家』に取り憑き、そこに住む人間たちの金運に打撃を与える。


 主に、持っていた小銭をドブに落とす。取り出した紙幣が風に飛ばされる。更に電化製品が壊れて買い替えの必要が出るなど、次々と財布の中身を目減りさせるのが私の役割。


 富が憎い。貯えが憎い。

 私はこの世界の財という財を、富という富を破壊し尽くす存在。


 そして、誰も私には気づかない。私に取り憑かれたが最後、少しずつ貧乏になっていき、欲しいものもろくに買えない生活を送ることになる。


 だが、それでいいはずだ。

 清く、貧しく。

 そんな人生こそが、本当は美しいはずだから。





 まさか、という気持ちが生じなくもない。


 唐辛子。それは、とある国では『魔除け』になると信じられている。それが邪気を祓うなどという言い伝えがあり、家の前に掛けておく風習もあるそうだ。


 だから、違っていると思いたい。

 だがこの様子を見る限り、警戒せずにはいられない。


「私のことを、認識している?」


 老婆が歩いていく姿を観察する。いったんは隣の通りへと移動し、そこから素早く相手の姿を追いかけて行った。


 大丈夫だ、と思いたい。私たちの姿は、人間の目には留まらないように出来ている。たとえ正面からすれ違ったとしても、ステルス的に通り過ぎることが出来る。


 老婆は再び立ち止まり、袋の中の唐辛子を道に撒こうとした。させるか、と素早く移動し、散布される前に道の先へと進んでやった。


 やはりこいつ、普通じゃない。


 歩く姿を見る限り、老婆の脳は正常に機能している。それにもかかわらず、道端に唐辛子を撒くという奇行を繰り返してもいる。


 そしてこの老婆、どこかで見た覚えがある。


 周囲の木々が紅葉している。秋も深まり、道路の端には落ち葉が積もる。そんな中で定期的に袋を取り出し、道を塞ぐように唐辛子を撒く。


 進行方向が同じ。老婆が足を進めているのは、アスミの家へと続く道となっている。


 その先で、建物が見えてきた。

 真っ白な外壁の二階建て。レンガ模様の塀で囲まれ、中に小さな庭がある。


 現在の、私の家。


 老婆はゆっくりと、家の玄関へと向かっていく。一階の窓のカーテンが揺らめき、直後に内側からドアが開けられる。


 愛くるしい顔の、黒髪の少女が現れる。


「おばあちゃん、お帰りなさい」

 アスミがそう言って、老婆を出迎えた。





 これはやはり、まずい事態だ。


 この家に住みつくようになってから早二ヶ月。色々な形でアスミの家の財力を削ってきた。ジュースを買おうとするアスミが小銭をドブに落としたり、バスで五百円を両替しようとしたら全部十円玉で出てきて、うまく把握しきれずに運賃を多めに払ったり、近くの店でゲームソフトを買った後、通販サイトでは千円安く売られているのがわかったり。


「ああ、やっちゃったー」

 その度に嘆くアスミの顔が、可愛らしくて仕方なかった。


 家のパソコンも壊れた。ガスコンロも壊れた。冷蔵庫も壊れた。それらを買い換えたことにより、家計もだいぶ圧迫されたことだろう。母親がスーパーで饅頭を買ってきた時には、カビが生えていたために食べられずに終わった。メーカーに電話したら新品と交換してもらえていたので、これに関しては不発だったが。


 だが、貧乏神の力は強大。私が取り憑いている家に住む限り、アスミたちは清貧への道を突き進むことになる。





 老婆め、やってくれた。

 家の周りをぐるりと見てきたが、しっかりと唐辛子を撒かれていた。敷地をしっかりと取り囲むように、赤黒い粉が散りばめられている。


 やはりこいつ、私の存在に気づいたか。


「あ、おばあちゃん。紹介するね」


 玄関のドアが再度開き、少年が顔を出す。

 真面目そうな顔の少年だった。おそらく、アスミとは同年代。老婆と顔を合わせると、ペコリと頭を下げて見せる。


「同じクラスのコースケくん。最近、家の中が変だって話したら、相談に乗ってくれて」


「何か、悪いことでも起きてるんじゃないかって。どう考えても偶然とは思えない頻度で、アスミちゃんのお金がなくなっているようだったから」


 こいつ、と私は身が竦む。


 たしかに、貧乏神の力は確かなもので、あからさまな頻度で経済的な損失が続いていく。

 だが、多くの人間はそれをただの不運だと考える。そこに貧乏神の存在が絡んでいると疑う者は、この現代ではそうはいない。


「そうね。だから今、『結界』を張ってきたの」

 老婆は少年に共感し、深く何度も頷いてみせる。


 一度、私のいる方を振り向く。だが、あえて私は動かなかった。


「何か、心当たりはあるんですか?」

 少年が問うと、「そうね」と老婆は大きく溜め息をつく。


 これは、覚悟が必要か。貧乏神の存在が察知されたと。


「間違いなく、この家には災いがもたらされている」

 老婆は家の全景を見やり、しみじみと呟いた。


「やったのは、『源次郎げんじろうの霊』に間違いない」





 私にはまだ、いくつかの防波堤がある。

 貧乏神には、人には知られていないいくつかの『特性』がある。


 まず、私たちは『秋』の季節にしか活動しない。人々は冬を越すために『貯え』というものをする。だからそれを阻害するのが貧乏神の役割だ。


 その他に、貧乏神は『家』に取り憑く。そこに入り込んで『富』の一部を傷つけてやると、そこの人間たちの金運が大きく下がる。


 ここにまず制約があり、私が家から離れてしまうと、せっかくの貧乏神の力がリセットされる。


 その点、先日のリフォームは最悪だった。アスミたちも家にいないし、私もこの家に留まれない。おかげで、色々やり直す羽目になった。





 というか、一体誰だよ。そいつは。

 この婆さん、今、『源次郎』とか言ったか?


「やはり、そういう方がいたんですね」

 少年は眉根を寄せ、老婆に確認を取る。


 現在、三人は家の玄関前に立っていた。そこで『起きている事態』の分析をする。


「あなたが話してたことを聞いて、すぐにピンと来たの」

 老婆が頷き、少年とアスミも首を縦に振った。


「まず、アスミちゃんが何度もお金を落とすとか、急に金運が下がるようなことが起こっている。その上で、家電製品が壊れる事態が頻発」

 少年が要素を羅列する。


「でも、発生したのはこの秋になってから。それまでの季節には何も起こっていない」

 意外と鋭く、彼は事実を指摘した。


「その上で気にかかるのは、先週からのリフォーム工事で家を空けている間、アスミちゃんが財布の中のお金を落とすような事態がぱったりと止まった。この事実から、やっぱりこの家の方に何かがあるんじゃないかっていう気がしたんです」


 この少年、切れ者かもしれない。


「まるで貧乏神に取り憑かれたんじゃないかって思えるような話で、何が起こっているんだろうって不思議だったんです。それで、心当たりがないかと尋ねたという次第でした」


 少年、既に答えを出しているのだが。


「そうね。あなたが話をまとめてくれたから、私もわかりやすかった」

 老婆はしみじみと目を細め、少年の言葉を噛み砕く。


「間違いなく、絡んでいるのは『源次郎』ね」


 だから、誰だよそれは。


「アスミは、小さい頃に会ったことがあるかもね。あなたの叔父さん。でも、どうしようもないろくでなしで、昼間からパチンコにばかり通ってた」


「うん」とアスミが神妙に頷く。


「源次郎は本当にどうしようもなくて、お小遣いが欲しくなると、すぐに人の財布に手を出した。ちょっとずつならわからないだろうって、私の財布から五百円とか百円をくすねることをやってたの」


「それって」とアスミが口元に手を当てる。


「そう、そっくりでしょ? 今のあなたたちに起きてることに」


 えええ、と私は耳を疑った。


「それでね、あいつは生き方が雑だから、よく家のものを壊したの。冷蔵庫だのパソコンだの。あと電気の紐を引っ張ったら、五回に一回は引きちぎってたわ。おかげで買い替えが多くなって、家計が大変だった」


 少年が目を見開く。

 何か、雲行きが怪しい。


「そして、秋になってから変な事態が起こったこと。源次郎はね、パチンコが大好きだったんだけど、同時にぐうたらだった。夏は暑いから外に出たがらないし、冬は寒いからって外に出ないし。春は花粉症があるって。それで秋だけパチンコに入り浸ったの」


 源次郎。とりあえず、ヤバい奴だ。


「以前に家をリフォームしたことがあったんだけどね。その時は、業者の人と顔を合わせるのが嫌だって言って、しばらく帰ってこないことがあった。ネットカフェとかいうところに入り浸ってたみたいで」


「それは、まさに」

 少年が自分の顎に手を当て、何度も反芻してみせる。


「そう。疑いようもない話でしょ?」

 老婆も声を低め、唐辛子の辺りを見やる。


「間違いなく、アスミたちは源次郎の霊に取り憑かれているの」





 これはこれで、良かったと言えるのか。

 少々モヤモヤするものがあるが、彼らは私の存在に気付いたわけではないらしい。


「源次郎はね、辛いものが大嫌いだった。昔、くしゃみをして唐辛子をばらまいたことがあって、その時に目にも入ったみたい。それからは唐辛子を嫌がるようになった」

 老婆はそう説明していた。魔除けでもなく、貧乏神の弱点を突いたものではなく、その源次郎とかいう奴を遠ざけるための儀式だったと。


 だが、どうも気に食わん。

 私も結局、閉め出されてしまっている。


 とりあえず、ここからは知恵比べと行こうか。

 私は貧乏神。曲がりなりにも『神』を名乗る者。


 貴様らの浅知恵ごとき、私の力でねじ伏せてくれよう!

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