第七話「みんなのずかん」
私が通っていた幼稚園では本棚に子供向けの図鑑が並んでいて、幼なかった頃の私はそれらを見るのが大好きでした。
動物図鑑や恐竜図鑑、昆虫図鑑、それに働く車の図鑑など、本当に多種多様な図鑑があって、そこに載っているものの多くは当時の私にとって初めて見るものでした。好奇心旺盛だった私にとって、それらは心躍らせるものだったんです。
そういったわけで私は、自由に遊んで良い時間になると、幼稚園の本棚にあった図鑑を片っ端から開いてはそこに描かれているものたちを夢中になって眺めるという日々を送っていました。
そんなある日、私は背表紙の色に見覚えがない図鑑が本棚にあることに気がつきました。新しい図鑑に飢えていた私は、さっそくそれを本棚から引っ張り出しました。
その図鑑の表紙には、平仮名でこう書いてありました。
「みんなのしにかたずかん」
もう少し成長した後であれば、この書名の時点で何かおかしい、普通に考えてこんな図鑑などあるわけがない――と、気づけたことでしょう。しかし年齢を考えると仕方のないことかもしれませんが、当時の私はそのおかしさに気づかず、ただ早く中身を見たい一心でページを開きました。
なにぶん幼い頃の話なので記憶も曖昧ですが、そもそも「みんなのしにかた」という言葉の意味自体、当時はきちんと分かっていなかったのではないかと思います。
しかしそこは図鑑です。開いたページには、言語能力が低い幼児にも理解しやすいイラストで、その図鑑が紹介したいものが載せられていました。
最初のページには、叫ぶように大きく開かれた口と目以外は全身真っ黒な人物が描かれていました。その真っ黒な人物の全身を覆うように、赤い炎も描かれています。
絵の横には、幼稚園にあった他の図鑑と同じように平仮名で説明文が書かれていました。
『すずきともやくんのしにかたは、しょうしです。ひとりでるすばんをしているときにいえがかじになって、ともやくんはそとににげようとしましたが、にげみちはぜんぶひのせいでとおれませんでした。ともやくんはいきたままやかれて、みてもだれなのかわからないくらいくろこげになってしにました。とてもくるしいしにかたでした』
当時の私には意味の分からない言葉も多かったのですが、なんとなく不気味なものを感じて、私は早々に隣のページに目を移しました。そちらには、一人の人間の全身に多数のネズミが群がっている様子が描かれていました。
『きたのきょうすけくんのしにかたは、しっけつしです。きょうすけくんはこわいひとたちからたくさんおかねをかりたのにかえせなかったので、こわいひとたちはきょうすけくんをうごけないようにしばってから、ちかのとんねるにすてました。ちかにはおなかをすかせたねずみがたくさんいたので、ねずみたちはおおよろこびでまだいきていていしきもはっきりしているきょうすけくんのからだじゅうをかじりました。きょうすけくんはとてもくるしんでしにました』
鈴木友也君も北野鏡介君も同じ幼稚園に通っていた園児です。しかし二人とも死んだりはしていません。……少なくとも、私がその図鑑を読んだ時点では。
私は次々にページをめくりました。どのページにも、誰かの死に方が載っていました。知っている名前もあれば、知らない名前もありました。知っている名前は全て、鈴木君や北野君と同様、同じ幼稚園に通っている園児のものでした。今にして思えば、知らない名前も恐らくはそうだったのでしょう。私は同じ幼稚園に通っている園児全員の名前を覚えているというわけではありませんでしたから。
そして、図鑑の中程までたどり着いた時、ついに私はそれを見つけてしまったのです。
「さとうまことさんのしにかたは、できしです。さとうさんはみんなとぷーるでおよいでいたときに、あしがつっておぼれてしまいました。まわりにはさとうさんのしりあいがなんにんもいましたが、みんなにやにやしながらみているだけで、だれもたすけてくれませんでした。さとうさんはみんなとじぶんはともだちだとかんちがいしていましたが、ほんとうはみんなさとうさんのことがきらいだったからです。さとうさんはみずにしずんでいきができなくなり、みんながわらいながらみているまえで、とてもくるしんでしにました。きらわれものにぴったりのとてもみじめなしにかたでした」
佐藤真琴――それは、他ならぬ私自身の名前です。そう、そこに書かれていたのは、私の死に方だったのです。
文章の意味を完全に理解できていたわけではなかったと思いますが、他のページと同じく横に文章通りの情景のイラストが載せられているということもあり、私が恐ろしい目にあうのだと書かれていることだけは幼心にも分かりました。
私は恐ろしくなり、図鑑を放りだすと、視界に入った由花子先生のもとへと泣きながら駆け寄りました。
由花子先生は驚いた様子で私を慰めながら、いったい何があったのかと事情を尋ねてきました。なにぶん幼児でしたし、恐怖で半分パニック状態でもあったので、まともな説明などできていなかったと思います。それでも由花子先生は辛抱強く話を聞いてくれて、最終的には私の言いたいことは伝わったようでした。
由花子先生は「そんな本が幼稚園にあるのは問題だ」というような意味合いのことを言って、「みんなのしにかたずかん」を回収に行きました。ところが、いつの間にかそれは私が放り捨てたはずの場所から煙のように消え失せていました。
由花子先生は、他の園児に話を聞いたり、本棚を調べたりもしました。私の話を聞いている間に誰か他の園児がどこかへ持って行ったり本棚に戻したりした可能性があると思ったのでしょう。
しかし誰もそんな本を見てはおらず、もちろん本棚にもありませんでした。
怖い夢を見ただけなのではないかと尋ねる由花子先生に対し、私が夢なんかじゃないと強く言い張ったため、最終的に他の先生も巻き込んで園全体の探索が行われました。しかし結局、「みんなのしにかたずかん」はどこからも出てこなかったのです。
周囲の大人達がやはりそんな本など最初から無かったのではないかという空気になっても私は納得がいかず、確かにその本はあったのだと頑固に主張し続けました。
そして挙句の果てに「ともやくんはくろこげになってしぬ」「きょうすけくんはネズミにたべられてしぬ」などと言い出し、友也君や鏡介君をはじめとする他の園児達を泣かせ、先生と親の両方から怒られるはめになったのです。
私があの本の話をすると大人も子供もみんな嫌がり怒ると学習した私は、やがてそれについて何も言わないようになりました。それでも、私は確かにあの本を見たのだ、あの本は確かにあったのだという確信は、私の心からは消えませんでした。
それから時は経ち、私は小学生になりました。小学校では水泳の授業がありますが、私は始まる前からそれが嫌で嫌でたまりませんでした。理由については、説明するまでもありません。あの本で見た、私の死に方です。
しかしまさか、そんな理由で水泳の授業をサボるわけにもいきません。私は内心では嫌々ながらも表向きは平気なふりをしてクラスメイト達といっしょに水着に着替え、プールサイドに立ちました。
目の前に、満々と水を湛えたプールがあります。それを目にした途端、あの本に描かれていた情景が脳裏に浮かびました。プールの中で溺れ、苦しんで死んでいく私と、にやにやとした笑みを浮かべながらそれを見ている周囲の人達の姿が、ありありと蘇ったのです。
さとうまことさんのしにかたは、できしです。さとうさんはみんなとぷーるでおよいでいたときに、あしがつっておぼれてしまいました。まわりにはさとうさんのしりあいがなんにんもいましたが、みんなにやにやしながらみているだけで、だれもたすけてくれませんでした。さとうさんはみんなとじぶんはともだちだとかんちがいしていましたが、ほんとうはみんなさとうさんのことがきらいだったからです。さとうさんはみずにしずんでいきができなくなり、みんながわらいながらみているまえで、とてもくるしんでしにました。きらわれものにぴったりのとてもみじめなしにかたでした。さとうまことさんのしにかたは、できしです。さとうさんはみんなとぷーるでおよいでいたときに、あしがつっておぼれてしまいました。まわりにはさとうさんのしりあいがなんにんもいましたが、みんなにやにやしながらみているだけで、だれもたすけてくれませんでした。さとうさんはみんなとじぶんはともだちだとかんちがいしていましたが、ほんとうはみんなさとうさんのことがきらいだったからです。さとうさんはみずにしずんでいきができなくなり、みんながわらいながらみているまえで、とてもくるしんでしにました。きらわれものにぴったりのとてもみじめなしにかたでした。さとうまことさんのしにかたは、できしです。さとうさんはみんなとぷーるでおよいでいたときに、あしがつっておぼれてしまいました。まわりにはさとうさんのしりあいがなんにんもいましたが、みんなにやにやしながらみているだけで、だれもたすけてくれませんでした。さとうさんはみんなとじぶんはともだちだとかんちがいしていましたが、ほんとうはみんなさとうさんのことがきらいだったからです。さとうさんはみずにしずんでいきができなくなり、みんながわらいながらみているまえで、とてもくるしんでしにました。きらわれものにぴったりのとてもみじめなしにかたでした。さとうまことさんのしにかたは、できしです。さとうさんはみんなとぷーるでおよいでいたときに……
誰かが耳元で囁き続けているみたいに、あの文章が頭の中で繰り返し再生されます。頭がくらくらし、足元がふらつきました。
そんな私の気も知らず、周りのみんなは楽しそうに笑っています。なんでみんな笑っているのでしょう。
ああ、そうだ。みんなが笑っているのは、私が苦しんで死ぬところだからです。みんな本当は私のことが嫌いだから、私が苦しんで死ぬのが嬉しいのです。
苦しい。息が苦しい。私はまだ、水に入ってもいないはずなのに、どうして。水に入っていない? 本当に? だってこんなに苦しい。息が、息が……
気がつくと、私は保健室のベッドで横になっていました。保健医の先生によると、プールサイドで過呼吸を起こして倒れたとのことでした。もう次の授業が始まっている時間でしたが、教室に戻る気力は湧かず、私はそのまましばらく保健室で休むことにしました。
やがて授業時間が終ると、友人が何人か連れ立って私の様子を見に保健室へとやって来ました。そんな友人達の顔を目にした時、私は真っ先にこう考えました。
『みんな、私が溺れて苦しんでいるのを笑いながら見てたくせに』
そしてすぐに、そんなことを考えた自分に驚き、自らのその思考を自分で打ち消しました。
溺れて苦しんでいる私をみんながにやにや笑いながら見ていたというのは、現実ではない。ただ、「みんなのしにかたずかん」にそう書いてあったというだけだ。
そう自分に言い聞かせました。
この時の私は、プールに対する自分の恐怖心はそのうち時間が解決してくれるだろうと思っていました。
しかし残念ながら、そうはなりませんでした。プールサイドに立つ度に、最初の時と同じ様に自分が溺れ周囲の人間がそれを笑いながら見物している情景が脳裏に浮かび、私が足が竦んで動けなくなったのです。ひどい場合は、最初の時と同じように失神することすらありました。
脳裏に浮かぶ情景はプールサイドに立つ回数が増えるごとに薄れるどころかむしろ強化され、より生々しく現実味をもって現れるようになりました。
やがて私は、プールサイドに立つことすらできなくなりました。学年が上がっていっても、それは変わりませんでした。
なぜそんなにプールが怖いのか、過去に溺れかけた経験でもあるのかと友人達に何度か尋ねられましたが、本当のことは言えませんでした。幼稚園の時に「みんなのしにかたずかん」の話をしてみんなに怒られ嫌がられた経験から、私にとってあの本の話は口に出してはいけない一種のタブーとなっていたのです。
また、もし本当のことを言ったら、『真琴は、私達が溺れてる友達を笑って見殺しにするような人間だと思ってるんだ?』と気を悪くされ、嫌われてしまうのではないかという恐怖もありました。
みんなに嫌われてしまったら、溺れた時に誰にも助けてもらえません。嫌われ者にぴったりの惨めな死に方をすることになってしまいます。そう思うと、あの本のことは怖くて誰にも言えなかったのです。
この頃には、私はあの本は“くだん”のような存在だったのではないかと考えるようになっていました。
小学校に何年かいれば、図書室に置いてある怪談本を読む機会もあります。不吉な予言をしてその直後に死ぬ“くだん”という人面牛の話は、そのうちの一冊に載っていました。それを読んだ時、不吉な予言が載っていて私が見た直後に消えたあの「みんなのしにかたずかん」も、似たような怪異の一種だったのではないかと、私はそう思ったのです。
四年生に上がった時、一人の転校生が私のクラスにやって来ました。安東愛理ちゃんというその転校生は少し変わった子でしたが、帰る方向が同じということもあり、私はすぐ仲良くなりました。
ある日の帰り道、私はその愛理ちゃんから、いつも水泳の授業に参加していないのは何故なのかと尋ねられました。
泳げないから低学年用の浅いプールで別に授業を受けている子や体調不良で時々休んでいる子はいましたが、私のように常に休んでいる児童は他にはいなかったので、疑問を抱くのも無理のない話です。そうはいっても、当人に向かって直接ずばりと聞くのは少しデリカシーに欠けるように私には感じられたのですが、愛理ちゃんは良くも悪くもそういうことに頓着しない性格でした。
いつもなら適当に誤魔化す私でしたが、この時、ふと愛理ちゃんにであれば本当のことを言っても大丈夫なのではないかと思いました。
愛理ちゃんは世の中を斜めに見ているところのある捻くれ者で、彼女自身が性悪説論者的なところがあったため、私が溺れた時に友達に見殺しにされるのではないかと恐れていると知っても特段気を悪くしないのではないかと思ったのです。
私は幼い頃に幼稚園で「みんなのしにかたずかん」と出会ったこと、それが忽然と消えてしまい、誰にもその存在を信じてもらえなかったこと、自分があの本によって予言された通りの死に方をしてしまうのではないかと恐れていることなどを全て話しました。
「それで、誰か本当にその本に書かれてた通りの死に方で死んだ人はいるの?」
私の話を一通り聞き終えた後、愛理ちゃんは首を傾げながらそう言いました。
「私の知ってる中ではいないけど……。でも、引っ越しちゃった子とか、学区が違ったりお受験したりで違う小学校に行った子とか、今どうしてるのか分からない子もけっこういるし。それに、あの本に書いてあったのはどういう死に方をするかだけで、いつ死ぬかまでは書いてなかったもん。もしまだ誰も死んでなかったとしても予言が外れた証拠にはならないし、安心なんてできないよ! 北野君の死に方とかは、どう考えても大人になってからの話だし」
私は大真面目に言ったのですが、愛理ちゃんはそんな私の返答を聞いて苦笑しました。
「もうちょっと冷静に考えなよ。証拠とか言うなら、そもそもその本が未来を予言してるって証拠の方も無いでしょ」
「だって、確かに私は見たのに、先生達が探してもどこにも無かったんだよ? 勝手に消えるような本が普通の本なわけないじゃん!」
「それさぁ……その先生達の中に犯人がいるんじゃないの?」
「えっ……?」
愛理ちゃんの口から出た言葉があまりにも予想外だったため、私は一瞬、思考が停止しました。
私にとって「みんなのしにかたずかん」は、人の死を予言するだけして姿を消す怪異であり、人知の及ばぬ存在でした。人知の及ばぬ怪異たる「みんなのしにかたずかん」と、「犯人」という言葉が、頭の中でうまく結びつかなかったのです。
そんな私の戸惑いに頓着せず、愛理ちゃんは話を続けます。
「まだ幼稚園児だった佐藤さんは何があったのかをうまく説明できなくて、由花子先生って人は辛抱強く話を聞いたって言ってたよね? ってことは、佐藤さんがその本を放りだしてから、その由花子先生が佐藤さんの話を理解して本を探し始めるまではけっこう時間があったってことになる。その間に、他の先生の誰かが本をこっそり回収して自分の鞄の中にでも隠したんだとしたら? それなら、怪異なんてものを持ち出さなくても、その本が消えてたことに説明がつくよね? それか、由花子先生自身が実は犯人で、探すふりをして隠したってパターンもあるかもね」
「え、ちょっと待ってよ」
私は混乱しながらも問い返します。
「なんで先生があの本を隠すの?」
「なんでって、それはもちろん、その本を作ったのがその先生だからだよ」
愛理ちゃんはなぜそんなことが分からないのかといった調子でそう答えますが、その返答を聞いても私はわけが分からないままです。
「先生がそんな本なんて作るわけないじゃん! 作る理由が無いよ」
「理由が無い? 本当にそうかな?」
愛理ちゃんはにやりと笑いました。
「幼稚園にしろ小学校にしろ、先生になりたがる大人って自分達が子供だった頃のことをすっかり忘れたり美化したりして『子供はピュアで可愛いもの』みたいな幻想持ってる人がいるからねー。でも現実の子供なんて、ろくでもないことばっかする可愛げの無いクソガキじゃん?」
愛理ちゃんは自分もまだ小学生だというのに、まるでもう大人になったかのような口振りでそんなことを言います。
「理想と現実のギャップでストレス溜め込んで、こいつらみんな死ねば良いのって思うようになった人がいてもおかしくないでしょ。それか、モンペにクレームつけられたりタワマンママみたいな保護者にマウンティングされたりとかして、こいつらの子供が無惨な死に方して絶望すれば良いのにって思ったりとかね。
でももちろん、本当に殺したりするわけにはいかない。そんなことしたら、刑務所行きだもんね。だからせめて自分の妄想の中ではひどい死に方をさせてやろうって思って、その本を作ったんじゃない? ほら、いじめられっ子が作る復讐ノートみたいな感じでさ。
で、仕事中の隙間時間に書いてた時にうっかり他の先生に見られそうになったから慌てて手近にあった本棚に突っ込んで隠した。後で回収するつもりでね。だけど、運悪くその前に佐藤さんがそれを見つけて読んでしまった――真相はそんな感じじゃない? あ、園児用の本といっしょに本棚に入れてあったのはわざとだったって可能性もあるか。むかつくクソガキにトラウマ植え付けてやれ~みたいな感じで」
そこまで説明されてようやく頭では理解できるようになりましたが、心の方はまだ愛理ちゃんの話を受け入れられませんでした。
私は、先生達の顔を思い浮かべました。
歌が上手でおしゃれだった佳織先生、気弱だけど絵や工作が得意だった日和先生、どんな問題も落ち着いて解決してくれた頼りがいのある園長先生、それに、私が一番大好きだった由花子先生……。
あの先生達のうちの誰かが、そんなことをしていた? とても信じられる話ではありません。
「先生達の中にそんなことする人がいるはずないよ。愛理ちゃんは先生達のこと知らないからそんなこと言えるんだろうけど、みんな優しくて子供好きだったもん」
私は思ったままのことを言いましたが、愛理ちゃんはやれやれ分かってないなぁと言わんばかりの顔で苦笑しました。
「そりゃ向こうだってビジネスなんだから表向きはそういうふりをするでしょ。それに、佐藤さんだって自分の行ってた幼稚園の先生全員をよく知ってるってわけじゃないでしょ?」
確かに、園内で見かけるくらいで直接の関わりはほとんど無かった先生は何人もいます。
「それは……そうだけど」
愛理ちゃんは私の返答に対して、満足そうに頷きました。
「ね? だったらその中に、その『みんなのしにかたずかん』を作っちゃうような人が一人くらい紛れ込んでたとしてもおかしくないとは思わない? 少なくとも死に方を予言してひとりでに消える不思議な本が存在すると考えるよりはずっと現実的だと私は思うけど」
そう言われると、私も頷くしかありませんでした。
愛理ちゃんの言う通り、人間の仕業と考えた方が確かに現実的ですし、あれが人知を超えた怪異でないのなら、あそこに書かれていた通りの死に方で自分が死ぬのではないかと怖がる必要はなくなります。
とはいえ、もし私が通っていた幼稚園の先生の中にあんな本を作るような人がいたというのであれば、それはそれでぞっとする話です。せめて私のよく知らない先生であって欲しいと、私はそう思いました。
愛理ちゃんの推理を聞いてからも、私は「みんなのしにかたずかん」が人の死を予言する怪異であったという可能性を完全には捨てきれずにいました。しかしそれから一年も経たないうちに、真相は明らかになりました。
あの幼稚園に通う園児の一人が、かつての私と同じ様に「みんなのしにかたずかん」を見つけたのです。しかも私の時とは違い、その園児は「みんなのしにかたずかん」を放り出したりせず抱え込み続け、更にそれを迎えに来た親にも見せたのです。当然、親は驚愕し、他の保護者達にも話は伝わって大騒ぎになりました。
犯人はすぐに見つかりました。日和先生です。
そう言われてみると確かに、先生達の中で「みんなのしにかたずかん」に描かれていた生々しい死に様のイラストを描けそうなのは日和先生くらいです。少なくとも、私の知っている範囲ではそうでした。
日和先生はうちの近所に住んでいたため卒園後も時々見かけることがあり、その姿は他の先生よりも簡単に思い出すことができました。
童顔で背が低く、おとなしそうな見た目通り、園では言うことを聞かない子供に対してあまり強く出ることができない先生でした。
そんな気弱な日和先生が、裏では「みんなのしにかたずかん」を作っていたのです。
「あの何かにつけてクレームをつけてくる過保護な鈴木友也の母親は、溺愛してる自分の子供が顔も分からないほど黒焦げの死体になったのを見て絶望すれば良いのに」
「ガキのくせにやたらと高価なブランドものを身につけてて鼻持ちならない北野鏡介は、金に困って借金した挙げ句、生きたままネズミに食われて苦しんで死ねば良いのに」
「可愛げのない佐藤真琴は、周りの人間全員に見殺しにされて絶望しながら苦しんで死ねば良いのに」
「あいつも、こいつも、どいつもこいつも、ガキどもはみんな苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで死ねば良いのに」
そんなことをぶつぶつと呟きながら鬼気迫る表情で「みんなのしにかたずかん」を作っている日和先生の姿を想像して、私はぞっとしました。
同時に、私は怒りを感じてもいました。私が一番懐いていたのは由花子先生でしたが、日和先生だってそれなりに交流のあった先生です。そんな彼女が私にトラウマを植え付けた犯人だと知って、裏切られた気持ちになったのです。
一方、この話を聞いた愛理ちゃんは「ほら、私の言った通りでしょ?」と得意げでした。
「よく言うじゃん? 一番怖いのは死んだ人間とか怪異なんかじゃなくて、生きてる人間の悪意なんだって」
ことの真相を知った今となっては、私は愛理ちゃんの言葉に肯くしかありませんでした。
それから一ヶ月ほど経ったある日のことです。
コンビニで漫画雑誌を立ち読みしていた私は、レジの方から聞こえてきた「っせーな、毎回毎回、年齢確認年齢確認ってうぜーんだよ」という声を聞き、ハッとして思わず顔を上げました。
その声に、聞き覚えがあったのです。
レジの方に目を向けると、思った通り、そこにいたのは日和先生でした。部屋着のまま外に出てきたようなだらしのない格好で髪もぼさぼさ、化粧もしていないという園にいた時とはまるで違う姿でしたが、間違いありません。
日和先生はお酒と思しき缶が何本も入ったレジ袋を乱暴に掴むと、酔っ払い特有のおぼつかない足取りでコンビニを出て行きました。私は手に持っていた漫画雑誌を棚に戻すと、慌ててその後を追いました。
日和先生には、言ってやりたいこと、聞きたいことがいくつもありました。
私は「みんなのしにかたずかん」が怪異ではなく人によって作られたものと知ってからも、プールに対する恐怖を完全には克服できずにいました。自分がプールで溺れて死ぬというのが予言された未来でも何でもないと理屈では理解できても、刻み込まれたトラウマはそう簡単には消せないのです。
友人達がみんなでプールに遊びに行く時も、私だけは参加を見送るしかありませんでした。それもこれも、日和先生があんな本を作ったからです。
日和先生はコンビニ近くの公園に入ると、ベンチに座って缶を開け、先ほど買ったばかりのお酒をさっそく飲み始めました。
日の高いうちから飲んだくれている駄目な大人。こんな人に、私の人生は狂わされたのか。
怒りが湧き上がり、私はつかつかと日和先生に歩み寄りました。
「日和先生、私のこと、覚えてますか?」
日和先生は缶から口を離すと、どよんとした目で私の顔を見上げました。私が誰なのか分かっているようには見えません。それが酔っ払っているせいなのか、私が成長したから分からなくなってしまったのか、それとも最初から園児の顔なんてろくに覚えちゃいなかったのかまでは分かりませんでした。
「先生が勤めてた幼稚園に通っていた、佐藤真琴ですよ。五年前に『みんなのしにかたずかん』を見てしまって大騒ぎした佐藤真琴って言った方が思い出しやすいですか?」
日和先生の目が一瞬、見開かれたように見えました。しかし先生はすぐに目を逸らし、私など存在しないかのようにまたお酒を飲み始めました。こちらとの会話を拒絶しているようにも思えましたが、構わず畳み掛けます。
「先生、私、先生に聞きたいことがあるんですよ。五年前に私が『みんなのしにかたずかん』を見てしまったの、あれは見せるつもりはなかったのにうっかり見られてしまっただけなんですか? それとも、私を怖がらせてやろうと思ってわざと仕組んだんですか?」
もしわざと私にトラウマを植え付けたのだとしたら、絶対に許せないとずっと思っていました。もちろん、仮にうっかり見られただけだったとしても、あんな本を作った時点で十分に非難されるべきことではあります。しかし、許せない度合いが違うのです。
日和先生の答えはいったいどちらなのか。私はついに真実が分かるという緊張感から、ごくりと生唾を飲み込みました。
ところが、日和先生は私の質問に対してまともに答えることすらしませんでした。
「……知るかよ」
非常に聞き取りづらい呟きでしたが、確かに私の耳は日和先生がそう言ったのを捉えたのです。思わず、カッと頭に血がのぼりました。
「は!? 知るかよってなんですか!? 先生のしたことですよね!?」
「っせーな、もう……たくねえんだよ。くそっ、なんであたしひ……がクビ……んだよ」
お酒のせいで
幼稚園の先生という立場でありながら園児にトラウマを植え付けておいて、この態度。いったいどこまで私を怒らせれば気が済むのか。
そんな私の怒りにも気づかない様子で、日和先生はぶつぶつと呟き続けています。
「ちくしょう……ぽきり……やがってよぉ」
「は? なんですか? 言いたいことがあるならはっきり言ってください!」
私は日和先生の胸ぐらを掴んで引き寄せました。酒臭い息が顔にかかり、思わず放しそうになります。その時、先生の呟きが聞き取れました。
「みんなで作ったのに、あたし一人しっぽ切りしやがって」
本当はいない友達から聞いた怖い話 人鳥暖炉 @Penguin_danro
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