カブラバ リュウインの唄。


「テメーこんなとこで何してる」


「父親に向かってテメーなんて口聞いてんじゃねえ!」


——ドゴォッ!


「ぶがっ……!」


俺は親父に殴られた、すげー速度だった、急すぎて避ける暇も無かった。


——ドサッ!


大の字で転がる、後頭部が冷たい。


忘れてたがこの男はそういう奴だった、流石俺の親父だ行動が似てやがる。


「俺ァよう、イライラしてんだぜリュウイン、いつまでもいつまでも人と一緒に居やがって、おかげでスケジュール押しちまったじゃねーか」


眉間に皺を寄せながら腕時計を見下ろす親父、イライラしながら文字盤を爪で叩いている、どうやら俺が一人になるのを待ってたらしい。


「なんの、用だよ」


上体を起こして床に座り込む、口の中の血をペッと吐き出す、ちくしょう切れちまったじゃねーか、こういう怪我は治るのが遅いんだぞ。


「会いに来たんだオメーによ、どうやら目覚めちまったよーだからなぁ、そうだろボンクラが」


「知ってたのかコレのこと!」


親指で背後を刺す、指の先でシッポが揺れている、雪の白によく映える銀色の尾が。


「……そうだっつってんだろ頭悪ぃな」


一瞬、親父の表情が曇ったような気がしたが、すぐ元に戻ったのでよく分からなかった、そして三割増しの暴言が叩き付けられる。


「要件を言え、短くまとめて」


立ち上がる、ポケットに手を突っ込んで、若干体を背けながら横目で親父を見る、前に見た時よりも白髪が少し増えている。


「……」


親父は腕を組んで他所を向いた、何か躊躇ってる、言わなくちゃいけないことを聞けずにいる、分かりたくもない心の内が分かってしまう。


「言えよ」


「ウルセーな言うっつーの」


頭をガシガシと掻く親父、それからため息をして、足元それから横に、上から下へ正面へ、視線を動かしてとうとう俺の方を見て言った。


「……オマエ、人は食ったのか?」


その言葉は、耳で聞いた以上に重たかった。


アイツがどんな気持ちでそれを言ったのか、全ての事情を把握している訳でない俺でも、たとえ息子でなくたって理解出来ただろう。


「食ってねえよ」


だから俺は鼻で笑い、馬鹿にしたように言ってやった。


俺はそれがいい答えだと思っていた、柄にもなく安心させてやろうと考えた、昔はさんざん殴られてきたが、それでもコイツは俺の親父なんだから。


「……フー、そうか」


親父は重荷を降ろすように息を吐き、それから顔を上げてこう呟いた。


「じゃあ、今のうちに殺せば、は出ないっつーわけだな」


——ゴウッ!


雪が舞い上がる。


親父が懐に飛び込んできた。


「……なっ!?」


親父は腰を落として拳を貯めながら、俺の顔面目掛けて本気の拳を振り抜いてきた。


——ゴォッ!


「くっ……!?」


ギリギリで上体を反らすのが間に合った、当たってたら間違いなく殺されていた、今の一撃はどう考えたって殺る気だった!


バックステップ、バックフリップ、情けなくこの俺は、必要以上に親父から距離を取った、額に冷や汗を浮かびあがらせながら。


「クソ、口車に乗せられて一回見せちまったからな」


拳を振り抜いた姿勢でそう呟く親父。


実際アイツの言う通りだ、今のが最初の一撃だったら、俺は避けられた自信が微塵も無い。


二人目、二人目だと、二人目っつったのかこの野郎は。


「あんま抵抗すんなよ、手加減とか出来ねーからな」


親父はこの俺を、殺すつもりだった——。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


カブラバ家は昔から、他の家とは違っていた。


俺にどうして母親が居ないのか、物心が着いてから親父に何度も尋ねてきた。


だが返ってくる答えは『あいつの事は忘れろ』だった。


子供ながら複雑な事情があることは察していたし、俺もあまり深く突っ込んで質問はしなかった。


片親ながら俺は愛されていた、自分で言うのも気持ち悪いことだが、幸せに育ったと思っている。


——中学に上がるまでは。


「なあ親父、俺の母さんの昔のものって、何か残ってたりとかしないワケ?」


その質問が俺が親父に話し掛けた最後のセリフだった。


直後俺は殴られた、思い切りだ、中学上がりたての子供の顔面を、手加減無しの本気でやりやがった。


「なにす——」


その時の俺を見る親父の目。


あの目だけは何時まで経っても忘れられない。


そっから俺らはおかしくなった、その日以来俺らは一切口を聞かなくなった。


親父は長年辞めていたアルコールを飲み始め、家にもなかなか帰ってこなくなった、俺はそれが何なのか分からず思いっきりグレた。


周りの皆が敵に見えて、俺は心を開かなくなって。


どうせ喧嘩を挑んだって勝てないし、今更に話し掛けんのも気まずいし、その鬱憤を俺は学校で発散した。


そこから程なくして、俺は家を出ることになり、中学一年の春から一人暮らしを開始した。


そこから今に至るまでずっと一人、ずっと独りで生きてきた。


毎年誕生日になると送られてくる、警官が使うようなリボルバー以外、俺と親父との接点は何も無かった。


——それが今になって。


「だから、避けんじゃねーよクソガキが」


——ビュンッ!


ぶっとい右足が鼻先スレスレを掠める、人の足から出ていい音じゃない、空気圧だけで皮膚が裂けた、直撃したら確実に顔面が半分になる。


「年寄りが舐めてんじゃねえ!」


体勢を建て直してタックルを見舞う、地面を鋭く蹴って前へ飛び出す、自動車の追突にも似た攻撃を。


——ガシィッ!


「なんだ?そのふざけた攻撃は」


親父は俺を受け止めると、そのまま胴体に腕を回し。


「腰が入ってねえなァ!」


華麗なるジャーマンスープレックス、俺を持ち上げて硬い地面へと叩きつけた。


——ドムンッ!


「ぐっは……」


ちくしょうどうなってる、何で力で押し勝てねえ、親父ただの歯医者だろ、なんでこんなにつえーんだよ。


「親父ってのは息子よりつえーもんなのさ」


「勝手に人の頭ん中、決めつけてんじゃねえ……ッ!」


壊れたリクライニングチェアーのように、勢い良く飛び起きて親父に掴みかかる、この前のリツカのフィニッシュブローを思い出してゼロ距離に詰める。


だがバランスを崩される、俺は片膝を着かされて、下がった顔面に膝蹴りを叩き込まれた。


「故障してるようだからな、ぶっ叩いて直してやるよ」


——ドサッ!ゴロッ!


クソ、急に出てきて何なんだ。


意味わかんねーのはもう沢山なんだよ、最近ずっとキャパ超えてんだよ、そのうえ親父に殴られんのかよ。


なんか理由があるんだろ?


あの日俺を殴ったのも、それから口を聞かなくなったのも、ちゃんとした明確な理由があるんだろ?


お前、だって驚かなかったもんな、知ってたんだよな?


俺がだってことを、最初から分かってたんだよな?


ようやく勢いを殺し切り、俺は力任せに立ち上がる、気に入らねえ、気に入らねえと怒りを募らせて、それでずっと心に引っ掛かっていた事を口にする。


「親父、まさかよ」


「んだよ」


口にする、準備をして。


「さっき、言ってたよな二人目って」


「……おう」


握り込みっぱなしだった拳を緩めて、全身に漲らせていた闘気を萎ませて。


「ひょっとして」


アイツの目を見て尋ねる。


「俺の母さん、俺が喰い殺しちまったのか?」


返答は。


「……口滑らせやがって、俺のバカヤロウが」


という言葉と共に顔面に叩き込まれた、渾身の一撃であったのだ——。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


「……クソッ」


ジンジンと痛む鼻柱を抑えて、フラッとよろめきながら立ち上がる。


「……やっぱ、そうなのかよ」


余程のマヌケでもない限りは、嫌でも頭の片隅によぎる可能性だろう、誰だって思い付くはずのことだ、安っぽい三文芝居のようなカビ臭い。


——今回ばかりは外れて欲しかった可能性。


「初めは俺も知らなかったよ」


俯いて、表情を隠しながら、小さな声でそう言う親父。


「俺とカナデは昔からの知り合いだった、アイツが結婚相手を見付けてからも偶に会う、腐れ縁みたいな間柄だったんだ」


ゆっくりと、あいつは初めて俺に、自分の過去を語る。


「ある日」


親父は、空を見上げて。


溜まったもんを吐き出すように深呼吸をして。


「ある日、俺はアイツの息子の誕生日を、誘われて祝いに向かったんだ」


雪がちらついている。


寒い空気が服の隙間に入り込む。


「俺はちょっとサプライズをしてやろうと思ってな、嘘ついて遅れて行くことにしたんだ、欲しいって言ってた壁掛け時計を持ってな」


何処か懐かしむようなその顔は、しかし次の瞬間、思わず目を背けたくなるような痛々しい物に変わった。


「……玄関の扉は閉まっていた」


ポツリ。


「インターホンを押しても返事は無かった」


ポツリ。


「合鍵が無かったから隣の部屋の奴に話して、ベランダから飛んで中に侵入した」


こぼれ落ちていく記憶の断片。


「一面血の海だった」


俺は自分がどんな顔をしているのか、確かめるのが怖かった、俺は人間の顔をしているのかどうなのか、化け物としての自分がそこにいる気がして。


「泣いてるお前と、腸を引き裂かれて死んでるお前の母親、父親、最初はどっかのイカれた殺人鬼が強盗に入ったんだと思ってた」


もう分かるだろと、親父は俺の目を見た。


「俺はお前を引き取った、人として当然のことだと思った、俺には心の支えがどうしても必要だった」


「……いつ、気付いたんだ」


「中学に上がる時、お前虫歯になっただろ、そん時お前の歯を診察して気が付いたんだ、あれは明らかに人間の歯では無かった」


そういえば、脳に菌が転移したら死ぬからと、親父が俺の歯を抜いたことがあった。


「凶器、見つかってなかったんだよ」


間を置いて。


「俺は嫌な予感がした、あの時の死体の状態はよく覚えていたからな、脳裏に焼き付いて離れない光景だ


それで俺は、警視庁のお偉いさんになっていた高校の時の友人に頼み込んで、こっそり照合して貰ったんだ


そうしたら、なんてこった、ピッタリだぜ」


そこから俺への態度がおかしくなったのか、理由が分からず親父が苦しんでいる時に、俺が母親のことを聞いたりなんてしたからだ。


「俺は、カナデの家族に会いに行って


あの時の俺は正気じゃなかったからな、気を使った聞き方なんて出来なかったと思う、俺は事実そのままアイツの両親に突き付けた


それで知らされたんだ、お前の母親の秘密を、銀の尾を持つウェアウルフだって事を」


奥歯を噛み締める、そういうことだったのか。


「満足か」


すっかり戦う気をなくして、へたりこんじまった俺を見下ろして、感情の分からない声を掛けてくる親父。


「長々と、ロクでもねぇ真実を俺に語らせて」


顔を上げる、親父の目を見る。


「実の父親ではねぇが、それでも、俺はアイツの息子にこれ以上人を殺させねえ為に、テメーをさっさと始末しなくちゃならない」


「……だったらなんで」


なんで今なんだ、今の今まで放っておいた。


殺す機会なんていくらでもあったはずだろ、先送りにしてビビってやがったのはどいつだ、向き合うのを恐れて俺を遠ざけたのはいったい。


「オメーの言いたいことはよく分かる、だからこうして最期に会いに来てやったんじゃねえか」


——最期?


「オイ、今なんっつった」


目の中をのぞき込む、聞き違いだよな?


「……フン」


親父は頭を掻きむしり、その場にしゃがみこみ、ハーッとどでかいため息をついて下を向き、そのまま地面に向かってこう言った。


「俺ぁよ、死ぬんだぜ、近いうちに」


——反射的に掴み掛る。


「笑えねえ冗談言ってんじゃねえ!」


——拳が叩き込まれる。


「がはっ……!」


情けなく転がってく俺に向かって、親父が叫ぶ。


「死ぬんだよ!クヨクヨ悩んでるうちに!どっちか決断しようと迷ってるうちに!お前に父親らしいことの一つも出来ねーうちに俺ぁ病気で死ぬんだよ!」


なんだよ、それ。


「ふざけ、んじゃねえッ!」


走り込んで行って殴りつける、いくつかフェイントを織り交ぜた、予測不能の人外打撃だった。


初めて当たった一撃に、派手にぶっ飛んでいく親父。


「病気で死ぬだ?知ったことかよこんちくしょう!んなすっとろいこと言う前に、俺がこの手でテメーの命を終わらせてやる!」


「……言う、じゃねーか、クソ」


口元の血を拭いながら起き上がる親父。


「ハァーッ……」


吐く息が、白く凍る。


いつしか雪は止んでいた。


「やろうぜ、リュウイン」


羽織っていた上着を脱ぎ捨てて、構えを取る親父。


「何年ぶりの親子喧嘩だぜ、まさか逃げねーよな」


——ザッ。


この俺も臨戦態勢に突入する、もう細かいことは良い、今はとにかく目の前にいるこの男を、病で死ぬなんて二度と言えねーようにしてやる。


「舐めやがって、ぶっ殺してやるぜ」


ラウンド、ツーだ——。

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