磔の銀十字
開幕早々、懐に飛び込んできた黒服は、都合十六度にも及ぶフェイントを行った上、靴のつま先に仕込んでいた小刀を飛び出させ、オレの膝目掛けて蹴りこんだ。
——ドスンッ!
女の放った蹴りは非常に重く、オレの足は地面を離れ大きく体勢を崩した。
だがオレはバレエダンサーのようにその場で回転し、遠心力をたっぷりと乗せた爪を放つ。
女はそのオレの一撃を剣でいなし、ガラ空きになった脇腹に切り込んだ。
——ガッ!
全て視えていたオレは斬撃に合わせてシッポを伸ばし、女の手の甲にぶち当てて軌道をズラす、そしてそのまま後ろ回し蹴りを見舞う。
女はこれを自分の肩で受け流し、すれ違うようにして背後を取り、首を裏側から両断しようとした。
オレは片足で飛び、体を地面と平行にしながらキリモミ回転、真後ろに対し下から爪を振り上げる。
女は振り上げられるオレの腕に足を掛け、勢いを利用してその場でバックフリップ、回転は一度では収まらず数十回繰り返される。
女は更にそれを攻撃に転用、自身がまるで電動ノコギリの刃のようになることによって、オレをズタズタに引き裂こうとしてきた。
——ビタン!
地面にシッポを叩きつけて回転力を得る、今度は反対の腕で斬撃を繰り出す。
——ガギィィンッ!
刃と爪が真っ向からカチ合って弾ける、お互いにノックバックして、オレは地面に着くなり四ツ足で跳躍、女も同じように飛び込んできた。
間合いに入り込む前にオレは鋭くサイドターン、女の背後を取りに動く。
女はオレの目論見に気が付いて急停止、全方位に網目状の斬撃を放って防壁を形成した。
あまりに濃密な剣の結界に踏み込めず、代わりに傍に落ちていたバーベキュー台を掴み、女に向かって全力で投球する。
——ガヅン!
女は瞬時に反応して杭のようなものを投擲し、迫り来る飛翔物に当てて撃ち落とした。
杭はバーベキュー台を貫いてなお勢い衰えず、オレはそれを身をかがめて回避、そのまま地面に向かって爪を叩き付けた。
——ドゴォン!
土砂がまるで巨大な打ち潮のように舞い上がり、放射状に広がって破滅を撒き散らす、巻き込まれたならひとたまりもないだろう。
普通のヤツならば。
あろう事か女は破滅の中心を突っ切ってきた、形のない嵐を一本の剣で切り伏せたのだ。
オレは深く息を吸い、胸を大きく膨らませて、おぞましい雄叫びを闇夜に轟かせた。
分厚い音圧の壁が四方に拡散する、その爆発力たるや現代兵器と比べても遜色ない、瞬く間に辺り一帯を瓦礫の山に変えていく。
だがこの女は、それでさえも止まらなかった。
——ズブッ!
衝突の勢いを利用してオレの首に剣を突き立てる女、冷たい金属の感触が体内に侵入する、筋肉と骨の隙間を狙われてしまった。
どういうことだ、イマのはオレの奥の手だぞ。
ここでようやく人間らしい思考が戻ってくる、起きたことのあまりの不可解さに、どうしても冷静にならざるを得なかった。
あの雄叫びは単なる大声じゃない、それこそ生身にミサイルを打ち込まれるようなものなんだ、初めて使う技だが本能でどういうものかは分かる。
絶対に無傷で済むはずがない、その前の土砂とはわけが違うんだ、何故ノーリアクションで抜けてきて、そのままオレの急所を狙えたのか?
溢れ出す疑問の濁流に呑まれかけたその時。
——チャラッ。
視界の端に、ロザリオが写りこんだ。
ただしそれはボロボロにささくれ、色味を失って褪せ、少しずつ崩壊していたのだ。
「……!」
オレは気付いた、思い出した。
戦いが始まる前、アイツは確かロザリオを、首から引きちぎって剣に巻き付けていた。
祈りの儀式か何かだと思って気にとめていなかったが、もしかするとオマエのその十字架は、致命傷を回避するための手段だったのか……!
「人の身で化け物と戦うのです、このくらいの保険は用意しておかないと」
俺の疑問に答えるように呟く女、穴の空いた喉から血が滴り落ちる、呼吸を阻害され脳に酸素が行かない。
首に刺さった剣を捕まえる。
刃を引かれないようにガッチリと抑え込む。
——バガァン!
こめかみを指の背で打ち抜かれる、まるで古武術の技のように。
仰け反る俺の脳天に肘鉄を叩き込むストラッツォ、彼女はそのまま掌打を構え、首に刺さった剣の柄目掛けて一撃を見舞った。
剣が首裏を貫通して外に飛び出す。
俺は首から下に力を入れられなくなり、フラついて、その場にドスンと膝を着いた。
——ズブッ。
首に刺さった剣が引き抜かれる、体が動かない。
ストラッツォは血濡れの獲物を構え直し、眼光の軌跡を空中に残しながら、俺への最後の一撃を放った。
縦と横に、体の中心を捉えるようにして、天の罰だとでも言いたげな赤十字が刻まれる、この俺の記憶はここで途絶えている——。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
「……!?」
ガバッ!と体を起こす。
「ふゃぁっ!?!?」
すると胸の上に載っていた何かがポーンと跳ね、しばらくの滞空ののち地面に激突した。
——ポフン。
地面でなく、柔らかい、クッション性の高いベッドに。
「……な、んだ」
無意識に手をやったのは喉元、しかしそこに穴は空いておらず、それどころか痛みすらもしなかった、何が何だか分からずに固まっていると。
「なんだよもうっ!びっくりするなぁっ!いきなり人を吹っ飛ばすヤツがあるかっ!」
プンプンに膨れたリツカが、腕を組んでそっぽ向き、思いっきり口を尖らせて頬に空気を溜める、まるで怖くない怒り方に思わず苦笑する。
「ボク怒ってるんだよ、なんで笑っていられるんだい」
そんな俺のふてぶてしさに若干引き気味のリツカは、怒るというよりかは心配が勝ったようで、のそのそとこちらに近付いてきた。
「……ホントに平気?」
「ここがあの世じゃないんだとしたらな」
首を傾げるリツカ、どうも話が噛み合っていない。
そこで俺はふと、ホテルを出る前に残しておいたはずの書き置きを探してみるのだが、何処に目をやってもそれが見当たらない。
もしやと思い、質問の仕方を変えてみる。
「俺ずっとここに居たか?」
「何言ってるの、ボクを抱きしめたままスヤスヤだったじゃないか、人の胸を枕にしちゃってさ」
——なるほどな。
俺は何となく状況を理解してきた。
まずさっきのは夢じゃない、それは確実だ。
ただ寝ていたにしてはおかしい量のアドレナリン、あまりにリアリティのある殺人の感触、切られたはずの箇所に残る鋭い痛みの幻。
気のせいだと片付けるには揃いすぎている、それに俺は変身したときの感覚を覚えている、人でなくなったあの瞬間を記憶している。
——見逃されたのか。
俺はアイツになにかされたらしい、理由は不明だがとにかく殺されなかった、喜ぶべきかすらも分からん、確かなのはリツカは何も知らないということだ。
いやでも、心を読めるんだったか。
チラリとリツカの方を見てみると、彼女はまるで夢中になった本を読むように、一点のみを見つめていた。
「視えたのか」
「ボクのために怒ってくれて、その結果やらかして、ボコボコに痛めつけられたってことがかい?」
「ボコボコにはされてねーよ」
つーか起きた時、胸を枕にして寝てたのはお前だろ、それこそ夢か何かと勘違いしてんじゃないか。
「確かにそうだね、考えてみれば」
こんな風に口に出してない内容で会話が成立するくらいなんだ、何があったかくらいそりゃバレる、と言っても別に俺は隠そうとしてないんだが。
まあ、気恥ずかしくはあるけれど。
「ボクも連れて行って欲しかった」
「ブチ切れててそれどころじゃなかったぜ」
とはいえこんなふうに、普通なら有耶無耶で終わりそうな話題でも、ぶっちゃけた内容の会話が出来る、その点はこのテレパシーの良いとこだな。
「勝手に復讐しに行っちゃうなんてさ、そんなに許せないことだったのかい?」
「一番の理由は自分自身への怒りだ、100%勝手なエゴによるモンだ、別にお前の為を思った訳じゃない」
「やめたまえよ」
唇に指を当てられる、俺は怒られるのか?
どんな正論をぶつけられるのかと構えていると、リツカは気恥しそうに頬を掻きながら、小さな声でポショポショとこう言った。
「そんなふうに照れ隠しをされちゃったら、本気でキミにキュンとしちゃうじゃないか」
ずっこけるかと思ったよ。
「照れ隠しだぁ?都合良く解釈しやがって」
「だってそうだろ、キミはボクが好きだからこんなことしたんだ、嫌いな相手の為に怒らないだろ」
そんなのは言葉遊びの類だ、馬鹿馬鹿しい、コイツは意地でも自分の為って事にしたいのだ、そうしてキャッキャと喜びたいのだ。
下らないが反論できん、言ってること自体は合ってる、それを否定したところで大して意味は無い、まさかコイツに言い負かされる日が来ようとは。
「ふふん、尻に敷いてやっているぞ、ボク将来きっと良いお嫁さんになるだろうから、今のうちから期待をして待っていたまえよ」
「ああそう、じゃあそうする」
面倒くさくなった、もうそれでいい。
「そこは、その、突っ込むとこじゃないのかな……?」
知らない、黙れ、これ以上俺に頭を使わせるな。
「良いからさっさと抱かれろよ、俺の嫁になるんだろ」
「はぅっ……」
眠気が限界なんだよコンチクショウ、あの体になるとカロリー使っちまうみたいだ、目の前のこいつが食糧に見えて仕方がない。
「ボク、そういうセリフに弱いのにぃ……」
知るか。
結局俺はこのあとすぐ意識を失い、そのまま明日の昼まで目覚めなかった——。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
誰も気が付いていなかったが、部屋の外に女が立っていた、迷いを抱いたように扉を見つめたまま。
あのウェアウルフを殺さなかったのは、彼が想定していたよりも弱かったからだ、人の肉の味を覚えた狼はあんなものじゃない。
戦いの最中もずっと違和感があった、だから私は彼にトドメを刺さなかった、首を刎ねる事はしなかった。
彼は人を喰らわなかった。
人を殺したのはどうやら復讐のためらしい。
決着がつく間際、彼は明らかに理性を取り戻していた、それは通常ありえないことだ、ウェアウルフというのは獰猛な生き物なんだ。
教会の処刑人としての立場を考えれば、二人とも即刻始末するべきだ。
しかし私個人としては、彼らを殺したくは無い。
「私も甘くなりましたね」
ストラッツォはそう呟いて、足音も立てず、ホテルの廊下を歩いて行った。
人知れず、何者にも悟られずに——。
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