ボクッ娘、追突注意。


勝てない。


勝てるはずもなかった。


俺とリツカはズタボロにやられて、もう指の一本も動かせないくらいにぶちのめされ、無様に夜の雪山に倒れて転がっていた。


その俺らを見下ろして、手袋を引っ張りながら怪訝な表情を浮かべている黒服の女、コイツの動きは人間のそれではなかった。


戦いになってすらいなかった、後はもうトドメを刺されるだけ、にも関わらずその時が一向に来ない。


どうしたんだ、弱すぎて拍子抜けしたのか。


「おかしいですね」


そう言って女はしゃがみ込み、俺とリツカの顔をまじまじと見つめた。


「どうしてあなた方、まだ生きてるんです?」


心底不思議そうに、自分で痛めつけた相手に対して絶対に相応しくない質問をする女。


「んなこと、知るかよ……」


血を吐きながらそう答える、心配しなくても、もうすぐ死にそうだぜコンチキショウ。


「ふむ……」


今度はリツカを見て、右手に持っていた剣でおもむろに胸を突き刺した。


「はぐっ……」


リツカは苦しんだが、どうも黒服女はそれが、満足のいく結果ではなかったようで。


「やはりおかしい、消失しないなんて」


などと宣いながら、剣を引き抜いて赤濡れになった刀身を月明かりにかざして眺めている。


「これはダメですね、任務は一時中止とします」


と、女は何かに納得して立ち上がり、佇まいをビシッと整えて直すと、俺らに向かってこう言った。


「日本には足ツボマッサージなるものがあると聞きました、それと似たようなものと思えば、ほら健康に良い気がしてきたでしょう?」


「もっぺん言ってみろゴルァ……」


俺の提言も虚しく、ドンドン遠ざかる足音だけが、残酷に返答を続けていた、その音が聞こえなくなるまで、ついに答えは返ってこなかった。


「げほっ、げほ……何なんだよ、マジで……」


殺されるかと思ったら放置された、しかもピクリとすら動けやしねえ、リツカの方は完全に気を失ったようだし、これはもうどうしようもない。


「凍死体なんてゴメンだぜ……」


意識が、遠のいて——。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


——ゴク、ゴク。


奇妙な物音と感覚で、俺は目を覚ました。


そう、まさに飛び起きるように。


——ガサガサッ!


反射的に首筋なんて抑えたまま、周りの景色も認識するも前に後ずさり、後頭部を何かにぶつける。


——ゴツン。


「痛っ……」


目の前に火花が散る、鈍い痛みは機せずして眠気覚ましになる。


俺はてっきりまだ外だと思っていたが、しかしそれはどうも違うらしい、目の前にあるのが電気ストーブだからだ。


そういえば、起きる前に感じた妙な感覚は、そこから発せられる熱気だったようだ。


「……ビックリした、一体どんな寝相なんだい?」


俺が頭をさすっていると、湯気の立つマグカップを両手であちちと持つ、全身傷だらけのリツカの姿がそこにあった。


そうか、ここはコイツの家か何かか。


「助けてくれたんだな、一応先に礼は言っておく」


「含みのある言い方だね」


俺は完全に目が覚めた、自分の置かれている状況を正しく把握した、だから礼より何よりも、この俺の姿について聞かなくちゃならない。


「この格好はなんだよ?」


こめかみがヒクつくのを我慢して、なんとか平静を装って言葉を絞り出す、ちなみに次コイツが喋った途端、答えの内容に関わらず限界が来る。


「服が濡れていたんだもの、着替えさせないと生乾きで臭くなるでしょ、感謝してよねこのボクに」


その瞬間俺の怒りは臨界点を超え、そして急激に萎んでいった。


「……そうだな」


四つん這いになって絶望する、悪いがエネルギー不足だった、怒るのに必要なパワーが無かった、腹も減ってるし疲れてるしでボロボロだ。


「何か食べるかい?料理なら得意だよ」


その様子を見て、実に的確な提案をするリツカ。


「……そうだな」


『よし来た』と張り切って立ち上がり、可愛いピンク色のエプロンなんて着け始めた奴を横目に、俺は絶望の深い深いため息を吐いた。


お前料理できるのかとか、なんでそんなに余裕そうなんだとか、質問する気力もなかったのだ。


ふと横を見てみると鏡があって、そこに映し出された自分の馬鹿みたいな姿。


微妙に似合ってるような気もするが、それより気になるのは何故胸を盛られているのかって点だ。


もし替えの衣服が無かったにしろ、これは絶対にする必要ない手間だろう、まるで意味が分からず混乱を極める。


「はいお待たせ、肉野菜炒めと味噌汁だよ、ついでに漬物と魚も作ってみた」


おかしいだろ、はえーよ。


「……いただきます」


だめだ、すっかり参っちまってる、言葉が何にも出てこなかった、食欲に脳みそが勝てなかった、俺は操られたように箸を掴んで食べ始めた。


「美味しいだろう?美味しいよね?いやいや照れるねえそんなに褒められたら、もっと褒めてくれちゃっても良いんだよ?」


「……そうだな」


「いやまったく照れるねえほんとうにぃ!」


あまりよく覚えていないけど、とにかくスゲー美味しかったことだけは、後からもハッキリと思い出すことが出来た。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


「で、お前結局なんなのよ?」


風呂上がりのホカホカな体温と、もうすっかり受け入れたナース服、それで机越しに向かい合って、俺と同じく風呂上がりのホカホカなリツカ。


とりあえず落ち着いてきたので、ここ数日で起こった出来事をひとまとめに、疑問として叩きつけてみることにした。


ちなみに俺は完全に復活している、入浴剤がものすごく良かったんだ、全身の凝りという凝りに効いてくれた。


「それが自分でもよく分からないんだよ」


「ああそう、そうだよな、そんなこったろうと」


質問は無駄、なんの意味もない、ならあとはもう考察するしかないんだけど、それもなんとなく答えが出てるような気がする。


ほら、アレだろ、出生に秘密を抱えてて、多分人間と吸血鬼のハーフかなんかで、それを狩るハンターなんかいちゃったりして。


そこはいい、重要じゃない、考えりゃ分かる。


それより問題なのはどうしてコイツが、俺を病院に運んだり家に連れ帰ったり、飯振る舞ったり風呂貸したりするのかだ。


ひょっとしてだが、まさかコイツ。


「お前俺の血とか、飲んだんじゃないだろうな」


——ピク。


「飲んだんじゃないだろうな!?」


「そ、そんなことしないよぅ〜?」


や、やっぱり、やっぱりそうなのか!


コイツ! だッ!


「冗談じゃないぞ!」


勢いよく立ち上がって玄関に走る。


「おっとそれはさせないよ!」


しかし一瞬で回り込まれ、退路を塞がれる。


戦いの時はそんなに役に立たなかったくせに、こんな時だけ身体能力悪用しやがって。


「バレちゃ仕方ない、白状するよ、初めて見た時からキミの血美味しそうだなって思ってたのさ


なんでか分からないけど、墓穴から這い出して以来、人間から発せられる甘い香りに、どうも食指が唆られるようになってね


だからキミが警官に撃たれて気絶した時に、ちょっと失敬して吸ってみたんだよ


そうしたらなんと傷は治るし元気になるし、おまけにずっと聞こえてた声みたいなもの無くなるし、コイツはすごいって感動したわけさ


だから!悪いけど!ボクと居てもらうよ!」


大見得切ってそう叫んだので、俺は目の前に向けられた指をガシッと掴み。


——ボギィ!


「ギャー!」


思いっきり折り曲げて怯ませて、玄関のドアから外に飛び出した。


「ボクの指が真紫にィ!」


後ろで叫んでるアホをほっといて、落下防止の柵を飛び越えて身を投げる。


——ダシィン!


二秒ほどの滞空時間を経て、俺は豪快に地上へ着陸し、そのままフラッとよろめきながら、風を切り裂いて勢いよく走り出した。


後ろから追いかける気配はあるものの、俺の必死の逃走により、距離は離れていくばかりだった。


それは実に喜ばしい事であるが、だがしかし、俺はもちろん馬鹿ではないので、無視できない大きな違和感に怯えていた。


「なんか俺、早いぞ!?」


そう、明らかに体がおかしいのだ。


走る際の歩幅、ストローク、それが異様に広く取れていた。


跳び箱のジャンプ台を踏んだ時のような、普通の人間では味わえないような浮遊感、流れる景色の速度がまるで自動車並みだった。


信号機が一回点滅するまでに、向こう岸へ渡り終えている、それもたった一歩の助走だけで。


真ん前が通行不能の急カーブも、鳥が旋回するかのような鋭さで、足首のほんの僅かな力加減で全ての推進力を別方向に切り替えたり。


それとあとは、体力と。


俺はいつまで走り続けられるんだ、一体いつになれば息苦しいと感じるんだ、こんなのは明らかに尋常ではない。


足を止めるのが怖かった。


俺は逃げていた、リツカからではない、もっと別の何かからだ。


得体の知れないものが追ってくる、どれだけ走ろうが逃れられない、もういっそ俺を止めてくれと、懇願するような気持ちが浮かんだ時。


「——ぁああああああ見つけたーーーっ!!!」


ズドガァーーーン!!!


「ぶげっ……」


突然空からリツカが降ってきて、俺に激突し、そのまま雪だるまのように固まってゴロゴロと地面を転がっていき、しばらく経ってから停止した。


「な、なんだ、ちくしょう……」


あまりに突然のことに目を回していると、俺の上に乗ったリツカが、顔の横にドシッと手を置いて、俺を上からジッと見下ろして言った。


「捕まえた」


ぺろりと、舌舐めずりをして言うリツカ。


「どういう追いつき方なんだよ、テメー……」


いててと、頭を抑えながら抗議する。


「この辺で一番高い建物から飛んだのさ、血を飲んでからなんだか調子が良くて、思った通りに体を動かせるんだよ」


胸を張って自慢げに言うリツカ、それでふと視線を横にずらしてみて、空高くにそびえ立つビルを見てため息をつく。


「色々頭ん中ぐちゃぐちゃなんだよ今、頼むからほっといてくれよ俺んこと」


自分がバケモンになっちまったとか、あの黒服の女はなんなんだとか、ナース姿のまま街を爆走しちまったとか、考えるべきことが盛り沢山だ。


「無理だね、だって尻に敷いちゃってるし、キミの学校の制服とか教科書とかも、ボクが隠して保管してあるもんね」


ふふんと勝ち誇った顔をするリツカ、そして彼女はそのまま真剣な顔になり、いつもより数段落ちたトーンでこう言った。


「たまに吸わせてくれるだけで良いんだよ、なにも殺そうってんじゃあない、なんだったら掃除洗濯家事手伝い、色々やってあげても良いんだよ」


「なかなか悪くない条件だな……」


家畜みたいに血を吸われるためだけの生き物になるのが怖かっただけで、そういう感じなら別に、渋る必要もないような気がしてきた。


「やっぱりちょっと変な奴だけど、ボクもキミのことはそんなに嫌いじゃないし、化け物同士仲良くしようじゃないか」


「同類扱いするんじゃねえよ」


ちょっと足が速いだけだ、変なことじゃねえ、足腰が普通の人間よりちょいと強いだけさ、血を飲むような奴と一緒にされちゃ困るぜ。


なんて思っていたのだが。


「いや、同類どころかむしろ、キミの方がよっぽど人から掛け離れているように見えるけどね」


『ホラ』と言って、リツカは虚空を指差した。


俺はなんだか嫌な予感がしたが、好奇心にはどう足掻いても逆らえず、指の示す先を見てみた。


——すると。


「……おい、なんだよこれ」


「なにって、キミ気付いてなかったの?」


フリフリと、俺の腰のあたりから伸びたモフモフの何かが、顔の前で存在を主張している。


「これ、いつから!?」


「今朝キミを家に連れ帰って、服を着替えさせた時にはもうあったよ」


「……うそ、だろ」


そう、彼女が指差した先にあったのは。


「可愛いシッポだね」


俺の腰から生えた、銀色の尾だったのだ——。

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