粛聖剣


数十台並んだ救急車を見送ったあと、俺とリツカは二人で帰路につき、雪の道を並んで歩いていた。


「えらい目にあったもんだねぇ」


他人事のように言ってるが、全ての原因は間違いなくお前にある、男でも女でも誰から構わずに、目を見て言葉を交わした相手を魅了する。


はっきり言ってクソ厄介だ、とっとと制御できるようになってもらわにゃ、俺がこの手でコイツを始末する羽目になる。


どうせ尻拭いをさせられるのは俺なんだ、仏の顔と同じだけチャンスを与えてやる、それが過ぎたらお前はもうおしまいだ。


「無言で顔面を挟み込むのはやめたまえよ、踵が床に着いていないじゃないか、それともボクに熱烈なキスでもしてくれるっていうのかい」


マジマジと顔面を眺める、顔立ちが気になっている訳じゃない、もちろんコイツの言うように、唇を重ねようとしている訳でもない。


俺は魅了されないのか、その検証をしているんだ。


「なんか言ってみろ」


「あー、うん、えーとその、なんだろうね、ボクの靴を舐めたまえ」


「……」


しばらく待ってみて。


「どうだい?舐めたくなってきたかな?」


「微塵たりとも」


パッと手を離す、リツカはどしんと尻餅をつく、俺は顎に手を当てて思考に沈む、やはり俺は普通の人間と違うらしい。


「いたた、ボクの可愛いお尻が酷い目に、青痣になったらどうするんだまったく、そんなんじゃモテないぞリュウインくん」


「青痣だって?そいつはこの辺りにか!」


スカートをぺろっと捲り。


「ひゃ」


パチーンと尻をたたく。


「きゃうんっ!?」


リツカは飛び上がって、その場にしゃがみ込み、叩かれた場所を抑えながら俺に飛び掛かった。


「なっ、ななな、なんてことするんだぁっ!?」


「面倒負わせたぶんのお仕置きだよ、それで済んだだけ有難いと思うんだな」


「だからって、叩くかなぁ!女の子のお尻を、スカート捲ってまで叩くかなぁ!ああもうっ!ほら見てよ赤くなっちゃってるじゃないかキミのせいで!」


ほら見てよというので見てみると、かなり肩の入った左ストレートが、良い角度で横面に突き刺さり、俺はそのまま数十メートル吹き飛ばされた。


リツカはその距離を一歩で詰めてきて、倒れてる俺の胸ぐらをふん掴み、ゆさゆさと揺らしながら大声でこう言った。


「ごっ、ごめん!つい殴っちゃった!」


人間が食らったら間違いなく死んでる一撃に、小鳥が目の前を飛んでいる、平衡感覚を取り戻すのに時間が掛かりそうだ。


「あ、でも今なら血を吸い放題じゃないか、ラッキーツイてるねボクって、それじゃあいただきまー」


——ガシャーン!


リツカがトラックに撥ねられた。


だってここド道路の真ん中だぜ、住宅地の、ただでさえ吹雪いてて前が見えにくいってのに、座り込んでたらそりゃ死角だろうよ。


「いたい……」


ズタボロんなって涙を流して倒れてるリツカ。


「やっちまったぁ!人を!人を轢いちまった!もうオラァ生きていけねぇ!命で償うしかないだぁ!」


狂乱の淵に沈み、頭がどうかしちまって、自分はサンタクロースの末裔だと言い出したトラックの運転手、俺はリツカを担ぎ上げて一目散。


その場を後にするのだった。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


「あら、何処へ行かれるんですか御二方」


リツカを担いで走っていると、突然進行方向の道に現れた、ロザリオを首にかけた黒い服の女。


「お前……っ」


突然現れた、何の気配もなく、まるで昨日からそこにあった道路標識みてーに、周りの風景に溶け込んでいるみてーに。


「警戒されていますね」


当たり前だ。


なんせこの女の強さは身に染みて分かっている。


たとえ俺とリツカが完璧な連携をできたとしても、コイツにはまるで敵わないだろう、そのくらいこの前の戦いは一方的だった。


「悪いんだけど降ろしてもらえるかな」


担がれたまま、耳元で囁いてくるリツカ。


「話ややこしくすっからダメだ」


無慈悲に切り捨てる、当然の判断だ。


「後で噛みついてやるからな、このケチんぼめ!」


「随分と仲がよろしいようで」


女は声を張り上げて、俺とリツカのバカ話に割り込んできた。


「そういえば自己紹介をしていませんでしたね、先日は突然の無礼たいへん失礼しました、私の名前はストラッツォ、化け物を殺す専門家で御座います」


どう見ても教会かなんかの刺客だ、たぶんなんかそういう機関があるんだろう、そんで化け物退治の専門家ってのも予想通り。


つまりそれは俺たちだ、俺たちは多分コイツに、あれからずっと見られていたんだろう。


今になって確信した、昨日俺がリツカから逃げ出した時、街中を全力で走っていた時に、背中に感じた値の知れない気配はコイツのものだったのだと。


「何か勘違いをしてらっしゃいますね、リュウインさん、今日貴方に会ったのは偶然ですよ、別につけ狙っていた訳ではありません」


「それで誰が納得するんだよ」


キッと睨み返してやっていると、女はフッと笑って肩の力を抜き。


——それから起きたことは。


俺は一瞬も目を離しはしなかった、一瞬もだ、レイコンマ数秒の世界の話だ、俺は常に奴の体から意識を逸さなかった。


——にも、関わらず。


俺は黒服女を突然に見失い、何処へ行ったと探し始めた頃には既に、いつの間にやら背後に回っていた黒服女が、俺の首筋に剣を押し当てて、背中合わせでスラリと立っていた。


「別にコソコソ背中を狙わずとも、やろうと思えばいつでもやれるんですよ、どうです?お分かりいただけましたか?」


「みたいだな」


首の刃が退けられる、動くことも出来なかった、すれ違う風の匂いさえ嗅いじゃいない、やはり俺らが戦って勝てる相手じゃない。


「……み、みえな、分からなかった」


担ぎ上げたコイツでさえ、このザマなんだから。


「だったら本当に、偶然会っただけなのか」


「奇妙でしょうが真実です、ただ休日を楽しんでいただけですよ、降り注ぐ雪の結晶がどんな形か、一つ一つ記憶するゲームをしていただけです」


じゃあもう立ち去って構わないなと、女の横をすれ違おうとして。


「ただ」


俺は二文字に込められた圧に止められた、足がその場から動かなくなってしまったのだ、これから放たれる言葉を聞くために。


「良い機会です、一応報告をしておきましょう」


疑問に眉が上がる、ストラッツォと名乗った女は、懐から剣を取り出して俺に投げた。


掴み取る、それを眺める、コレは確かあの女が、あの晩に使っていたものと同じ剣だ、さっき首に突き付けられたのとは別物か。


「それは吸血鬼狩りの祝福が施された、教会の粛聖剣のうちの一つです、我らは古くから、人の世に蔓延る人ならざるものを消してきました


なので本来は御二方も、狼人間と吸血鬼のようですから、正伐の対象のはずだったのです


ですがどういうワケか、その剣で斬られたはずなのに、二人共肉体が崩壊しませんでした、普通であれば欠片も残さず消失しています」


そんな神秘みたいな物が、俺の手の中に。


つーか、狼人間と吸血鬼、やっぱそうなんだな。


「私の投げた剣を貴方は抵抗もなく受け取り、そして特に苦しむことなく持っている、それを見て私は今改めて確信致しました


神の法は御二方の命を必要としていない、ジャンルが別なのです、おそらく何処かで突然変異したものと思われますが理由は分かりません


なので、私は貴方たちを殺すことはありません」


そんな嘘みたいな話を聞かされて、しかしコイツの話は全て真実であると、そう信じさせる力がストラッツォにはあった。


話はじゃあこれで終わったのかと、平和的解決を夢見たのも束の間で。


「しかし教会も一枚岩ではありません」


ストラッツォは我々に忠告をした。


「良いですか、よく聞きなさい、これから貴方達は教会の処刑人に狙われることになるでしょう、私と同じような身分の戦闘員にです


私は彼らの中でも少々変わり者で、粛聖剣が裁かないのであれば、たとえ悪魔でも化け物であっても、命を奪うことに興味はございません


化け物に、恨みを抱いてはおりませんので」


言いたいことはよくわかったよ。


こんなふうに話が通じるのは、今回で最後と思えってことだよな、セカンドチャンスはない訳だ、次襲われる時はどっちかが死ぬまでって事だ。


「その剣はお守り代わりです、持っていれば、少しは発見を遅らせられるでしょう、他にどう使うかは御二方にお任せします」


それだけ言ってストラッツォは、踵を返して歩き去ろうとした、俺はその背中に何かを言おうとして、しかし背中の奴に先を越された。


「ねえ、ちょっと待ってよ、どうしてボクたちに、話を聞く限りは敵でしかないボクたちに、そんなに肩入れしてくれるんだい?」


ああそうだ、その質問、俺もそれが聞きたかった。


——ザッ。


女は立ち止まり、僅かにこちらを振り返り。


「死者の安らぎを、願っているからですよ」


そう言って、髪に隠れてほとんど横顔を見せずに、自分にしか分からない言葉を残し、ストラッツォは吹雪の中に消えていった——。

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