月の明かりを凌ぐ輝きに。


「お、お、男の人と一緒に暮らすなんて、口では簡単に言ったものの、コレはちょっとししし刺激が強すぎるんじゃないのかなぁ……っ!!」


風呂上がりの、上裸で首からバスタオルを掛けたまま、冷蔵庫を開けてオレンジジュースをグビる俺の姿を見て、真っ赤に染め上がるリツカ。


彼女は自分の顔を両手で覆い隠しているが、指の隙間からこっちを盗み見ていた、熱っぽい視線があちこちに這い回っている。


「気が散るからあんま見んなよ」


ボトルを片手に居間に来て、軽く体を伸ばしながらソファに座る、すでに先客が一人居たが、くつろげるスペースは十分にある。


「無理だよ!」


そんな俺に声を荒げるリツカ、とうとう顔を覆うのをやめたらしい、意味が無いことに気付いたか。


「おおう、逆ギレた、おっかね」


笑って馬鹿にしながらジュースを飲む、火照った体によく染みる。


俺らは一緒に住むことになった。


リツカは俺の血をいただく代わりに、身の回りのことはやってくれると言っていた、それでなくても昼間のストラッツォの話。


もし本当に誰かから狙われるというのなら、固まっていた方が生存率は高いだろう、というわけでここはリツカのアパートだ。


「逆の立場で考えてみなよ、見るでしょ」


数段声のトーンが落ち、半分いじけたように言うリツカ、彼女はソファの上で膝を抱えており、自分の赤い顔を隠そうとしている。


「そら見るなぁ」


髪の毛を触りながらで答える、そんなの聞くまでもないじゃないか。


「……だからボクだって見るのさ、何か悪いかい」


奴は本当に消えいりそうな声で白状した、ついに開き直ることにしたらしい、恥を怒りに変換して原動力としている。


「気が散るから悪い」


そこへ無慈悲に突き付ける拒否の言葉。


「だったら服を着てくれよ!ボクこそ気が散る!」


結果、リツカはブチ切れた。


「もう少し涼んだら着てやるよ、今はまだ早い」


もちろんそんなブチ切れ怖かない、俺はあくまでマイペースに対応する、風呂上がりのほかほかを堪能するために。


「……からかってるんだろう、ボクにろくな男性経験が無いからって」


横から睨まれている。


「被害妄想だぜ」


飲み物を傾けながらそう答える。


「これでもボクはモテるんだぞ!今までに大勢告白してきたんだからね!」


「付き合ったことは?」


「……」


都合の悪い話題になると知らないフリをする、プイとそっぽを向いて聞こえないフリ、誤魔化しかたとしては最低レベルだな。


「……だったら」


何かポツリと聞こえてきた、なんだろうな、全容が見えますしないのに、既にロクなことじゃないような予感がする。


「だったら?」


でも一応、その先に続く言葉を聞いてみる。


「だったら、キミがボクに、男性経験をさせてくれたら良いんじゃないか」


ペットボトルに口を付けて、中身を流し込む、よく味わってから飲み込み、こう返答する。


「何言ってんだオメー」


するとリツカは胸を張り、声を整え大袈裟に、まるで舞台の主役みたいに堂々と語り出した。


「ボクには夢があるのさ、優しい男の人に優しく抱きしめて貰うっていう素晴らしい夢が、キミはあんまり優しくないけど、まあギリギリ合格点だ


妥協先としてはそこまで悪くない、いつかボクが燃えるような恋をしたときに、こんなウブなままでは立つ瀬がない


だからキミが練習台になってくれたまえよ」


なるほどな。


俺をからかおうとしているのがバレバレなので、みすみす思惑に乗ってやるのは癪と思い、ここは意表を突いてやろうと考えた。


だから俺はグイッと乗り出して。


——ガシッ。


お望み通りコイツを抱きしめてやった。


「ひゃあーっ!?」


耳元で叫び声が上がる、聞いた事ない高い悲鳴、抱き心地は思ったより良かった、このまま寝たら熟睡できると思う。


「いきなりやる奴があるかぁ……」


涙目になってジタバタと暴れるリツカ、しかしなんでだろうな、物凄く弱い抵抗に感じられる、しばらく血を吸っていないからだろうか?


「ところでお前、いい匂いするな」


例えるなら洗い立てのタオルみたいな感じ、ふかふかで心地いいそんな香り、それは俺が犬コロだからそう思うのか。


「こ、こら、首元に顔を埋めるんじゃないよ……」


「すー、はー」


ひだまりのような匂いだが、俺はそれが何なのか、確かめるべく何度も息を吸い込んだ。


「ひゅっ……」


その度にリツカの肩がピクンと跳ねるので、微妙に集中を途切れさせつつも、俺はとうとう匂いの正体に辿り着いた。


「そうか、これはお前の血の匂いだ」


「はぇあ……?」


顔を挟んで見下ろして、分かったことを伝えるが、リツカは完全にダメになっていて、ただ手のひらを温める以上の仕事は出来そうになかった。


「よくもぉ、こんなひどいことぉ、おのれぇ……」


その顔を見て我に帰る。


「抱きしめただけじゃねーか」


軽口を返してやる。


「だっ、だからっ、男性への耐性が無いのに、いきなりこんな事されて正気でいられるわけ、ないじゃないか……っ」


耐性うんぬんの話なのかこれは、いくら訓練しても成長できるとは思ないぞ、だってコイツそもそも人と関わるの苦手だろ。


と、怪しく思っていると。


リツカは髪を撫でて気を落ち着かせ、数回深呼吸をしたのちに、いつもの調子を若干取り戻して、やや声を震わせながらこう言った。


「ふう、まったく、うっかりサービスし過ぎてしまったよ、ボクの照れ顔なんて物凄い希少価値さ、せいぜいありがたく思うんだね」


動揺が隠し切れていない、よっぽどクリーンヒットしたらしい、照れ顔なんて見ようと思えばいつでも見られる気がするが、そんなことよりも。


「腹が減った」


視界が歪んでくるほどに。


「おっとそうだった、こんなことやってる場合じゃなかったんだ、ボクもさっさとお風呂に入らないと、いつまで経ってもご飯を作れない」


リツカはすくっと立ち上がり、すたすたと風呂場へ向かって行った。


その時に、彼女が通った道の跡に、残された香りの風味たちが、やはりどのように捉えたとしても、血の匂いだとしか考えられなかった。


少し、間をおいて。


「腹が、減ったからか?」


あの時抱きしめたのは、ひょっとして、アイツを食おうとしていたからじゃないのか。


そういう想像が出来てしまう。


血の匂いなんて普通はわからない、どこも切ったりしていないんだから、俺の鼻が良いだけかもしれないが、少なくとも今まで一回も無かった。


『美味そうだ』


なんて、人の形をした生き物に思う事は。


俺はすっかり気にならなくなった、生まれた時からそこにあったような馴染み方のシッポを、右手で撫でながら思考の海に沈んでいった。


グルグルと分からないことを考えるだけの、全くもって無意味な時間を過ごすべく——。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


真夜中の、街すら寝静まるような静けさに。


俺はひとり暗い部屋の中で起きていて、壁に背中を付けながら座り、窓の外を眺めている。


今夜は月が出ていない。


にも関わらず、俺の目は闇を見通している。


カメラの倍率を変えるが如く、距離に応じて自在にピントを合わせられる、非常に遠くの景色もハッキリと見られる。


落ち着いて自分の体の性能を、なかなか確かめる機会が無かったから、こうして改めて実感する。


俺は人間じゃないんだってことに。


初めからそうだったのか、何かのキッカケで目覚めたのか、色々パターンは考えられるものの、決定的な判断材料に欠けている。


「訳もわからず狙われんのか俺は」


昼間のアイツの言葉を思い出す、あの教会の黒服女、アイツは俺たちが危険であると口にした、処刑人が付け狙ってくるだろうと。


「……なんだそれムカつくな」


こっちはこっちで色々悩んでるんだ、急に暴走したりしないかとか、人が食料にしか見えなくなったらどうするとか沢山心配事があるんだ。


このうえ更に命さえ気にしなくちゃいけないとは、そんな話俺の手に負えないぜ、少し前までただの高校生だった男にゃあ。


「すー……」


向こうの布団で寝てるリツカだって、俺の悩みの種そのものなのに、本人は呑気に眠ってやがる。


「そういえば、一回も吸われてないな」


自分の首筋を撫でる。


元々そういう話だったはずだ、俺の血が飲みたいから一緒に住もうと、その代わりに家事をやってやるからと、そういう交換条件だったはずだ。


忘れてるだけなのか、俺が眠るのを待ってるのか、今まで二回血を吸われているらしいが、そのどちらとも俺の意識が無い時だった。


「……まあ、いいか」


俺は考え事を切り上げて、布団に横になった。


変な奴ではあるけれど、実際何度か助けられ、住処に飯まで提供してもらっていて、全く感謝がないわけではない。


そういうことだから、別に血くらい吸わせてやっても良い、そう思って俺は目を閉じる、慣れない布団に寝方を苦戦しつつ。


——すると。


「……ようやく寝たようだね」


モゾリという音と共に、リツカの布団の方から、俺の方に這い寄ってくる気配があった。


ザルすぎる、食欲に目が眩んだのか、布団に入ってからまだほんの数分だ、バレたくないのならば、普通もう少し時間を空けておくだろう。


「キミがいけないんだぞ、抱きしめたりなんてするからだ、そんなに美味しそうな匂いさせて、ボクを近付けたりするからいけないんだ」


何に対する言い訳なのやら、のそのそとゆっくり近づいてきて、俺の肩にそっと手を乗っけて、ゴクリと生唾を飲み込んでから接近する。


そうしていざ、喉元に噛み付かんというときに。


「——ッ!」


俺は物凄い速度で手を伸ばし、リツカの肩を思い切り掴むと。


「えっ!?キミ起きて」


が視界に飛び込む前に、横にぶん投げて距離を取らせてやった。


「うわぁっ!?」


吹き飛んでいくリツカ、そしてその直後。


——ピシッ、ドガァァァッ!


天井に幾つもの亀裂が入り、崩れ落ちる。


月の明かりが差し込まないこの夜に、無くなった天井から漏れ出す眩い光は。


「く、っ!」


沢山の瓦礫に紛れながら、迫り来る脅威を見極め、俺は寝たまま身を捻って蹴りを放ち、この胸を貫かんとしていた『剣』を弾いた。


——カァァン!


そのまま蹴りの勢いを利用して飛び起きて、降り注ぐ瓦礫の雨の隙間を抜け、穴の空いた天井を通って夜空に飛び上がる。


「わーーーっ!?」


リツカの首根っこを引っ掴みながら。


ガラガラガラガラッ!


轟音を上げながら崩れ落ちる部屋の天井と、その最中に見えた一人の男、そしてそいつの呟いた小さな台詞は、どんな音よりもよく俺の耳に届いた。


「——外したか」


途方もない殺意が篭った奴の言葉は、まるで喉元に突き付けられた刃物のように、薄ら寒い不気味さを俺に与えていた。


「お出ましだぜリツカ、あいつの言った通りに!」


鳥肌が立つ、この場を包むプレッシャーに。


——ダンッ!


黒い服のその男は、右手に携えた青白い剣を振りかざし、空に飛び上がった俺の元へ追い付いた。


「早……ッ!?」


そして、すれ違いざまに俺の右腕を、切り落としていきやがるのだった——。

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