りんごの剥き方は本で覚えたのさ。


「お邪魔してるよ」


どうってことの無いように言う女。


——バタン!ドシンドシンドシン!


『どうやって入ったんだ』とか『何しに来やがったんだ』とか、そんなことを尋ねるより前に、俺は靴を脱ぎ散らかしながら部屋に上がり。


——ガラガラガラ。


この六畳一間のボロアパート、布団の入ってる押し入れを引き開けて。


——チャキ。


「……え」


そこから取り出した拳銃を女のこめかみに押し当てて撃鉄を起こした。


——カチン。


「ちょっちょっちょっちょっ!?」


女が咄嗟に腕を押さえてくる、ちくしょう銃口が外れちまったじゃねえか。


ギリギリギリ、無理やり向きを変え引き金を絞る。


「ま、待つんだ!落ち着いてくれ!というかそんなもの何処から出てきたんだ!キミもしかして今ボクのことを撃つつもりだったんじゃ」


「ウルセー親父の誕生日プレゼントだよ、良いから大人しく撃ち抜かれろ」


「そんなプレゼント存在しないよ!あと簡単に言わないでもらえるかな!?知らないかもしれないけど頭撃たれるのって滅茶苦茶に痛いんだよ!?」


とっくみあい、もちくちゃに。


女は目元に涙を浮かべながら、必死の形相で抵抗しているが、いや確かに力は強めだけど、撃たれても平気な化け物にしては弱すぎる。


そのうちに。


——カチッ。


「あ」


——ズキューン!


「やべ」


——ガシャーン!


「ぎゃああああああーーーーっ!!!」


壁越しに、隣の部屋から聞こえる叫び声、このクソ薄壁のボロアパートに、弾丸を止められる防御力があるはずもない。


二人して汗水タラタラしながら、顔を見合わせて、それで火をつけたように我先一目散に逃げ出した、ドタドタと大暴れをやらかしつつ。


「どうして撃ったりしたんだ!」


「手がかじかんでたんだよ!!」


大揉めの、大喧嘩で、俺らは揃って窓から飛び出して、そしたらちょうど真下に警ら中のポリ公がタバコなんて吸ってる場面でいて。


「うそだろ……」


——ドシーン!


警察の真後ろに着地する俺達、そして奴の咥えたタバコの火種がポトリと落ちる。


「……」


「……」


三人して動きもしない、少し長めの沈黙が場を包んでいた、しかしそのうち奴が動き出す。


「なんだなんだ、なんだかよく知らないけど」


下を向きながらタバコの火を消して。


「ちょっと、署で話を聞かせてもらっても?」


こちらをギロリと睨んでそう言った、チャリチャリチャリと拳銃に弾を込めながら、どうやらヤベェ警官に見つかったらしい。


「すたこらさ!」


俺がどうするか考えてると、女がいちぬけぴしやがった、人並み外れた瞬発力をもってして、それこそ弾丸のように飛び出していった。


が。


——バキューン!


「み゜」


綺麗に後頭部を撃ち抜かれ、血の花をプシャーッと宙空に咲き誇らせ、女は顔から地面に滑り込んだ。


「急に動いたから、撃っちゃったじゃないの」


ハーとため息をつきながら、警官はブツブツと独り言を呟き出し、一発しか撃ってない弾倉を、使ってない弾まで抜いてリロードする。


「こんなだから俺ぁよ、嫁さんにも逃げられるし、嫌いな上司には穴開けちまうし、一服しようと思ったら邪魔されるし、ホントついてねーよなぁ」


カチャ、カチャ。


弾込めの音で我に返る、頭のおかしい警官にドン引きしてる場合じゃない、俺は半分転びそうになりながら走り出した。


「おい!置いてくぞ!」


それで倒れた女の横を通り過ぎざま、まさか死んでは無いだろうと思い話しかけ。


「こ、腰が……」


ああ、こりゃダメだと思って見捨てることにした。


風を残してすれ違い、路地裏から抜けて道路に出る、流石にここは人気が多い場所、あいつでもまさか銃をぶっ放すわけには。


——ダーン!


「い゛っ……でぇぇぇ!」


太ももを撃ち抜かれた、動脈があるとかないとか、確か保健の授業で聞いたような気がする、バカヤロー血管千切れたらどうすんだ!


「ああもう、また外しちゃったよ俺、だからちゃんと早寝早起きしろって言ってんのにまったく……」


「テメー俺の血液代ベンショーしろよこの野郎!」


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


「はぁっ、はぁっ……」


よろよろ、よたよたと走ってきて、俺はとうとう自分の限界ってヤツを悟った。


何たって血が足りない、撃たれたんだから、そんな状態でずっと走り続けられる訳がない、公園のところまで来て限界が訪れた。


「くそ、情けねえ、もっと足はえーぞ、本来はっ」


雪を掻き分け膝をつく、歩いた道がまるで試写会のフラッシュが照らすときのよう、さそや上等な一張羅が似合うだろう。


「あーやっと止まってくれた、えーと手錠何処だっけ、ああそうかタクシーで使っちゃったんだ、しょうがないからベルトで代用しよう」


ぜえぜえと、息を切らして這いつくばる、全然呼吸が整わないのが非常にヤバイ、このままじゃあこのイかれたポリ公に間違いなくバラされる。


なんで、ちょっと不良なだけのこの俺が、こんなわけの分からない死に方を、しなくっちゃあならないんだクソッタレ。


呪詛を、吐きながら。


昔、俺を捨てて出て行った母親を思い出しながら。


俺を除け者にしたアイツらとか、俺を白い目で見たアイツらとか、どいつもこいつもに怒りが湧き、自分がまるで燃えたような感じがして。


でも、指先は凍えるように冷たい。


警官は俺に拳銃を突き付けた。


逮捕は何処へ行ったやら、どうやらやっぱり撃つことにしたらしい『抵抗されたら困るから静かになってもらおう』とかほざいていやがった。


もうここまでか、諦めかけた時。


「——!?」


男が突然、俺から視線を外した。


その先に姿を現したのは。


「バカスカ人の頭撃ってくれちゃって、直近にトラウマが二件増えたじゃないか!」


あの、多分人ではなくなった妙な女が、額から血を流してブチ切れて、比喩表現ではなく『飛ぶように』こちらへ一直線に向かう光景だった。


——チャキ、ズドン!


躊躇なく、引き金を引く男。


人間の目では捉えられないスピードで、銃口から放出された死の弾丸は、この地上に生きる物が抗えない絶対的な暴力を孕んでおり。


それを、あまつさえ。


「——ハッ!」


パキィィン!


なんてこと、現実に、あり得るはずが無かった。


「やった、やっぱり出来た!」


あまりの常識外れな光景。


女は振り抜いた右腕を構え直し、脇を締めて、自分の体にくっつけて、そのまま懐に飛び込んで貫手を放ってみせた。


男は焦って弾倉を入れ替えてる、やっぱりアイツは何処かおかしいので、一発撃つごとに全弾込め直そうとする、その隙を女は見事に捉えていた。


……捉えていた、はずだった。


「なっ!?」


驚きの声を上げたのは女の方。


なぜなら警官は、突き出された貫手を、上半身を捻って躱すと。


——ガシ。


そのまま腕を掴んで抱え込み、腰に乗せて、頭上をグルンと一回転させながらぶん投げて、重力諸共地面に叩きつけたからだ。


——ドパァァン!


「か、っは……」


床に跳ねるボク女、受け身は取れていなかった。


「おいおいウソだろ……っ!」


——バッ!


すぐさま次の展開を察したこの俺は、あいつの体勢が整う前に、警官の元に走り込んで殴り掛かる。


「オラァッ!」


真後ろから殴り掛かったはずだった、しかし警官は身を屈めると、まるで突然下から巨木が突き生えて、俺の顔面をぶち抜いたみてーな蹴りを。


全体重を乗せて食らわせてきやがった。


「ぶっ、げ」


二、三メートルは吹き飛んだ。


鼻血だの血だの鉄の味だの、喧嘩の時に慣れた味が脳髄を刺激する、アドレナリンの噴出がとうとう臨界点を超えた予感がした。


「二人とも、お願いだから大人しくしてくれよ、だって俺偏頭痛持ってるんだよ、そんな人間相手に暴力振るうとか、公務執行妨害だよねえ?」


「うるせえッ!」


ポケットに隠した拳銃を構える。


——バンッ!


だが向こうのが撃つのが早い、俺は両肩を同時に撃ち抜かれ、手の中から拳銃が飛んでいった。


「ぐああああっ……!」


「そんな口聞いちゃいけません」


俺を向いたことで、背後を取らせた警官は、次の瞬間飛んできた氷塊に頭を撃ち抜かれ、ヨロヨロッと派手にリアクションを取った。


「女の子を投げたり撃ったりしたらいけません!」


叫ぶ女。


そして両サイドから二人して襲い掛かる、泣くほどいてーが怯んでちゃ殺られちまう。


俺は懐から護身用のナイフを取り出して、警官の首目掛けて振り抜いた。


だがしかし、相手は訓練を受けたプロの執行官、なんて美しい武装解除ディスアームだろう、俺は一瞬で腕を取られて投げられた。


そこへ女が蹴りを放つが、片足になって不安定になった重心を払われ、バランスを崩された。


——ドサッ!ドカッ!


二人して雪原に墜落する。


俺はそのまま腕の関節を折られそうになるが、まだ倒れたまんまのあの女が、寝ながら男の肩に向けて放った蹴りによって拘束が解かれた。


好機とばかりに起き上がり、男に掴み掛かる。


だが警官は俺の甘いグラップルをいなし、腹に膝を叩き込んでから首相撲で投げ、俺をほんの少し前線から遠ざけた。


女は姿勢を低くして、まるで獣の突進のように、あるいは水面を滑空する鷹のように、警官の足元を切り払いながら飛び出した。


が。


警官が真上から振り下ろした拳を合わせられ、そのまま勢いよく地面に沈められた。


「クソッ!」


俺は近くの雪を掴み、煙幕のようにばら撒いた。


ちょうど倒れた時に雪質を確認していた、この柔らかくてふわふわした雪だったら、上手く舞い上がって視界を塞ぐはずだ。


——バキューン!


そう思った矢先、頬を掠める何かの感覚と、顔を打ち付ける空気の圧力があった。


俺は自分が死にかけたことを理解して、しかし狙いが外れた理由に思い至る、なんせあの警官はこれまで一発も外してない、とすれば可能性はひとつ。


「その危ないの、いい加減手放したらどうかな!」


俺が目眩しを撒いたその隙に、死角に回ったあの女が、警官の後ろから飛び付いてしがみついていた、なんちゃってチョークをかましていた!


「よくやった!」


俺は傍に転がっている銃を探して、時間をかけずに拾い上げ、女を振り解こうと躍起になっているあいつに狙いを定めた。


しかし、まだ勝ちには早かった。


俺が引き金を引く直前、男は自分の胸に銃口をビタつけして、自分で自分を撃ちやがったのだ!


「な、なんだって……!?」


弾は至近距離で貫通する、たかだか警官の拳銃程度でも、密着状態の人間二人くらいなら、余裕で通り抜ける威力がある。


なんてことだ。


——ドサッ。


振り落とされる女、おかげで姿勢を下げられた。


——カチ。


撃鉄を起こす、今の弾は当たらなかったんだ、狙いをもう一度つけ直す、直前で動かれて急所を打ち抜けなかったんだ。


——バン。


「ぐ、ぁっ……!」


同条件での早撃ちなら、俺は奴に敵わない。


先に血を流したのは俺の方だった、手から遠くに拳銃が飛んでいく、派手に後方に倒れ込む。


あの女の介入を期待したが、あいつはどうもダメらしく、大の字で公園の地面に倒れたまま、ピクリとも動いていやがらなかった。


「ふう、痛いねほんと、今日で退職だったのに、明日から病院生活のはずだったのに、警官の前で悪いことするなんてバカだよなあ」


男はリボルバーを下に向け、シリンダーを回し、ため息をついてポケットに手を突っ込み、手首の返しで弾倉を飛び出させたあと、一発一発丁寧に弾込めしていった。


「コイツはちゃんと込めないと、何発残ってるか分かりもしてないと、大事な時に危ないからね」


——チャリ、チャリ、チャリ。


リロードを終えて。


「そう思うでしょ」


——カチンッ、チャキッ。


準備オーケー、構えてみせる。


「知らねええーーーよ、クソ冷ぇ、オマエ、クソ、霜焼けになっちまったらどーすんだ馬鹿野郎……」


俺は地面を力無く、何度か、気持ちを込めて、ドシン、ドシンと抗議するように叩き、ヤツの目ん玉を下から睨み付けてやった。


男は笑い、そのままトリガーを引こうとして。


「……いや」


取り憑かれたような顔になって銃口を下ろし。


「そうだ、忘れてた」


胸の傷に手を触れて、赤い手のひらを眺めて。


「俺、撃てなかったんだった」


白目剥いて、膝から崩れ落ち、公園に倒れ伏した。


「……おい、バカやろう、どうすんだよ、コレェ」


勝利の余韻だかに浸る間もない、俺はそのまま、多分人外のボク女と、自分で自分を撃って死んだクソバカ警官と一緒に、気を失うのだった……。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


「ねえボク、全然良いとこなかったよね?」


手術を終えて寝込んでるこの俺に。


りんごを剥きながら。


見舞いに来た奴用の椅子に座り、クソバカのアホ女が呑気にそんな事を言いやがる。


だから俺は、今残る全ての力を使い、まず真っ先に言わなくちゃいけない事を口にした。


「テメー、手は洗ったのか、それやる前に……」


「病院のアルコールかけてきたよ?」


「どうりで酒臭いと、思ったよ……」


こうして俺は、しばらく学校を休むことになった。

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