第8話 孤独を埋める

 建物の外に出ようと思った。ただただ、アンナの傍からできる限り離れたかった。

 エレベーターから玄関ホールまで出て、急ぎ足で自動扉を抜けた。


 外は暗く、俺は安心した。春の肌寒い風も心地良かった。

 そこで俺は気がついた。俺が自分を人間だと思い込んでいた理由の一端は、こうした人間らしい感覚器官があったからだと。

 人間は矛盾を内包する生き物だ。だから、秀樹の思想統制を受けて、記憶に少しの矛盾があっても、それが自身をヒューマノイドだと疑うきっかけにはならなかった。

 人間と同じものを食べ、同じものを触り、似たような感覚を持ち、似たような思考回路があれば、もはや人間とヒューマノイドの区別はつかない。


 一点違う点があるとすれば、主体性――自主的な意思や判断に基づいて行動を決定する態度――があるかどうかの違いだ。

 秀樹やアンナは、ヒューマノイドにそれは不要だと断定した。

 ならば、俺は一体なんなんだ? 人間にもなりきれず、ヒューマノイドにもなりきれず、俺は何者だ?


 風に当たりながら夜の港区を歩いていると、真っ黒な四輪駆動車がスピードを落として歩道の脇に駐車した。

「随分と辛気くさい顔をしているね」


 助手席から顔を出したのは、山川敦だった。

「……偶然か?」

「まさか。ずっと君が出てこないか、REX本社を仲間に見張らせていたのさ」

「仲間だと?」

「まあ、乗りなよ。一席しか空いていないけど」

 俺は逡巡してから、自分と同じ自我を持ったノヴァの存在を思い出して車に乗り込んだ。


 車には山川が言っていた仲間だろうか。運転席に一人、俺の隣に一人、既に席に腰掛けていた。

「……? こいつは、沙織の秘書か?」

 隣に座って無表情で正面を見つめているヒューマノイドは、以前、沙織と共にいた秘書のヒューマノイドであった。

 黒いショートヘアに、いやに顔立ちが整った若い男のヒューマノイドだ。とはいえ、表情筋の扱い方は苦手なようだが。


「そうだよ。誘拐してきたんだ」

「……なんの意味があるんだ?」

「彼は沙織のコレなんだよ」

 そう言って、山川は右手の小指を立てた。

「愛人?」

「正解!」

 その言葉と共に、車は港区の車道を走り出した。随分と丁寧な運転で、法定速度も守っていることから、運転手の性格が知れた。


「愛人って……、ヒューマノイドだぞ?」

「正確にはセクサロイドだよ。男性型のね。別に珍しくはないだろう? 今時、セクサロイド専用の風俗店なんていくらでもある」

「REX社代表取締役の愛人がセクサロイドとは、随分と徹底しているな」

「ははは! まったくだ。しかし、それは彼女の弱点でもある」

「……恋愛感情を持っているとでも言うつもりか?」

「イエス。言っただろう? 愛人だと」


 そのように見れば、隣に座っている秘書の造形はいささか整いすぎていた。

 身長はおよそ百八十センチ、大きな目にぷるんとした唇、欧米人のように高い鼻、長いまつげ……、あげればキリがない。

「これが、沙織の理想な男性像ってことか」

「彼女の場合、父親の政治的意図が絡んだ政略結婚だったからねえ。実際に夫と会うのは年に数回、しかも向こうは向こうで愛人を何人も囲っている。それに比べたら、随分とささやかなものじゃないか」


 孤独を埋めるために、ヒューマノイドを求める。

 アンナと同じだ。何故人は、誰かを必要とするのだろう。そして、その対象は必ずしも同じ人間である必要もない。現に、動物や植物に心を慰められる人もいる。


「しかし、そこまで大事にされているのなら、誘拐するのも一苦労だっただろう」

「そうでもない。所詮はヒューマノイドだ。ちょいと清掃員になりすまして、後は専用のコマンドを首元に流せばすれば、勝手についてくる。これがコマンド表だよ」

 助手席から放ってよこされたのは、随分と分厚いリングファイルだった。

 表には思い切り『極秘』の判が押されている。ちらりと覗くと、様々な状態に対応したコマンドが列挙されている。


 俺は自分の首の後ろをまさぐると、何かパネルを開けるような凹みがあることに気がついた。

 恐らく、これを開けると様々な規格に対応したポートが並んでいるのだろう。そこに、コマンド操作のプログラムを流し込んで、誘拐したということか。

 それにしても、このパネルの存在にすら今まで気がつかなかったとは、俺は自分が受けた思想統制に改めて恐怖を覚えた。


「ところでこいつ、さっきからピクリともしないが、ちゃんと動作しているのか?」

「電源は落としてある。そうしないと、彼の視覚情報からこちらの位置がバレるからね」

「……個人所有のヒューマノイドが得たデータの収集は『個人情報保護法』に抵触するだだろう」

「それを秘密裏にやってるのが、REX社という会社さ」


 何か違和感を覚えた。

 俺が自我を持っていることは、アンナも秀樹も知っていた。そして、二人ともヒューマノイドが自我を持つことには反対していた。

 にも関わらず、秀樹が俺をHRPの部隊長として使っていた理由はなんだ? 思想統制を受けていたとはいえ、ヒューマノイドの自我を『百害あって一利なし』とまで言い切る彼の判断にしては妙だ。


「俺も、監視されていたのか……?」

「正確には、観察、だろうね」

 俺の言いたいことを察したのか、山川はそう口を挟んだ。

「観察?」

「神谷秀樹はヒューマノイドが自我を持つことをヨシとしないが、その自我を完全にコントロールできるのであれば、問題視しないだろう。重要なのは、ヒューマノイドが製造者の手を離れないかどうかだ。君に受けさせた思想統制がどれだけ持続し、どれだけの効果を生むのか、君の言動を通してHRPのヒューマノイドに観察を義務づけていたんだろう」


HRPのヒューマノイドはその活動が外部に漏れないよう、スタンドアロンになっている。

推測するに、ネットに繋がっていない彼らの情報は、定期メンテナンスの時に回収されていたのだろう。


それにしても……。

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2024年12月12日 19:00
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アニミズム・コンプレックス - ANIMISM COMPLEX - 中今透 @tooru_nakaima

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