第7話 母さん

 到着音と共に、『二十六階です』というエレベーターの音声が聞こえた。

 エレベーターホールに出ると左右に通路があり、それぞれの通路に扉がずらりと並んでいた。

 すべて『ネットワーク管理部門』に関連する部署になっているはずだが、母さんはどこにいるのだろう。


 偶然、部屋から出てきたヒューマノイドをつかまえて場所を聞くと、『ネットワーク監視室』にいると返答を得た。扉の脇にかかったプレートを辿って目的の部屋を見つけると、意を決して中に入った。


 そこには大量のヒューマノイドがいた。

 大学の階段教室のようにテーブルとイスがならび、ヒューマノイドは肩を寄せ合いながらキーボードを一心不乱に打っていた。

 俺が入ってきた扉の位置からは、その様子が一望でき、ここが一番高い階層のようだった。

 右側に目を向けると、ヒューマノイドたちを監視するようなガラス張りの小部屋があり、そこには椅子に座った一人の老女がいた。


 母さんだ。

 白髪を後ろでひとつに縛り、右の頬から腕にかけて薄い火傷の痕がある。細い眼鏡をかけて、眉を寄せながら厚い書物を読んでいた。

 俺が近づいていくと彼女も気づいたようで、顔を上げた。俺の顔を見た途端、興味を失ったようにまた本に顔を落とした。


 小部屋に近づくと自動扉が開いた。部屋はこじんまりした作りで、横に長いディスプレイとキーボードがテーブルに置かれ、何冊かの本が雑然と積み重ねっていた。

「何か用かい?」と母さんは苛立った様子で言った。

「ああ……、えっと」と俺は口ごもった。「久しぶり。か、母さん」

 久しぶり、と言ったが俺は日本で母さんと会った記憶がないことに気がついた。


「おかしいねえ」と母さんは本を閉じた。「思想統制の影響で、私に接触しようという意識は上がってこないはずなんだけどねえ」

 憎々しげに悪意をまき散らす小さな老女に、俺は圧倒された。

「思想、統制?」

「誰に唆されたのか知らないが、お前は私には会えないはずなんだよ。私がそうインプットしたんだ」

「どうして、そんな……」

「どうして? どうしてだって?」

 母さんはいらいらしたような声を出した。虚ろな目は俺を見ていないように見えた。


「ヒューマノイドの分際で、製造者である私に疑問を持つのかい? どうせ、誰かに『オルタナティブ・ヒューマン計画』のことを教えられてここまで来たんだろう? そうでなきゃ、秀樹の飼い犬としてずっと満足していたはずだ。言ってみな? 誰に唆された?」

「山川、敦」

「ふうん」と母さんは興味なさげに相づちを打った。「そういえば、データベース部門の課長がそんな名前だったかね」

 俺が経緯を説明しようと口を開きかけたところで、母さんが先に言葉を発した。

「お前と山川の関係なんて、私にとってはどうでもいいことだよ。私からお前に言う言葉はひとつだけだ」


 母さんは本を再び開くと視線を文章に落として、投げやりな口調でこう言った。

「とっとと出てけ」

「……聞いてくれ、母さん」

 俺のすがるような言葉にも母さんは少しも反応を見せず、ただ本の頁を捲るだけだった。


「母さんの息子は、ジャックだけで、俺のことを息子だと見ていないのは分かった」

 母さん――アンナの言葉の端々からは、俺に対する拒絶があり、よそよそしいまでの言動は俺を壁のすみっこへ追いやるようだった。

 追い打ちのように、自身の言葉で心にヤスリをかけながらも、俺は必死になって言葉を探した。

「それなら、俺はなんなんだ? 一体どうして、俺は作られた? どうして息子の記憶を移植してまで俺を作ったんだ?」


 沈黙したまま頁を捲るアンナの姿を見て、俺の腹に怒りがふつふつと湧き上がってきた。

「答えろよ! すまし顔で自分だけが分かってりゃいいって顔しやがって! 人を作っておいて、後はほったらかしかよ! 説明するくらいは筋ってもんだろうが!」

 アンナの近くまで歩いて、テーブルに手を思い切り叩きつけた。

 アンナは鋭く舌打ちをすると、持っていた厚手の本の角を、俺の手の甲に思い切り叩きつけた。


「やっぱり、お前は私の息子とは大違いだ! あの子は破天荒なところはあったけど、優しくて、誰よりも友達を大切にして、私を気遣ってくれた……。だが!」

 本に込められる力がより一層強くなった。

「戦争が、私から息子を奪った! 命こそ奇跡的に助かったが、意識だけは戻らなかった!」

 ギリギリと本の角で手を押さえつけてくる彼女の力は、その気になれば振りほどける程度であったが、憤怒と絶望に満ちたがらんどうの目が、それを許さなかった。


「夫は息子がそんな状態にも関わらず、愛人をこさえて駆け落ちしやがった。夫も息子も失って、私は人間の弱さと現実の理不尽さに絶望した」

 厳しく、虚ろな彼女のささやきが耳に届いた。

 狂気の兆しはなく、寂しさだけがあった。


「そんな時だ。沙織から直々に計画の要請を受けたのは」

「……『オルタナティブ・ヒューマン計画』」

「そうさ。人間も現実も信じられなくなっていた私は飛びついたね。機械なら私を裏切らない。私の前から消えたりはしない。永遠に変わらない機械仕掛けのからくり人形! そこに息子の記憶を読み込ませれば、息子は帰ってくると思った」


 アンナの孤独は絶望から生きがいへ変わったのだと、俺は感じた。

 孤独が生み出す機械人形への熱意こそ、彼女の生きがいになったのだと。


「だけど、いざ作ってみれば、自我を持っていやがるじゃないか! しかも、息子と記憶を共有していながら、まったく違う性格になりやがって!」

 俺は泣きそうになっていた。しかし、泣けなかった。涙は生物の特権だった。

「私が欲しかったのは、息子と同じ記憶を持った、息子と同じように振る舞う機械人形さ。自我なんて必要ない。自我を持てば、また私の前から消えちまう……」

 アンナは力なく本を床に取り落とし、脱力するように椅子によりかかった。


「私はお前を失敗作とした。だけど、大臣……神谷秀樹は違った。お前の記憶と思考回路をいじって『日本浄化計画』に利用しようとした。おまけに、集団主義アルゴリズムまで組み込んで、自分に従順な犬に仕立て上げた」


 集団主義アルゴリズム。

 聞いたことがある。たしか、『自律思考型AI・アンゲルス』にも組み込まれている、他者との一体化を志向する主体性のない認識能力を付与するアルゴリズムだ。

 ヒューマノイドはこのアルゴリズムによって、配置された共同体に迎合的となり、自身に生命を認めながらも個としての自我を持たない存在となる。

 つまり、秀樹は俺に同じアルゴリズムを組み込むことで、自我を抑制していたのだ。


「大臣は私に計画を続けて欲しかったみたいだけど、やめちまったよ。何度お前のAIを初期化してやり直したと思ってる? いつだって同じ結果だ! 所詮私らは、脳の仕組みを完全に理解している訳じゃない! 私だって、希望があるなら続けてたさ!」

 それはまるで、何度も俺を生み出して殺し続けたと言っているようなものだった。


「俺は……、あんたの家族には、なれないのか……?」

「愚問だね」


 芯は砕けた。

 暗愁が体いっぱいに広がりを見せ、ガタガタと音を立てた。

 夜の原生林を一人彷徨い歩くような心持ちに、仄暗い恐怖を覚えた。俺は、当て所なく彷徨い歩く浮浪者だ。自失した心は、もはや拠り所を見いだせず、ただ暗闇に怯えるだけだ。


「お前は私の息子でもなければ、息子の代替品にすらならない、欠陥品さ」

 最後の一撃を受け、俺はゆらゆらとアンナから離れた。

 アンナに背を向け、彼女を視界に入れないようにして『ネットワーク監視室』から脱出した。

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