第6話 代替人間ロボット

 傷口に包帯を巻いて止血した後に、上着を羽織って傷が見えないようにした。

 HRPのヒューマノイドは、機能停止と同時にAIが初期化される仕組みになっている。ただのプラスチックの塊となったアクアを運んで車に戻り、俺はREX本社へと向かった。


 本社に着くと、三階にある『ヒューマノイド警備部門』へと足を運んだ。

 課長デスクにあるパソコンを立ち上げて、少し迷ってから山川からもらったUSBメモリを差し込んだ。

 これが、REX社のセキュリティ違反になることは分かっていたが、銃創の痛みと包帯にしみ込んだ青色の液体がそうしろと命じていた。

『ヒューマノイド警備部門』にはREX社員が働いていたが、多くは自我を持たないヒューマノイドであるため、誰も怪しむ素振りは見せなかった。


 パソコンからWebデータベースを開くと自動的に管理者権限で入ることができ、検索窓に『オルタナティブ・ヒューマン計画』と打ち込んだ。

 トップに『人工知能への記憶移植による代替人間ロボットの可能性 ――オルタナティブ・ヒューマン計画を通して――』とタイトルされた論文ファイルがヒットした。


 その論文の概要欄には、人工知能に人の記憶をアップロードすることで対象人物の知識・価値観・経験・嗜好など、人格を構成しうるすべての要素を獲得させ、政治学・経済学・医学・物理学・化学など諸々の分野に優れた人材をヒューマノイドによって再現する計画であると書かれていた。

 論文の執筆者は、計画の実行責任者であるアンナ・ホワイト。


 つまり、母さんだった。


 発汗もなければ、震えもなかった。動揺は決して表面化することなく、それこそ、俺の体がそのような動作を想定して設計されていないかのようだった。

 ただ、自身を不具だと感じた。孤独が夏の羽虫のように押し寄せてきた。


『プロトタイプ製造に伴い、西暦二一三三年十月十一日に植物状態と認定されたジャック・ホワイトを被験体とした。ジャック・ホワイトの大脳新皮質に固定化されたエピソード記憶を取り出し、人工知能に定着させた結果、その人工知能を搭載したヒューマノイドは自身をジャック・ホワイトと認識することが確認された。このヒューマノイドを『プロトタイプ型代替人間ロボット Type オルド』として、エピソード記憶定着による人格形成がどのように進行するのか……』


 そこまで読んだところで、俺はディスプレイの電源を落とした。

 代替人間ロボット。

 すなわち、オルタナティブ・ヒューマン。


 俺は自分の記憶に自信が持てなくなってきていた。

 ジャック・ホワイトは今から三年前の時点で既に植物状態に陥っていた。では、俺が持っているその後の記憶はなんなのか。

 母さんに懇願されて軍を退役した記憶は? 秀樹に勧誘されてHRPの部隊長になった経緯は? 

 そもそも、軍務に復帰することをあれだけ拒絶していた母さんのために退役したにも関わらず、HRPとして危険な任務に就いている時点で、矛盾しているではないか。

 現職の法務大臣が直接HRPへの参加を要請してきたのも、妙な話だ。


 何が現実で、何が作られた記憶なのか。

「……母さん」

 揺らぎだした頼りない記憶を元に、俺はデスクから立ち上がると、パソコンの電源を落としてUSBをポケットにしまった。


 俺のうろんな記憶では、母さんはREX社の『ネットワーク管理部門』の部長職に就いていたはずだ。

 フロアを抜けてエレベーターホールに辿り着き、『ネットワーク管理部門』がある上層階へ向かおうとするも、エレベーターのボタンが押せなかった。


 ボタンを押そうと腕を上げたまま硬直してしまった。

 足音を立てずに近づいてきた自失が全身を蔦で覆い尽くし、朦朧とした不安が指を止めた。

 指をあと一センチ近づければボタンは押せるのに、その一センチがあまりに遠くに感じた。


 マラソン選手が、酸欠と疲労と筋肉の痛みで、数メートル先のゴールテープを数キロ先に感じるように、俺は腕を伸ばすことに全身のエネルギーを使った。

 ようやくボタンを押すと、俺がそうするのを待っていたかのように、すぐにエレベーターの扉が開いた。のろのろとしたおぼつかない足取りで乗り込み、俺はエレベーターの冷たい壁に寄りかかった。


 寒いと思った。

 井戸の中からびゅうびゅうと風が吹き荒れ、その正体を確かめようと、じめじめとした石作りのふちに手をかけて覗き込もうとしている。暗闇の向こうを知らなければならないという義務感と、何か恐ろしいものがやってくるという確信が同時に訪れた。

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