第2話 プロトタイプ型ヒューマノイドロボット
「プロトタイプ型ヒューマノイドロボット・ノヴァ。彼女の脳器が盗難された」
男は、皺に辛苦と疲労の影を落としつつも、精力にみなぎった爛爛とした目を持っていた。
現職の法務大臣、名を
元々はREX社の代表取締役であり、現在は娘の
スキンヘッドの頭に、几帳面に整えられた濃い髭、細黒いフレームに彩られた長方形の眼鏡をかけた彼は、見た目だけ見ると四十代後半だが、実際の年齢は六十五歳である。
秀樹の言葉に応えて、彼の対面に座っていた沙織が壁にかけられたディスプレイの電源を入れた。
「盗難した者の特定は済んでいます」
沙織は真っ黒な後ろ髪を一つに束ねていたが、もみあげが伸びてきており、定期的にそれをすくい上げていた。既に四十二歳で結婚もしているはずだが、親子揃って若々しく見える。まるで、人魚の肉を食べたように。
「
ディスプレイに映っていたのは、監視カメラの映像だった。
脳器が保管されている隔離エリアに、日焼けした男が白衣を着用した女性にリボルバーを突きつけて侵入していた。
彼は監視カメラに顔を向けてわざとらしくニッコリと微笑みを浮かべてから、悠々と脳器を鞄に入れて出て行った。
映像はそこで途切れ、プツリとディスプレイが暗くなった。
「そもそも彼女の脳器に関しては機密事項だったはずだ。どこから情報が漏れた?」
「山川のパソコンからレクス・データベースへの無許可のアクセスが認められました。元々、彼の仕事はファイアウォールの管理とメンテナンスが主でしたので、極秘データへのアクセスも比較的容易だったのでしょう」
秀樹は考え込むように、こめかみをトントンと指の先で叩いた。
「しかし、目的が分からん」
「お聞きしても?」と俺は口を挟んだ。
「ああ、そうか。ノヴァについてまだ詳しく話していなかったな」と秀樹は前屈みになって手を組んだ。「ノヴァは、二〇三三年にプロトタイプとして製造された、REX社初のヒューマノイドであり『PHR-Nova』として発表された」
現在の暦が二一三六年なので、百三年前の代物だ。もはや骨董品だと思った。
「当時はまだ汎用型人工知能の研究が進んでいなかった上、ヒューマノイドも実用段階にこぎ着けるとは信じられていなかった。社としては、どのような現場でも一定の成果を出せる汎用性を求めてノヴァを開発したつもりだったが、何分、前例がないものだ」
「初稼働は『明かし』と呼ばれる介護支援センターだったわ」と沙織が言った。「彼女が得たデータを元にREX社はAI開発を推し進め、十年前に現在主流となっている『自律思考型AI・アンゲルス』を生み出したの」
現在、REX社が売り出しているすべてのヒューマノイドに搭載されているAI・アンゲルス。その原型となったのが、ノヴァということか。
「では、既にノヴァは役割を終えたのではありませんか?」
「本来なら、ノヴァは機能停止後に回収、科学博物館にでも提供するつもりだったわ」と沙織は言った。「ただ、回収されたノヴァに、自我が宿っている可能性があるとAI開発部門から報告が上がったの」
秀樹が大きなため息を吐いた。
「ヒューマノイドに自我が宿るようなことがあれば、生命倫理や宗教の観点で、世論の批判に晒される可能性がある。だからこそ、何が原因で自我が宿るのかを解析するためのチームを編成させた」
「しかし、百年も前の脳器……コンピュータとなると、老朽化が激しいのではありませんか?」
「いや、ノヴァは様々な可能性を模索するプロトタイプとして、常に機体と脳器のアップグレードを受けてきた。実際、今のノヴァの脳器にはアンゲルスがインストールされている。もっとも、AIに蓄積されたデータは丸ごとコピーして利用しているが」
「では、百年間蓄積されたデータに、自我を生み出しうるなんらかの要因があると?」
「解析班は、そう見ているけれど……」
沙織はそう言ってから、秀樹をちらりと見て口をつぐんだ。
「いずれにせよ、自我が宿ったヒューマノイドなど、百害あって一利なしだ」
秀樹はソファから立ち上がると、ロレックスの腕時計をちらりと見た。
「オルド」と秀樹は俺に声をかけた。「HRPを率いて、山川敦を捕縛しろ。ノヴァの脳器も傷ひとつ付けずに回収だ。手段は問わない」
「承知しました」
「『日本浄化計画』は道半ばだ。こんなところで躓いている訳にはいかないのだ」
秀樹はそう言い残して、社長室を出て行った。
沙織は秘書のヒューマノイドに何か指示を出してから、俺に向き直った。
「そういえば、HRPの隊長と会うのは、これがはじめてね」
いわれて見れば、俺は沙織と二人で話すのはこれが初だということに気がついた。
「HRP部隊長、コードネーム・オルドです」
「コードネーム? なら、本名は?」
「ジャック・ホワイト。元米国海兵隊、三等軍曹です」
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