第29話 謎の鍵を取り付ける

 翔太は話をそらし続けた。浦田はいい客であるから、逃したくないのである。ただ、ひとつだけ思う。これはカスタマーファーストか?このもやは晴れないでいる。心を覆う暗雲をゆっくり払いながら雑談を続ける。浦田が貧乏ゆすりをし始めた。暗雲は払っても払ってもまとわりついて翔太にささやく。カスタマーファースト?これが?笑えるね。浦田は静かにいらだっているように見える。翔太は間違えてしまった。額を伝うは、嫌な汗。

 その時、救世主が現れた。せんべい片手の救世主。

「浦田さん、爪が長くてきれいですね。伸ばしているんですか」

「坂口……」

「ああ、一応おしゃれには気を使ってるもんで」

 坂口の目の中に輝く光が現れた。浦田を照らすその光に、彼もいい気分になったようだ。ネイルにはまっていて、と浦田が貧乏ゆすりをやめて熱弁する。翔太は驚いた。まさかこいつ、俺の気持ちを察したのか?いや、まさか。この奇妙な青年が、そんなことをするとは思えない。底が見えない深淵が坂口である。

「最初は男がネイルなんておかしいと思ってたんですよ。お兄さんもそう思うでしょ」

「いえ、おかしなことは何もありません。僕も最近おしゃれというものに目覚めまして。今度ピアスを買おうと思っていて」

 よく見ると、坂口の少し長めのうねり髪の隙間からピアス穴の開いた耳が覗いている。俺、知らないんだけど。そう思ってから翔太は気が付いた。坂口が教えたがりの子供みたいになんでも、例えば鞄を買っただとか今日道で躓いただとか報告してくるので勘違いしていたが、坂口はただの従業員である。友達ではない。不思議と翔太は坂口と仲がいいと無意識に思い込んでいた。それだから、少しショックを受けている。それが信じられない。体の隙間に勝手に入り込まれていた。

 坂口がぱちぱち瞬きをしながら翔太を見る。坂口の瞬きは珍しい。彼はドライアイ一歩手前、崖っぷち。瞬きをしないのである。唇を一回とがらせてみて、首をかしげてみて、翔太に言う。

「今度一緒に選んでくださいよ。ピアス、どれがいいのかわからないので」

「な、なんで俺がそんなことをしなければならんのだ」

「萌音さんにアクセサリーでも。あなたにしかできない贈り物がありますから」

 萌音を思い浮かべる。最近、勉強を頑張っている彼女はきっと坂口のことが好きだ。にやり。翔太のその予想が大間違いであることを、誰も指摘してくれない。

「ところで、注文していた物はどこですか」

 目をそらす。今の翔太の気分は事件の犯人だ。しらを切ろうと思ったところで坂口が口を開く。ふさごうとした手はからぶった。

「まだ届いておりません。今は配達業も大変ですし、鍵を作っているところも大変ですからね。……と、知ったふりを僕はしていますが、実際は何も知らない」

 せんべいをかじるばきん、という音が響く。浦田が唖然としているのがわかる。

「向こうのメーカーの都合で明日にしか届きません」

 浦田の額に、汗。

「そんな!今ある鍵でいいのでどうにかなりませんか!お願いです店主さん!」

 ああ、どうしよう。浦田は焦っている。今ある鍵、と言われてもここは鍵屋であるが鍵メーカーではない。早く言えばよかったのかもしれない。怒ってレビューに星が一つだけ孤独に輝くことになったら困る。孤高の星は嫌いだ。

「明日伺いますので……」

「来るんですか!」

 浦田は叫んだ。どうしても今ほしいらしい。ただ、どうにもならない。

「見られて困る物があるわけでもないでしょうし、僕は犬さんが見たいです」

「そ、そうですね」

 明日は出張だ。レビューが心配だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鍵を 奥谷ゆずこ @Okuyayuzuko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画