隠し味


「キリヤ君、実は私……」


 私が口を開くと同時に、店の奥からバタンと戸が閉まる大きな音が響いた。裏口があるのだろう。キリヤ君が音の方に首を向ける。


「おとさんが帰ってきた。志乃ちゃん待ってて!まだ帰らないでね!」


 キリヤ君は私に念を押してから奥へと消えて行った。


「おとさん、おかえり。実はさっき」

「どうかしたのかい?」


 落ち着いた男性の声だ。おとさんとは、キリヤ君たちのお父さんだろうか。


「なっちゃんが迷子になって、送ってきてくれたんだ」

「そうか、礼をしないとね」


 親子の報告を聞くでもなく聞いていると、なっちゃんが私の前に置かれたままの京夏ずんだパンケーキをじっと見つめていた。


「お腹が空いてると、辛いよねぇ……」


 ずんだパンケーキを見つめるなっちゃんの声には切ない響きがあった。


 美味しそうなずんだパンケーキだが、私は「食べるわけにはいかない」のでなっちゃんに食べてもらうのがいいだろう。


「私の分、食べてくれる?」

「いいの?!」


 木のスツールの上で足をぶらぶらばたばた揺らしたなっちゃんは、丸い瞳をきゅるんと輝かせた。


「お願いするわ」

「やったー!」


 彼女の前に皿を置くと、さっそくパンケーキにフォークを突き刺した。ずんだスフレパンケーキと生クリームと甘納豆と黒蜜を全部突き刺して、あんむと頬いっぱいに詰め込んでもぐもぐする。


 いい食べっぷりを見守っていると、

 なっちゃんの頭の上に


 ────ぴょこんと灰黒色のタヌキ耳が一つ生えた。


「え?」

「おいひ~!」


 またなっちゃんが一口食べると、ぴょこんと反対側にタヌキ耳が飛び出す。


「え?!」


 私は目を疑うが、また一口なっちゃんがパンケーキを食べる。すると今度はなっちゃんのお尻から狸のもふもふ尻尾がぴょんと生えた。


「ど、どういうこと?!」

「志乃ちゃん、どうかした?って、あ!なっちゃん!隠し味の方も食べちゃったの?!」


 キッチン奥から戻ってきたキリヤ君の大声が店にこだました。


 なっちゃんは白と黒が混じった毛色の耳と尻尾を生やしたまま、にこにこパンケーキをほっぺいっぱいに食べ続けてる。


 私はあんぐり口も目も限界まで見開いた。


 なっちゃんの姿はどう見ても人間ではない。手足や顔は人間だが、もふもふの耳と尻尾がくっついている。


 その姿は、狸娘とでも言うのかもしれない。


「こ、ここっこれって、どういうこと?!」

「その……」


 キリヤ君が両手で頭を抱える。だが、なっちゃんはまだもぐもぐ美味しそうにしている。


変化へんげを見てしまったね、お嬢さん?」

「わ!」


 突然後ろに現れた気配に、私はぱっと投げの姿勢をとった。だが、彼もぴょんと後ろへ引いた。なかなか手練れだ。


 私の後ろに立ったのは、背の低い小太りの男性だった。毛が一切ないつるんとした坊主頭の彼は六十代くらいか。


 ポロシャツの下にぽてんとしたビール腹を見て、先ほど帰宅したおとさんだと予想がつく。私は構えを解かず、ごくりと息を飲んだ。


「まあそんなにピリつかないで、志乃さん。取って食いやしないから」


 おとさんはなっちゃんの隣のスツールに腰を下ろして、まだ食べ続けているなっちゃんのほわほわの耳を撫でた。


 おとさんの小さな目に促されて、私は再び椅子に腰を下ろした。


「なっちゃん、耳と尻尾が出てるよ」


 おとさんの撫でる手にくすぐったそうに身を捩ったなっちゃんが、ハッと今さら目を見開いた。


「え!どうして?!」

「キリヤが隠し味をしたパンケーキを食べただろう」


 なっちゃんの口からぽろりと、ずんだパンケーキが落ちた。なっちゃんは慌ててお皿の上に落ちたパンケーキを拾ってむしゃりと食べる。


 なっちゃんはやっと事態に気づいたらしく、もぐもぐしながら黒目を潤ませた。


「ど、どうしようおとさん、私……人前で変化しちゃった……ご、ごめんなさい」

「誰にでも失敗はあるよ、なっちゃん」


 パンケーキをごっくんしたなっちゃんから、ぼろっと涙が零れる。おとさんがなっちゃんのもふっとした尻尾を優しく撫でて、キリヤ君に目配せした。


「大丈夫だよ、なっちゃん。妹の失敗は許す!」


 キリヤ君が明々と声を上げると、なっちゃん狸が涙を拭いてありがとうと頷く。なっちゃんに耳と尻尾が生えただけで、三人は仲良しの家族に見えた。


 目の前でおかしな事が起こった。


 けれど私は、彼らを怖いものだとは思えなかった。ふと、暖簾に書いてあった言葉を思い出す。


『化け暮らしの休憩処』


 人から狸耳が生えた現象を目の当たりにしてからあの言葉を考えると、あやかしが人間に化けて暮らしていると考えが至る。


「化け暮らしって、何?」


 私の問いに、キリヤ君が咳払いしてから説明を始めた。今さら隠す気もないようだ。


「化け暮らしってのはね、半分人間、半分あやかし。俺やなっちゃんみたいな生き物だよ。人間に化けて暮らしてる」

「あやかしって、妖怪のこと?」


 私の動揺が収まらない声。丸い頭と丸いお腹のおとさんが静かに教えてくれる。


「人間からすればそういう認識で間違いないね。あやかしは通常、人間にも動物にも視えないものだよ。化け暮らしは見えるけどね」

「化け暮らしやあやかしなんて、本当におるん?」


 おとさんが私を小さな瞳で優しく見やって、なっちゃんの艶やかな灰黒色の毛並みをもふっと撫でる。ほらここにいるだろうと言うようだ。


「昔からずっといるよ。化け暮らしの起源をたどれば、人間とあやかしの間に生まれた子だ。地域の権力者には化け暮らしの血筋も多いよ」

「私、そんなんおるなんて……知らんかった……」

「すっかり上手に馴染んでいて、化け暮らし同士でも本性を知らないことが、よくある世の中だ」


 キリヤ君が軽く息をつきながら言った。


「みんな人間に嫌われたくなくて、必死に隠してるからね」

「ふわぁ~」


 お腹がいっぱいになったなっちゃんは、あくびをし始めた。私は動転していたが、なっちゃんはおとさんやキリヤ君に囲まれて安心しきっているのだろう。


 おとさんがのっそり立ち上がる。


「なっちゃん、お布団に行こうか。寝るまでおとさんが横にいてあげるから」

「はぁい」


 なっちゃんがぴょんと椅子から飛び降りる。振り向いたなっちゃんは可愛い人間の女の子の姿だった。耳も尻尾もない。


 彼女はまるで靴を履くように滑らかに人間に戻っていた。


「ばいばい、志乃ちゃん。また来てね!」


 無邪気に手を振るなっちゃんはカウンター横の暖簾をくぐって、奥へとことこ歩いて行った。


 おとさんもカウンターの向こうへ行き、キリヤ君の背中をとんと叩いた。


「キリヤ、お前の店で起こったことだ。この件は任せるよ。消し薬を使ってもいい。好きにしなさい。お前を信用しているからね」


 おとさんの穏やかな声にキリヤ君は頷く。おとさんは私にも声をかけた。


「志乃さん、不用意にこちら側を見せてしまってすまなかったね。なっちゃんを助けてくれた君には、恩義がある。君がこちらの世界を受け入れるなら、私は歓迎するよ」


 おとさんが小さな目でにこりと笑う。


 一片の敵意もないと、あえてきっちりと見せてくれたような印象を受けた。おとさんはたぷんとしたお腹を揺らして奥へと消えていった。


 キリヤ君と二人で店に取り残された私は、狐面を見上げた。


「消し薬って……何を消すん?」

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霧の都 化け暮らしの休憩処ー幼馴染の神隠し味パンケーキー ミラ @miraimikiki

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