京夏ずきんのずんだパンケーキ
狐面に単衣のキリヤ君はなっちゃんを抱きしめ、ひょいと軽々抱き上げた。なっちゃんの背を撫でて宥めながら、彼は慌てて私に頭を下げる。
「妹が迷惑かけたみたいでごめん!出て行ったことに全然気がつかなかった!」
「すぐ家が見つかってよかったわ」
素直に謝罪するキリヤ君は、その面妖な格好とは似つかず好青年の印象だ。
「なっちゃんを送ってくれて本当に、ありがとう」
なっちゃんを一瞬も責めずにひしと抱き留め撫で続ける手の優しさが、横で見ている私にも伝わって来る。
安心したのか、キリヤ君の首にぎゅっと抱きついて泣いてしまうなっちゃんが微笑ましかった。彼は普段から良い兄なのだろう。
格好だけで怪しいと決めつけたのは良くなかったかもしれない。
「じゃあこれで」
私がお暇しようと戸に手をかけると、背中から声が飛んだ。
「待って待って!えーとお名前は?」
「倉田志乃や」
「志乃ちゃん!お礼したいから座って!」
いきなり「ちゃん付け」に、普段なら注意を入れるところだ。だがなぜか、そんな気にはならなかった。
妹を一つも責めなかった彼にやましいところが一切ないからかもしれない。面妖なのに、彼は人と距離を寄せるのが上手だ。
「なっちゃんも志乃ちゃんと夜食パンケーキ、食べたいでしょ?!」
「食べたい!」
めそめそしていたなっちゃんはぐっと顔を上げて、くるんとした黒色の瞳を輝かせた。その変わりようにふっと笑ってしまうが、 私の意志は変わらなかった。
「私は遠慮するわ」
「そんなわけにいかないよ!」
「志乃ちゃん……一緒に食べよう?」
「う……」
大きな黒目を涙で潤ませたなっちゃんに、こてんと首を傾げてお願いされると私は胸がきゅんとして抗えなかった。
遠慮したい事情はあるのだが、子どものお願いは断るのが難しい。
「……なっちゃんの夜食が終わるまで付き合うわ」
私は檜のカウンター前に置かれた、足の長い木のスツールにしぶしぶ座る。なっちゃんも隣の椅子にぴょんと飛び乗って笑った。
「キリヤ君のパンケーキはいつも美味しいけど、志乃ちゃんと食べたらもっと美味しいよ!」
キリヤ君はキッチンに戻り、カウンターを挟んで私の前に立った。
「もちろんサービスだから!」
彼がにっと口元で大きく笑う。兄妹の朗らかさに、突っぱねて帰ることができなかった。
カウンターを隔てたキッチンで、ボールに卵を割り生地を混ぜ始めたキリヤ君の手元に目が惹かれた。キリヤ君の側に置かれた食材に見覚えがある。
実家で常備している京小麦せときらら。
その隣には、旬の京夏ずきん。
京夏ずきんは丹波黒大豆から生まれた、夏限定の枝豆のことだ。
どちらも「京の台所」の異名を持つ亀岡名産である。彼の食材の選び方には亀岡産への強いこだわりが見えた。
バターを敷いた黒いフライパンに鮮やかな若草色の生地がこんもりと小高く乗せられ、緩い火にかけられる。
「なっちゃんの好きな枝豆を混ぜた、ずんだ生地だよ」
「わ~い!って、ずんだって何?」
「枝豆をすりつぶして作った餡」
「ふ~ん?えっと、甘い枝豆だ!」
「だいたい合ってる!」
兄妹のふわっとした会話につい和む。フライパンの上で若草色の生地がゆっくり膨れ上がり、甘く焼ける香りが木の店内に濃く広がっていく。
ふくふく大きく膨らんだパンケーキを丁寧に飾ったキリヤ君は、なっちゃんの前にとんと皿を置いた。
「はい、京夏ずきんの狸ずんだパンケーキ!」
「うわ~!緑色パンケーキすごい!狸が描いてあるすごい!キリヤ君じょうず~!てんさ~い!」
京夏ずきんパンケーキを見て、なっちゃんは足をばたばた振って声をあげた。
若草色のパンケーキなんて初めて見た。
「いっただきま~す!」
なっちゃんがフォークでつんとパンケーキを突くと、ふわふわのずんだパンケーキがふるふる優しく揺れる。揺れるほど柔いのか。
緑いっぱいの夏らしく、色も生地も軽やかなスフレパンケーキ。
もったりした真っ白の生クリームとイチゴが添えられた、ずんだスフレパンケーキの上には黒蜜で狸の絵が描かれていた。
ずんだに、黒蜜。
和のパンケーキの味を想像して、私の口にも涎が染み出す。
「ふわぷる最高~!枝豆の味がするのにパンケーキなの~どうして~黒蜜に生クリーム、イチゴ!全部いっしょに食べるとおいひ~しあわせ~!」
さっきまで泣いていたのが嘘みたいに笑顔に溢れたなっちゃんが、ずんだパンケーキをもりもり食べていく。
「志乃ちゃんもどうぞ」
キリヤ君が私の前に置いた京夏ずんだパンケーキには、狸が描かれていなかった。
ずんだスフレパンケーキの上には白雪のような粉砂糖と、狸の代わりにごろんと大粒の甘納豆。
皿の端にはころんとした形の小さなミルクピッチャーが添えられ、中には焦茶色の黒蜜がたっぷり。
この焦茶色の黒蜜を、白雪が乗った若草色のパンケーキの上から、とろりとろりと垂らす瞬間を思うと喉が鳴った。
「あ、そうだ!志乃ちゃんにはなっちゃんを連れて来てくれたお礼に」
キリヤ君はまだ手付かずのずんだパンケーキの上で、塩をひとつまみ振りかけるような仕草を見せた。実際には何も持っていない。
「『隠し味』ね」
私が首を傾げると、またにっと歯を見せてキリヤ君が笑う。
「本当の自分に戻れるって感じ。さあ食べて」
美味しいおもてなしでほっと自分に戻ろう。よく聞くキャッチフレーズだ。そういう演出かと理解する。妹がいるからか、彼はサービス精神旺盛なのだろう。
「黒蜜だいすき~!たぬきの絵もカワイイ!食べちゃうけど!」
ものすごい勢いで食べ進めるなっちゃんの食べっぷりに、私は笑みが零れた。まだまだ食べられそうだ。
「亀岡に引っ越してきて。ここの食材が美味しい物ばっかりでさ。創作パンケーキにハマっちゃってたよね、俺」
キリヤ君が元気を取り戻した様子のなっちゃんに語り掛ける。
「のめり込んでたから、なっちゃんがお外に出ちゃうくらい寂しいのに気づくの遅れちゃったのかな……」
狐面をなっちゃんに向けるキリヤ君の声が、ふくらんだパンケーキの生地と対照的にしぼんでいった。全部食べ切ったなっちゃんがばっと顔を上げた。
「違うよキリヤ君!キリヤ君はいつも優しいよ。でも眠れなくて……転校して新しいお友だちできるかな~ってお庭で考えてたら、ちょきちょきー!って気持ちが止まらなくなっちゃったの。ごめんなさい」
「不安だったんだね。気づかなくてごめん。でもいつもなら言ってくれるのに、今回はどうしてちょきちょきなったの?」
「……わかんない」
二人は揃って首を傾げてちょきちょきが起こった原因を考えているらしい。結局、ちょきちょきって何だろうか。
「眠れない時はいつでも店に来ていいからね。俺は大体ここで何か作ってるから、試食してよ」
「え、いいの?!毎日起きちゃうかも!」
へへっと笑うなっちゃんの顔が柔らかく安心しきっていて、キリヤ君の受け答えはどこをとってもスフレパンケーキのようにふわふわ。
淡い橙色の灯りに包まれた和の空間とふわふわ甘い会話に、私の口角も自然と上がる。
しかし私は、こんなほっこりした雰囲気をぶち壊す進言をしなくてはならなかった。なっちゃんが食べ終わった今が言い時だろう。
「キリヤ君、実は私……」
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