リビングルームへ
ベッドの下から這い出た蛇のように長い白い腕の先で、五本の指がガッと開かれ准の足首に掴みかかろうとしていた。
「うわああああ!」
准は叫びながら地団駄を踏んで逃れようとし、成り行きで持ったままだった赤いビリヤード玉を白い腕目がけて投げつけた。玉は白い腕を貫通して床に当たり軽く跳ねた後転がっていく。
『きゃああああ!』
今度は花音が叫び声を上げた。
「どうした!?」
『タンスの後ろからまた出てきたわ!』
「腕か!?」
『ゴキよ!』
「ゴキちゃんはほっとけ!」
准は開けていた窓を勢いよく閉め、ぴょんぴょん跳ねながら白い腕のグリングリンくる猛追をかわし回り込んで入口に向かう。
ダン バチン カチャカチャ テン
室内のあちらこちらからラップ音が賑やかに鳴り響いている。まるで楽器の演奏会だ。
「うらああ!」
准は雄叫びを上げながら部屋の入り口に疾走し、廊下に出て後ろ手でドアを閉めた。廊下の吹き抜けに面した手摺りに両手を置き、乱れた呼吸を整える。まるでびっくり箱のような部屋だった。この前見た時とまるで違う。
「はあ。はあ。疲れた」
『信じられないわ。私の部屋にあんなものが』
「白い手のこと言ってるよね」
『黒いやつよ』
「なんか外にも人いるし。首吊りしかけてたぞ。なんなんだよ」
『今日はもう帰りましょ』
「いや今日帰ったらもう来れるチャンスたぶんないぞ。それにあんたの家はここだろ」
『知らないわ』
「さっきの白い手、撮影できたらすごかったんだけど」
『帰るわよ』
「帰らないって」
准は手摺りから手を離し顔を上げる。
タッ タッ タッ
廊下を走っていく足音が聴こえ、准はライトを向けた。何もいない。
前に来た時もすごかったが、今日はさらに現象が多発している。あまりにも頻発するので段々感覚が麻痺してきた。
「花音」
『なによ』
「次はどこに行く?」
『好きにしなさい』
「あ、そうだ」
准は廊下を進み、階段を下りていった。一階に着き、階段の横を通って裏に回る。狭いスペースに敷かれた赤いカーペットをライトで照らした。
「ここ」
『なによ』
「地下があるだろ」
『そうね』
「棺桶がいっぱいある部屋だ」
『あるわね』
「あの部屋何なの? 花音なら知ってるんじゃない?」
『知りたい?』
「知りたい」
『教えてあーげない。べー』
「は?」
准は腹が立った。
「なんだよそれ。教えろよ」
『教えてくださいお嬢様、でしょ』
「教えてくださいお嬢様」
『教えてあーげない。べー』
「っつ、てめえ」
『前にあなたあの部屋に入ったでしょ』
「ああ。禁止されてたんだけど」
『私が呼んだのよ』
「花音が呼んだ?」
確かにあの時准はなにかに導かれるようにして地下に入った。地下に着いた時も、部屋のドアが勝手に開いたはずだ。そして部屋の中には子供のような大きさの影がいた。そして棺桶の中にドロップ缶を見つけた。
『感謝しなさい』
「感謝?」
『私がいなかったら死んでいたのはきっとあなたよ』
「俺が死んだ? どういうこと?」
『あの時あなたも音を聴いたでしょ』
「音? なんだ?」
『ドクッ、ドクッ、って』
「ああそういえば」
『私があなたを地下に避難させたの』
「つまり俺を助けてくれたのか?」
『あなたが澤屋と似ていたから』
「ありがとう」
『ふ、ふん』
「だけど代わりに昇が死んじった。あのドクッて音が関係あるのか?」
『奴らの兆しね。もしまたあの音を聴いたら、すぐに逃げなさい』
「わかった。教えてくれてありがとう」
『ど、どういたしましてよ』
花音の話では、地下は昇の死の原因とは関係なさそうだ。だけどやはり気になる。一体あの部屋は何なのだろう?
もし仮に地下室を調べるにしても、それは最後だ。松丸に地下室に入ったことがばれたらイベントが中止されてしまう。
階段裏から移動して吹き抜けのほうに出る。一階に戻ってきたので、下から調べていくことにする。
准は待機部屋であるリビングルームのほうを向いた。トラウマがある場所。しかし通らなければいけない道だ。現実と向き合わなければいけない。
『どうしたの、雨宮』
「ああ。躊躇ってるみたいだ」
『友人があの部屋で亡くなったのね』
「ああ」
『怖い?』
「ああ怖い」
『逃げる?』
「いや、逃げるつもりならこの屋敷に来てない」
『判断はあなたに任せるわ』
「スペシャルサンクス」
准は待機部屋のほうへ進み、ドアノブに手をかけた。
深呼吸を繰り返す。
体が拒絶反応を起こしている。准はそれに抗い、意思の力でねじ伏せた。
ドアノブを回し、ドアを開ける。
室内をライトで照らした。
中でタキシード姿の男が立っていた。男は優しく微笑みながら食卓に白いティーカップを置いていた。
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夜陰-YAINN- さかたいった @chocoblack
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