パニック

 赤いビリヤードの玉が廊下を転がってきた。玉は准の一メートルほど手前で停止した。准はライトで玉を照らして様子を見るが、その後は何も起こらない。

 この玉はどこから転がってきたのか。どうやって転がってきたのか。廊下の向こうに誰かがいて転がしたわけじゃない。誰もいないのだ。早速発生する不可解な現象。

 屋敷の外では不審な輩が徘徊している。起こるならせめてどっちかにしてほしい。自分は静かに暮らしたいんだ。

 准は赤い玉を拾い上げる。あたりまえのように仕掛けなんてない。今度玄関のドアをガタガタ鳴らす奴がいたらこいつを投げつけてやろうか。

『雨宮』

「おいっす」

『その部屋に入って』

 リュックサックで准に背負われている花音が指示をした。

 准は二階の廊下の突き当たりにいる。正面から見て左側の二階。すぐ傍にドアがある。准はそこが何の部屋か覚えていた。このビスクドールが元々置いてあった女の子の部屋、つまり花音の部屋だ。

「おおせのままに」

 准はドアを開けた。

「うっ」

 部屋の中から異様な空気が漏れ出してきた。冷たくて、そして言葉では表現しづらいがすごく嫌な感じがする。入ることが躊躇われた。しかしそこをあえて行くのが心霊動画配信者だ。今はもう廃信者だけれど。

 准はライトで照らしながら室内に進んだ。

「えっ?」

 天蓋つきのベッド。高価でメルヘンチックな家具たち。そのどれもかれもが痛み風化していた。埃とカビ臭いもする。華やかな印象が失われていた。

 前に准がこの部屋に入った時は、異常なほど綺麗だったはずだ。生活感を感じられないほどに。それがこの短期間でなぜここまで荒んでしまったのか。

「花音」

『なにかいるわよ』

 ライトの先で黒い影のようなものが動いて消えた。


パチッ カチッ タン トトン


 ラップ音が続けて鳴り響いた。部屋の中に複数の気配を感じる。

「ずいぶん賑やかだこと。花音がいない間に巣食ったのか?」

『この家に引き寄せられているようね』

「今ネットで持ち切りだからなこの家。念が集まってきたのかも」

『ベッドの下に気をつけなさい』

「ベッドの下?」

 言われて准はベッドを照らす。床とベッドの隙間から青白い腕が覗いていた。

「うわぁ!」

 准は驚いてライトを落としそうになった。白い腕は隙間の陰に引っ込んでいく。

「本物じゃんか。人間じゃないよな。やばいぞ」

『やばいわね』

「お嬢様がやばいとか言うな。キャラぶれるぞ」

『うるさいわよ』

「この部屋にいるんじゃないか? 昇を殺した奴」

『どうかしら。わからないわ』

 准は意を決してベッドの下を覗いてみたが、その隙間に人間が潜んでいるようなことはなかった。あの白い腕は生きている人間のものではない。

『きゃあああああ!』

「うわあああ!」

 突然花音が叫び声を上げ、准もそれに驚きつられて叫んでしまった。

「なんだよどうしたんだよ。びっくりするだろ」

『い、いるわ! あのタンスの角!』

「なにが?」

『黒いわ!』

「黒いのか。なにがだ?」

『ヒクヒクしてるわ!』

 准は花音が言った箇所をライトで照らした。確かに黒いのがいた。触覚がヒクヒクしている。

「なんだゴキちゃんじゃんか」

『命令よ雨宮! 今すぐ退治しなさい!』

「気にすんなって。あんなの気にしてたら廃墟探索なんかできないぞ」

『ア・マ・ミ・ヤ!』

「はいはい」

 准はベッドの上にあったクッションを一つ手に持った。

『ちょっと何してるのよ』

「なにって、言われた通りこのクッションで退治を」

『素手でやりなさいよ』

「いや俺もさすがに素手は無理だぞ」

『早くしなさい!』

「じゃあこの花音の人形を使って」

『あなた呪い殺すわよ』

「呪い殺すなよ」

 そんな問答をしている間に黒いのはタンスの奥の隙間にすすっと逃げてしまった。

『あーもう最悪よ!』

「べつにいいだろ。ほっとけよ」

『うわああああん!』

「泣くなって」

 さっきからなにかと忙しい。独りの心細さはないとはいえ、このお嬢様も手間がかかる。これだけ騒がしいと霊も引くかもしれない。ベッドの下の白い腕も出てきづらいだろう。

「この部屋はもう出るか」

 なんだかもう疲れてしまって、准は部屋の入り口に向かった。


ガサガサ ガサガサ


 これまでのラップ音とはまた質の異なる音が鳴った。准は振り返って部屋を観察する。


ガサガサ


 なにかが揺れて擦れるような音。室内からではなく屋敷の外から響いていた。

 先ほど玄関前にいた男の仕業だろうか?

 准は部屋の中を進んでいった。奥に窓がある。その窓を開けた。

 外をライトで照らして確認していく。塀の内側の敷地内を見るが、誰もいない。下はこの前准が落ちていたビスクドールを拾った辺りだろう。


ガサガサ


 また音が鳴る。准はライトを敷地の外に向けた。

 木々が生い茂る森の縁に、人がいた。女のようだった。木の枝にロープが結ばれている。ロープの下側は輪っかになっていた。女はその輪っかに顔を近づけていく。

「おい!」

 准は女の耳にも届くように大声を出した。女は構わず輪っかに首をかけようとする。

「やめろ! 何してんだあんた!」

 准はライトの光を左右に動かして女の姿を明滅させる。そこで女はようやく迷惑そうな顔をこちらに向けた。

「何してんの! やめとけよ!」

 咄嗟で語彙が浮かばずに准は同じような言葉を連発させる。

「せめてどっか行ってやれよ! 俺が見てるところでやんな!」

 何の慰めにもならない自分勝手な言葉をかける。とにかく声の迫力だけが頼りだ。女は怖い顔で准のほうを睨んでいた。

 さっきの妙な男といい、どうなっているんだ? この屋敷に集まってきているのは霊だけではないらしい。

「ほらもう行け! どっか行け! 家帰れ! カップラーメンでも食って元気出せ!」

 准の大声が静かな闇夜にこだまする。

 准の言葉を聞き入れたのかどうかわからないが、女がその場から立ち去った。

「おい待て! ロープ解いてけよ!」

 女は木に結んだロープをそのままにして姿を消した。あまりにも物騒なものが残されてしまう。

「ああもう。くそ」

『雨宮』

「なんだよ」

『後ろ』

 准は振り返って花音のものだった部屋を見た。

 ベッドの下の隙間から蛇のように白い腕が長く伸びていて、准の足首に掴みかかろうとしていた。

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