第三夜・『再訪』山梨県T邸
不審者
時刻午後八時。
准は再び夜陰の松丸、そして洋館T邸と対面した。しっかりとイベントの予約をして、料金も支払ったのだ。断られる理由はない。
「よくまた来ましたね」
性懲りもなくというように松丸が言った。
「お前の狐面が恋しくなってしまってね」
「そういうふうには見えませんが」
「ちょっとそのお面取ってくれない?」
「お断りします。シャイなので」
松丸は用紙を挟んだクリップボードを准に差し出した。
「わかっていると思いますが、誓約書をよく読んでご了承いただけるならサインのほうをお願いいたします」
「もし死んだら化けて出ないでね、って項目は追加しなくていいのか?」
准は松丸を煽り続ける。
「検討しておきましょう」
松丸は挑発に乗ってこない。
准は誓約書にサインをした。
「ありがとうございます。今日は雨宮さんお一人なんですね」
「なにか問題が?」
「いいえ。ただお一人で泊まりにくるお客さんは非常に稀なので。大抵は五人か六人ぐらい。少なくてもお二人」
「ぼっちで悪かったな」
「いいえとんでもない。今日は撮影もされるんですよね」
物件の撮影をする場合、追加料金がかかる。動画をネットでアップする前に夜陰側で一度映像の確認作業が入るためだ。准は今日動画の撮影をするつもりはない。ただ撮影をしない場合夜陰のイベントでは翌朝までケータイやスマホを預けなければならないのだ。今リュックサックの中にいるあの子と会話する手段がなくなってしまう。そのため准は撮影許可分の料金も支払っていた。
「ぼっちで撮影しちゃ悪いっすか?」
「いいえ。物件の部屋や曰くの説明などは必要ですか?」
「必要ありません。松丸さんは今すぐ帰っていただいて構いません」
「それはありがたい」
松丸は指でつまんだものを准のほうに差し出した。
「玄関の鍵です。もう一度注意しておきますが、地下は立ち入り禁止です」
「わかりました」
「なにか質問はありますか?」
「お前のおしめはいつ取れたんだ?」
「ないなら僕は帰ります。良い夜を」
松丸は立ち去って自分の車に乗り込んだ。おそらくしばらくはそこで待機しているだろう。
准は今日ぼっちではない。頼もしい相棒が一緒にいる。ビスクドールに宿った女の子の霊。東城花音。この屋敷の娘。
門を開け、敷地の中に入った。ライトの光で洋館の外観を照らす。二階の窓でススッとなにかが動いた。
会いたかったよ、T邸。
焦がれていた。
この恐怖に。
ドン! ダッダッダッ
建物の内部から音が鳴った。今日も賑やかだ。楽しい夜になりそうだ。
『怖いわ』
スマホから合成音声が流れた。
「それが正常だ」
准は玄関のドアの前に立った。上部に取りつけられた監視カメラがこちらを向いている。准はそちらに向かってにこやかにピースをした。それから鍵を開け、中に入る。
漆黒の暗闇が迎えてくれた。
准はリュックサックの縁から人形の顔を出した。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
『ふん』
准は玄関のドアを閉め、鍵をかけた。
しんと静まり返った空間。准はもはや見慣れた吹き抜けのエントランスをライトで照らしていく。
豪華なシャンデリア。赤いカーペット。
階段の下にいる倒れた人。
「えっ?」
『きゃあああ!』
「うおいっ!」
花音の叫び声のせいで准は二度驚いた。
ライトで倒れている人を照らす。ずいぶんと肌が白い。よくよく見ると、それはマネキンのようだった。女性型のマネキン。夜陰の動画で見たことがある。勝手に動き出すという曰くのあるマネキンだ。それがどうしてここに。前は無かったはずだ。他の物件からここに移したのだろうか。あの狐野郎め。
『怖くないわ。怖くなんてないわよ』
それは明らかに怖がっている人間の言い分だった。どっちが霊だかわかったもんじゃない。
准はマネキンはそのままにしておくことにした。
エントランスでは他に変わりはない。どこから回ろうか。
准の意識は右手側にある待機部屋に向いたが、そこはまだ行きたくない。トラウマがあった。首のちょん切れた昇の遺体を発見した場所。この屋敷で一番安全な場所だと思っていたが、そうではなかった。事はその部屋で起こった。
「花音」
『なによ』
准はAIアシスタントを通して花音と会話する。
「どうすればいい?」
『知らないわよ』
「ここあんたの家だろ」
『昔のことでしょ』
「花音が言ったあいつらは? 昇を殺した奴らはどこにいる?」
『わからないわ。気配が多すぎて』
「この屋敷そんなにいっぱいいんの?」
『うじゃうじゃよ』
「花音は霊感があるんだ。それとも同じ存在だからわかんの?」
『知らないわ。とにかくすっごい増えてる』
「増えてる? 他から寄ってきたのか?」
『知らないって言ってるでしょ』
花音の機嫌が悪い。怯えているようだ。
このままエントランスに突っ立っていても仕方ないので、一通り部屋を回っていくことにする。まず待機部屋の反対にある遊戯部屋に向かった。
ドドドドドン!
『何!?』
強烈な物理音が鳴り響いた。玄関のほうからだ。
ドン! ドン! ドン!
玄関のドアが乱暴に叩かれている。外から。
「なんだ?」
松丸だろうか? 外でなにかあったのか?
その後も音が断続的に鳴り続ける。准は玄関のドアに接近した。
すぐ外に人の気配があった。荒い息遣いも聴こえる。霊障ではない。
准はここでドアを開けることは危険な気がした。かと言って無視して探索を続けることもできない。
准は回れ右をして吹き抜けの階段を上がっていった。踊り場を通り抜け二階に上がる。二階の廊下を突っ切って突き当たりの窓まできた。
その窓を開ける。柵がついていて見にくいが、准はそこから下の玄関前を見下ろした。
知らない男がドアの前にいた。拳でドアを叩いている。何をしているんだ?
「おい!」
准は二階から男に向かって声をかけた。
男が准のほうを見上げた。目が血走っているように見える。
「何やってんだあんた。警察呼ぶぞ」
男は何も答えない。ただ黙って准のほうを見上げている。不気味だ。
やがて男は立ち去った。門から出ていくのではなく、屋敷の敷地に沿って回り込むように歩き出した。
「おい、どこ行くんだお前」
男は角を曲がって准の視界から消えた。
准はどっと嫌な汗をかいた。初っ端から強烈だ。
前にも屋敷の前で狂気的な男女を見かけたが、なんなんだこいつらは。
松丸はまだ屋敷の前の車にいるはずだ。なぜ不審者を見過ごしているのか。
准は松丸に電話をかけた。しかし何コール鳴っても松丸は電話に出ない。あいつは無視を決め込んでいる。
「くそがっ」
『品のない言葉ね』
不審な男が建物の周りをうろついているなんて、かなりのストレスだ。そのうち中に入ってくるかもしれない。
『雨宮』
「なんだよ」
『後ろ』
准は後ろを振り返った。
廊下の先からこちらへ向かって赤いビリヤードの玉が転がってきていた。
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