スワンボート

 昼下がりの麗らかな日和。准は中央に大きな池のある公園にいた。

 背中にリュックサックを背負っている。その上部からビスクドールがちょこんと顔を出している。まるで小さな女の子をおんぶしているような状態。「お母さん、あの男の人人形をおんぶしてるよ」「見ちゃ駄目よ」状態。

「くっそう」

『どうしたの?』

「なんでもねえよ」

 文句は言わない。これも目的のためだ。

 日曜日のため、人通りが多い。木々の間を縫う散策道を歩いていく。

 日差しは暖かく、風も涼しくて気持ち良い。のんびりとした午後を味わえる。

 池のほうに近づいた。

『なにか浮いてるわ。何かしら?』

 花音が興味深げに疑問を口にした。水面に浮かびながらすいすい進んでいる鳥がいる。

「カモだろうな」

『カモ。あれがカモなのね』

「知らなかったのかいお嬢様」

『私のことを馬鹿にする気?』

「いいや」

 花音は生前あの屋敷からあまり出ることがなかったのではないか。足が不自由だったということだし、きっと金持ちの娘だろうから過保護に育てられた。学校にも行っていなかったかもしれない。

 昨夜花音に公園に行きたいと言われて、准はその理由を考えた。彼女はきっと外の広い世界を見ることなく亡くなったのだ。准はその境遇に同情した。だから、彼女の望みはできるだけ叶えてあげたい。彼女がまだ成仏できずにいるのも、やりたかったことがあったからではないか。

『あそこにも大きなカモがいるわ』

「あれはカモじゃなくて白鳥。しかもボートだ。人の乗り物」

『乗れるのかしら?』

「乗れるよ」

『あなたがそこまで乗りたいって言うのなら乗ってもいいわよ』

「そうだな。乗りたい。でも後にしよう。あっちに動物園みたいのがあるぞ」

『動物園? 何の動物がいるのかしら?』

「ワクワクするかい?」

『ちょ、ちょっとだけよ』

 素直じゃないなあ。でも子供らしいところがある。

 准は入口でチケットを購入する。大人一枚に、だ。スタッフがちらちらと准が背負っている人形のほうを見てきた。

『立ってるわよ! あの動物立ってるわよ!』

 花音が興奮気味に声を漏らした。人間のように二足で直立する動物がいたのだ。

「ミーアキャットだな。俺もあんまり見たことない」

『どうして立っているのかしら?』

「立ち見席しか取れなかったんだろ」

『あっちにも立っている動物がいるわ。しかも服を着てる』

「あれは飼育員さんだろうぜ」

 准たちは進んでいく。水場にいる黒と白の動物が見えてきた。こちらもまた二足でぺたぺた歩いている。

『あれは私も知っているわ。ペンギンね。実際に見るのは初めてよ』

「知ってるか? ペンギンって蕎麦をすすって食うんだぜ」

『まあなんてこと! 見てみたいわ』

「いや嘘なんだけど」

『あっちにいるのはシカさんね。何を食べるのかしら?』

「オムライスが好物だ」

『それは奇遇ね。私も澤屋が作るオムライスが大好きよ』

「じゃあ今度作ってやるか」

『キャー! あの白いモコモコしているのは何?』

「ん? なんだあれ? ああシロフクロウだってさ」

『顔が無いわよ。のっぺらぼうかしら?』

「フクロウは首がよく回るからな。ほらこっち向いた。めっちゃ眠そうじゃねえか」

 その後も准たちは園内を見て回った。人形の入ったリュックサックと合成音声との会話。周りから何度も好奇の目で見られたが、准はもはや気にしなかった。まあ最近は自撮りしながら一人で喋って歩く輩も多いものだ。花音が楽しんでくれたならそれでいい。准も意外と楽しかった。心霊スポットばかりではなく、たまにはこういう場所もいいもんだ。

 公園に戻ってきて、約束通りスワンボートに乗る。シートに座るとリュックサックからビスクドールを取り出して隣に置いた。

「落ちるなよ」

『私泳げないわ』

「怖いのか?」

『怖くなんてないわ』

「素直になることも大切だぞ」

『怖くないのよ』

「そうか。ならいい」

 准はペダルでボートを漕ぎ出した。ハンドルがついていてそれで左右の操作をする。

「このボート。カップルで乗ると別れるって曰くがあるらしい」

『それなら安心ね。私たちカップルではないから』

「そんなに俺と一緒にいたいのか?」

『何言ってるのあなた。私が仕方なく一緒にいてあげているのよ』

「そうか。でもいつか別れの時が来るだろう?」

『やめて』

 准は隣に座っているビスクドールを見る。どことなく悲しそうな表情だ。

 花音は死して霊となった存在。普通の人間のように生活することはできない。彼女の好物のオムライスも、ハンバーガーも食べられない。ただこの世を彷徨い続けている存在。

 准は人形の頭を優しく撫でた。

「俺が悔いが残らないようにしてやる。できる限りの花音の望みを叶えてやる。だから」

 准は人形の目から流れ頬に伝った雫を指で拭き取った。

「泣くな」

 准は人形を抱っこして、優しく胸に抱いた。

 彼女の悲しみが伝わってくる。

 一人のいたいけな女の子。

 すごく頼りなくて。儚くて。

 強く握ったら壊れてしまいそうで。

 今にも消えていってしまいそうで。

 准はそんな彼女を包み込んだ。

 散ってしまわないように。


 西の空に日が沈んでいく。

 日が沈み、夜が来る。

 橙から紺へ。

 夜の時間だ。



 数日後、准は闇夜にそびえ立つ洋館T邸の前にいた。

「こんばんは」

 あの日のように狐のお面を被った松丸がいた。

「こんばんみー」

 准がおちゃらけた挨拶を返すと、狐面の松丸は少しムッとしたようだ。お互いに会いたい相手ではなかった。だけど今日ここですることがある。

「ようこそ夜陰へ。良い夜をお過ごしください」

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