後から来た

 夜、准は自宅にいた。テーブルにカメラを置いて録画を始める。撮っているのはソファの上に置いたビスクドール。それとその横のスリープ状態のスマートフォン。

 動く人形、そして霊との会話なんて、まるで夢のようだ。好奇心が疼き、准はいつもの要領で撮影をしてしまう。

「あなたのお名前は?」

 准はカメラの後ろから、人形に向かって問いかけてみた。

 反応はない。室内は音もなく静かだ。

「私とお話することはできますか?」

 花音は黙ったままだ。どうしたのだろう? 眠っているのだろうか? 霊は寝るものなのか?

 准は一度カメラの前を横切り、クシを使って人形の髪の毛を整える。

 人形の見た目は、十歳にもいかないような西洋風の女の子だ。花音はどうなのだろう。外国人とのハーフだったりするのだろうか。年齢はいくつだろうか。つまり、享年というやつだ。

 人形はとても精巧で、実際の人のような存在感と視線を感じる。

『汚い部屋ね』

 スマホのAIが勝手に起動し、合成音声が流れた。花音が喋ったのだ。

「べつに汚くないだろ」

 撮影で使う機材の類は場所をとっているものの、部屋の中に余計なものはほとんど置いていない。ゴミが溜まっているわけでもない。まあ確かに最近部屋の掃除をサボっていて多少床に埃が散見されるが。

『澤屋なら埃一つ残さないわ』

「あっそ。でもそれならあんたも自分で掃除してたわけじゃないだろ」

『いいのよ私は』

「なら人のこと偉そうに……」

 准はそこまで言って黙った。

 思い出したのだ。屋敷の女の子は、確か足が不自由で車椅子生活をしていたと。そのことを彼女がどこまで気にしているかわからないが、気軽に話題に出すべきではない。また大泣きされても困ってしまう。

『なによ』

「なんでもないさ」

 准は人形をソファの上に戻した。自分はカメラの後ろ側に戻って座る。

「ちょっと聞きたいことあるんだけど」

『つまらない質問なら遠慮してちょうだい』

「どうやって喋ってるの?」

 准はカメラの画面を通して人形を観察しながら問いかけた。一見AIと喋りながら横に人形を置いているだけにも見えるが、准にはそうではないことがわかっている。

『思慮のない質問ね。じゃあ逆に訊くけど、あなたはどうやって喋っているの?』

「俺? そりゃあこう、口を開いて、喉を鳴らして……」

『つまらない質問だってことがわかったかしら?』

「でもあんたは」

 霊だろ、と言いかけて准は思い留まった。それは地雷だ。これ以上深掘りするのは得策ではない。

『なによ』

「なんでもないさ」

 准は質問の方向性を変えることにする。

「少し前、俺はあの屋敷の中に入ったんだ。そのこと知ってる?」

『どうかしら?』

 花音ははぐらかしたが、准はあの屋敷の中で子供のような影を見たのだ。闇風呂の時、そして一人で地下に入った時も。女の子の部屋に入った時も気配を感じた。准はあの影が花音のものだったのではないかと考えた。

「俺の他にも二人いた。昇って言う俺の相方と、狐のお面をつけたあの屋敷の今の管理人」

『そう』

「そして昇は、あの屋敷で死んだんだ」

 准の語気が強くなった。つい感情が入ってしまう。

「そのことについて何か知らないか? なんでもいい。些細なことでも」

 花音は黙り込んだ。即答しないということは、きっと思い当たることがあるのだ。

「死んだ昇は俺の友人なんだ。このままじゃ納得がいかない。昇のためとは言わない。もう昇は帰ってこない。きっと自分のためなんだろう。俺はそんな醜い人間だ。だけど、知りたいんだ。どうして昇が死んだのか」

 准は花音の返答を待った。花音もあの屋敷の住人だ。彼女が何かしらの手段を用いて昇を殺害した可能性もゼロではないが、花音がそんな人物だとは准は思わない。屋敷にいた時も、子供の影からは嫌な気配は感じられなかった。昇の死は他に原因がある。

『後から来たのよ』

 かなり間を置いてから、花音が口を開いた。准は次の言葉を待つ。

『あのお面の男が連れてきた』

 お面の男。おそらく松丸のことだろう。松丸が後から連れてきた。

『もう原形がわからないほど淀んでる』

 淀んでる。それはつまり悪霊のようなものだろうか?

『きっとそいつらの仕業よ』

 そいつら? 一人じゃないのか?

『私は逃げたの。怖くなって』

 花音は逃げた。あの屋敷から。だから人形が外に落ちていたのか?

『澤屋がいなくなった。あいつらに取り込まれて』

 一緒にいた執事が取り込まれていなくなった。

「俺は澤屋を取り込んでなんかいないぞ」

 なぜ自分が澤屋と勘違いされたのか。

『知ってるわよ。ただどことなく似てるのよ』

「真面目で品のいい執事と俺が似てるとは思えないが」

『確かに、澤屋はあなたのようなアホ面ではなかったわ』

「もういいよそのくだりは。それで、そいつらって何?」

『わからない。ただ恐ろしいもの』

 松丸が連れてきたナニカ。それが昇を殺した。

 准はデスクの上のPCを起動させた。ブラウザを開く。

『何をしてるの?』

 准は『夜陰-YAINN-』のホームページを開いた。

「あの屋敷にもう一回行くんだ。今度は正面から堂々と」

 准は山梨県T邸のイベント予約カレンダーを開く。予約は数ヶ月先まで全て埋まっていた。だが「例の動画」の件で、キャンセルが出るかもしれない。参加者が異様な死に方をしたばかりなのだ。むしろそれでもイベントに参加するほうがどうかしている。准は今日屋敷の前で見た狂気的な男女の様子を思い返す。

『あなた死ぬわよ』

「そうかもな」

 准はページの読み込みを何度も繰り返してキャンセルが出るのを待った。

「ただあいつ。あのお面の男は、今でも毎日あの屋敷に客を呼んでるんだ。このままにしておけないだろ」

『やめておきなさい』

「それに、花音、あんただ」

『私?』

「あんたは元々あの屋敷の住人だろ。いい思い出があるかはわからないけど、その澤屋って言う執事も一緒にいたんだろ。自分が過ごしてきたその家をあいつらにのさばらせてていいのか?」

 予約のキャンセルが出た。准はすかさずイベントの申し込みをする。日づけは五日後だ。

「正直言うと、俺も怖い。あんたの話を聞いて、さらに怖くなった。今回は昇もいない。心細くないって言ったら、牛丼つゆだくになる」

『あなた一人じゃ犬死によ』

「誰かついていってくれる人いないかなあ? 品のいい美しいお嬢様とか」

『まったく、そこまで言うのなら仕方ないわね。この私がついていってあげるわ』

 ずいぶんと乗せられやすい相手だ。ただもちろん一人で行くよりは心強い。

『ただし条件がある』

「条件? なんなりと」

『明日私をどこか明るい公園に連れていって』

「公園?」

『あなたはただ黙って私を連れていけばいいの』

「了解。かしこまりました」

『じゃあ今日はもう疲れたから休むわ』

 起動していたスマートフォンのAIアシスタントが切れた。

 室内は静かになる。

「あのさ。牛丼つゆだくに触れてくんない?」

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