毎日のように顔を合わせていた同僚から「あなたは誰?」と問われたら。
日常風景に潜む謎の空間に『落ちる』体験と、周囲の人から自分を忘れられていく恐怖を描くホラー作品です。
本作では、常識が覆される出来事が繰り返し起こります。
当たり前の秩序を揺さぶるような、日常の狭間の『リミナルスペース』の狂った描写が秀逸。文面から視覚的にゾッとする表現もあり、小説でホラーを読む醍醐味を感じました。
見慣れた場所が怖いということ。その異常さ。更にはそこに潜む異形のナニカ……
主人公・陣の職業は葬儀屋。日頃から死者を見送る立場の人です。
彼が『リミナルスペース』から戻ってくるたびに、現実に変化が訪れます。
幽霊が見えるようになったり、知人から名前を忘れられ、周囲の人々から存在自体を認識されなくなったり。
まるで、彼自身が死者に近づいていくような。
『落ちる』ほどに現実での存在が薄れ、一方で記憶の欠落が明確になっていきます。
ナニカを忘れている。
それが明らかになった時、これまでの恐怖を覆すほどの感動を覚えました。
弔いとは、遺された者のためにあるものだと感じます。
死者との「正しい」別れは、これからを生きる者が前へと進むために必要なものに違いありません。
約10万字、あっという間でありながら読み応えがあり、読了後の満足感がすごいです。
本当に素晴らしい作品でした。もっと多くの人に読まれますように!
この作品で語られることは生と死。
人が生きるという事は無為の日々の積み重ねではなく、大切な人との思い出を紡いでいく行為。死とはまた完全なる消失ではなく、残された誰かの胸に思い出があり続ける限り、この世に存在を留められるもの。たとえ故人であろうと。
作者さんはそう語っています。
そして、最も恐ろしい事とは。
生きながらにして忘れ去られ、存在を消失すること。
人間関係が希薄になった昨今、それは何もオカルトに限らず起こり得ることなのです。単なる都市伝説と笑い飛ばせないある種の凄みがその辺に含まれていると感じました。
サイレントヒルや夜廻りのようなチェイスや心の闇を含んだホラーゲームが好きであるならば、是非。本当に怖いのは奇声を発しながら追いかけてくる化け物ではないのです。いつだって…そう。
葬儀屋で働く主人公は、通勤途中に奇妙な空間に迷い込みます。
そこは、主人公が普段から利用している駅の構内。その日常的な空間が、突然非日常的で不気味な空間に変わってしまいます。
主人公は、そこで怪物に遭遇し、そして一枚のカードを握って日常に戻ってきます。
それをきっかけに、主人公はときどき不気味な空間へと迷い込むようになり、それとともに日常が少しずつ変化していきます。
不気味な空間の謎
怪物の謎
空間から持ち帰った物の謎
変化していく日常の謎
その謎は、すべて最後の一瞬へと繋がっています。
追憶……主人公が忘れてしまった過去。それを思い出せた時、張り巡らされた伏線が全て繋がり、一つの結末へといざないます。
その結末に、あなたはきっと涙するでしょう。
泣けるホラー。一度、味わってみませんか?
人でごった返している駅構内。陣は突如、奇妙な空間に引き込まれる。場所は元いた駅のままなのに、自分以外の一切の人間が消え失せ、様々なおかしなことが起きる……そんな体験と既視感、違和感を繰り返し、明らかになるのは――
ストーリーすべてが伏線です。バラバラに提示されるパズルのピースは、ひとつずつ確実に、読者に手渡されます。それが一体どう繋がって、どんな全体像になるのか?
たとえ何かひとつを推測できても、なぜ?どうして?と新たな疑問が生まれる情報の出し方が巧みです。常に先が気になり、夢中でグイグイ読み進めちゃいました!
ホラー的な演出も魅力的です。それはグロテスクな恐怖だったり、追われる緊張感だったりするのですが、同時にエンタメ性も感じました。臨場感があって、自分自身が体験したような気持ちを味わうこともできました。
私は特にアミューズメントパークでの悪夢のような不気味さが好きです。
怖さばかりではなく、予備動作のない笑いが飛んでくるところも魅力です。構える暇がなく、良い意味で取り残されるのですが、それが面白く、飛んできたものを改めて受け止め、また笑えます。
人間はそれぞれ思いを抱えている。物語が進むほどにそのことに気づかされ、心揺らされます。強い思いは何かと交差した時だけでなく、ただそこにあるだけでもドラマを生じさせます。
終盤に差し掛かった物語はどんなラストを迎えるのか。とても楽しみです!
※「帰郷」までを読んでのレビューです。