日ノ下に
「……〈神狩〉に戻ろう」
ユイの謝罪を受け入れたとも、そうでないとも言わないで、ヨウタはみなの気を引いた。
「夜明けまでまだ時間はあるけれど、悠長に構えている余裕はない」
ダイゴとヨウタはすでに作戦を考えていたようで、子どもたちにそれを伝えた。年下の子どもたちはすぐに飲み込んだ様子だった。ユイと違って覚悟ができていた彼らは、とうに〈神狩〉のための力をつけていたのだと知る。
最初から、ユイと村の子たちは違ったのだ。
ダイゴの指示を受け、子どもたちは再び杜の中へと入っていく。再び項垂れたユイは、ただその様子を見送った。
その肩を、ヨウタが叩く。
「ほら、君も」
ユイは目を丸くした。自分もまだ頭数に入っているとは思わなかった。
「悠長に構えている余裕はないと言っただろ。使えるものは使わせてもらうよ」
それは、ヨウタなりの許しなのだと、ユイは理解した。ユイは弓を握りしめ、ヨウタとともに杜に飛び込んだ。
梢の作る闇の中で、銃声が聞こえた。その合間に届く、子どもの笑い声。ヒミズは、己が狩られんとしているこの状況を、遊びとして楽しんでいるのだ。
ヨウタと別れたユイは、その二音の落差に胸を痛めていた。子どもたちの必死さを思い、ヒミズの運命を思った。この狩り場となる杜はあまりに哀しい場所だ。微風に揺れる葉の音が、虚しく響く。
常時であれば心を晴らすだろう明るい笑い声が近づく。思わず弓柄を握り締めたユイの前に、燐光を纏った子どもが現れた。ヒミズはきょとんとユイを見つめ、無邪気な笑顔を向けると、両腕を大きく開いた。――矢の的として当てやすいように。
真っ白な頭で矢をつがえたユイだったが、いざ弦を引くと、腕が震えた。慣れぬ弦の硬さにではなく、これから己が成そうとする事の重さに。
逃げ出したくなるのを堪え、喚きたくなるのを堪え、目を見開き、そっと矢を放つ。
初めて放った矢は真っ直ぐに飛び、ヒミズの胸の中心に突き刺さった。
青白い光が弾ける。蛍のような細やかな粒となり、天に昇っていく。
光が崩れていく中で、ユイはヒミズの屈託なく満足そうな笑みを目にして、地に膝をついた。これで良い、と頭では分かっているのに、途方もない悔しさが押し寄せた。
村の子どもたちは、毎年この重みと戦っているのだ。
着物の合わせを掴み蹲ったユイのもとに、いつの間にか子どもたちが集った。
「……よくやった」
呻くユイの背を叩いて労るのは、あのダイゴだった。
「これでヒミズは救われた。俺たちは使命を果たせた」
それから、躊躇いがちにユイの肩を抱いた。唇を引き結び、ただ深く叩頭する。
「……悪かった。他所者扱いして」
ユイは力なく首を横に振り、空を仰いだ。闇を作り出す枝葉で、月ばかりか星さえも見出すことができなかった。
あの儚い燐光も、いつの間にか夜の中にもう見えない。
気が抜けたのか、ヨウタが帰還を促したときから身体がひどく重かった。鈍重な動きでみなで杜を抜け、朱色の鳥居を潜ったときには、東の空が白みはじめていた。
大人たちは、ユイたちが出発したときと同じまま、鳥居を囲んで広場に残っていた。子どもたちが戻ってきたのを知ると、胸を撫で下ろしていた。そこで、年少の子どもたちは緊張の糸が切れたのだろうか。親元に縋りにいっていた。親たちは無言で己の子どもを労り、背中を押して家へと戻っていく。
とうとう石のような重さを持った足で立ちすくんでいたユイは、ぼんやりとその様を見送った。彼らは今から眠るのだろう。その間、安らかでいられると良いのだけれど。微かな子どもの啜り泣きを聞きつけて、ユイは思う。
「……ヒミズは、決まって子どもの姿で生まれるんだ」
ユイから弓を取り上げて、ヨウタは言った。すっかり手に馴染んでしまったが、そういえばそれは借り物だったことをユイは思い出した。
「ずいぶん昔は、大人が〈神狩〉を担っていたらしい。だけど、ヒミズは怯えるばかりだった。己の死を悟って泣くばかりだったという」
だが、狩人を子どもに変えると、そのようなことはなくなったらしい。
「命のやりとりに変わりはないのだけど、それでも子ども同士だと遊びの一環に感じられるのかもしれない。ヒミズはいつも楽しそうに逃げ回るんだ。鬼ごっこの気分なのかな」
「でも、残酷には変わりない」
そうだね、とヨウタは首肯する。そして、杜を振り返った。深い闇を落とすばかりだったその場所に、木々の輪郭が浮かび上がる。その中心で〈神産みの塔〉の朱色の塗りが、月明かりの下とは異なる強い彩りを持ちはじめた。
また来年、あそこからヒミズが生まれる。
〈神狩〉は、これからも変わらず執り行われることだろう。
地平から日が昇る。日の神は、何も灼くことなく、己の箱庭を眺めはじめた。満足げに。選んだものだけに、慈悲の光を与えていく。
美しい夜明けに、悪態をつきたくなったのは、ユイだけではないだろう。
神狩夜 森陰五十鈴 @morisuzu
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