不日見
先を行くヨウタの背を追いながら、ユイは頭の中が冷えていく感覚を味わった。いつの間にか興奮状態に陥っていたらしい。そして、自らの手の中に残った、放ち損ねた矢。あれだけ否定しておきながら、自分こそヒミズを射るつもりだったことを思い知らされる。
〈神狩〉の気に当てられてしまったのか。――いや、勝手に自分がその気になっただけだ。
自分への失望を抱きながら塔に戻ってみると、同じように捜索に行き詰まったのか、ダイゴと他六人の子どもたちも戻っていた。みな、疲労のために地面に座り込んでいる。
「どうだった?」
「何度か姿は捉えたんだがな」
塔の扉の前で深刻そうに話す年長二人を横目に、ユイは年下の子どもたちの傍に座り込んだ。自分も彼らと同い年だが、他所者なので入り込めない。つくづく中途半端な立場だと自覚する。
溶け込む努力をすべきではないかという気持ちと、神を狩ろうとする連中と同類になることを拒絶する気持ちが拮抗していた。自分がどうするべきか決められない。矛盾を抱えているのにも気がついている。先ほど射ろうとした矢は、まだユイの手の中にあった。
「お兄さんは、ヒミズを見つけた?」
隣の少女の言葉に、ユイは我に返った。咄嗟に首を横に振る。
「そっか。私は、何回か見つけたんだけどね」
撃てなかったの。少女は肩を落とした。歳は十二くらいの彼女の手には、黒光りする拳銃が握られていた。大人びつつもあどけなさを残す少女が、このような凶暴な武器を扱い慣れていることに、ユイは身震いした。
「……〈神狩〉って、いつもこうなの?」
ミサというその少女は不思議そうにユイを見上げて首肯した。
「ヒミズはいつも杜の中を走り回るよ。大はしゃぎでね。よっぽど嬉しいんだろうね」
「嬉しい……」
ユイの脳裏に、塔から飛び出てきたヒミズの姿が蘇る。満面の笑みを浮かべて走り去った子どもの神様。少なくともあの瞬間はきっと、あの神様は自分が狩りの標的になっているとは思っていなかったことだろう。
純粋な生の喜びに溢れていたあの無邪気な神を、自分たちは殺そうとしている。一人を相手に、寄って
もしヒミズがそのことに気づいたら、どう思うだろう。何を感じるだろう。
想像して、感情移入して。ユイは立ち上がった。
「ねえ、やめよう?」
子どもたちが、ユイを見上げた。真剣に話し込んでいたヨウタとダイゴもこちらを向いた。
誰も味方がいない中で、それでもユイは声を上げる。
「やっぱりこんなの、間違ってるよ! 君たちがやってることは、どう考えたって残酷な――」
鬼のような形相のダイゴが迫ってきたのは、一瞬のことだった。
「黙れよ、他所者が」
小銃の銃身をユイの喉元に突き立てた彼の目に浮かぶのは、これまでの排他的な嫌悪とは違う、完全な敵意だった。喉元の銃口より、その敵意のほうがユイには衝撃的だった。
「正義面して、口出しやがって。そんなこと、俺たち村の人間が一番良く分かってんだよ」
その激情に反して押し殺された声が、ユイの脳内に染み込んでいく。背中を冷や汗が伝う。視線を動かして子どもたちを見れば、失望とも取れる冷ややかな目。自分がとんでもない間違いを起こしていたのだと、ユイは気がついた。
呆然としたユイから、ダイゴは銃を離した。身の内から噴き出す怒りを抑えつけて、ダイゴはユイに背を向ける。
「だから、他所者を入れるのは反対だったんだ!」
それは、憤慨というよりは悲鳴に聞こえた。必死の訴えに、ユイはただの個人的な嫌悪感で自分が疎外されていたわけではないことを悟った。ユイを外そうとしたのも、何も伝えなかったのも、監視をつけたのも、単純な我が儘などではない。全て、彼なりの信念に基づいたものだった。
「
ヨウタが静かに言葉を紡ぐ。彼の目には落胆が浮かんでいて、ユイは後悔に苛まれた。ユイは彼をも裏切ったのだ。
「そして、太陽が見ることのない神だ」
「……どういうこと?」
「何故かは知らない。けど、日の神はヒミズを認めない。嫌っているって言っても良いかもしれない。日の神は、ヒミズを見つけた瞬間――灼き殺す」
ユイはヨウタが背にしている塔を見上げた。天頂に架かった満月の光を一身に浴びる朱色の塔。それは神を産む。人々の暮らしを守るため。この大地をより豊かなものにするために。
その神を、他のどの神よりもこの地の平安を願う日の神が、殺す……?
「この〈
ユイと話していたあの少女が話し出す。ミサは湖面のような静かな眼差しで、〈神産みの塔〉を見つめていた。
「私たち人間は、日の神様に選ばれた。木や花、動物、雲も水も土も、この国の何もかもが、日の神様が選んで置いたもの。私たちは、日の神様の箱庭の中で生きている」
それはユイも知っている神話だった。この国では、太陽が全て。太陽が理。でも、日の神は慈悲深い存在で、優しく温かく自分たち人間の行いを見ていてくれているはずなのに。
「日の神様は、自分の気に入った神様には寛容で、自分のお気に入りの世界で遊ぶことを許している。でも、その中にヒミズはいない」
「なら、どうしてヒミズは産まれるの?」
「分からない。はじめはヒミズを認めていたのかも。でも、今は日の神様はヒミズを認めない。許さない。見つけた瞬間、ただちに殺してしまうの」
「昔、〈神狩〉に失敗したことがあった」
ヨウタがミサの後を引き継ぐ。
「ヒミズを狩れなかったんだ。日の出を迎えて、杜は炎に包まれたんだって。ヒミズはその火の海の中で、七日七晩苦しみ続けていた」
その間村の住人たちは、ずっとヒミズの悲鳴を聞いていたという。火に炙られ続ける子どもの泣き声を聞き続け、だがどうすることもできなかったと。
「失敗したのは、他所者の所為だ」
愕然としたユイの前に、押し殺したダイゴの声が割り込む。
「俺の親父は、その年の〈神狩〉の参加者だった。越してきたばかりの他所者が、〈神狩〉の話を聞いて、残酷だ罰あたりだと騒いで妨害してきた。……今の、お前みたいに」
ユイは項垂れた。ダイゴが何故自分を敵視し続けてきたか理解した今、何も言い返すことはできなかった。父の嘆きを聴いてきたからこそ、彼は同じ失敗を繰り返さないため、他所から来たユイを警戒し続けてきた。そしてユイは、自分がその懸念を招きかねない人物であることを、図らずも証明してしまったというわけだ。
「ヒミズは、日の神に見つかれば、死ぬどころじゃない。その御魂までも灼き尽くされてしまう。だけど、日が昇る前に僕たちの手で狩ってしまえば、少なくとも御魂だけは、〈
つまり〈神狩〉は、ヒミズを日の神の癇気から匿うためのものなのだ。
「はじめから、教えてくれれば――」
だが、ユイは最後まで言えずに言葉を呑み込んだ。きっと、ダイゴの父の代では、きちんとその〝他所者〟に神事の意味を伝えていたのだ。だけど、その人は表面的なところだけを見て、〈神狩〉の邪魔をした。ユイも同じ道を踏まなかったとは言い切れない。
「…………ごめん」
ユイは深く頭を下げた。ヨウタの忠告もあった。それなのに、ユイは己の先入観だけでみなを悪者にしてしまった。
「もう、邪魔をしない。……ヒミズ探しも、手伝う」
全員が黙ってユイを見ていた。中でもダイゴは、真偽を疑う眼差しだった。これで信じてもらえるだけの行いを、ユイはしていない。だから当然なのではあるけれど、胸が痛かった。
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