しっかりした落ち着いた文章を読みながら、深まる謎に絡みとられていく。
そんな経験は読書を魅力的にするものです。
惹かれるでしょう? ここにあります。
謎の死を遂げた少女。その死に関して不可解な発言をする少年。
答えを探そうと苦悩する大学生。
そして、不思議な姿が見えてしまう主人公——
タイトルとなっている「天鼓」は、日本の伝統芸能からですが、どうにもこの謎に絡んでいるようでありながら、端々に語られるそのお話への解釈は、謎と切り離して人の行いを考えさせる内容でもあります。
硬派な文体ではありますが、とても読みやすく、さらに登場人物一人一人も性格描写がしっかりとしていて生きた人間のようです。
だからこそ、この謎に関わりながら進んでいく彼らの心理や行動が気になってしまいます。
謎はどのように解決するのか。
伝統芸能の知識も豊富で、その意味でもしっかり地盤があって練り込まれたお話として説得力を持っています。
紙でめくりたい、そんな作品です。
せんせい。ぼくは――ひとを、ころしました。
この始まりの一文。一体どんな先があるのかと、これだけでも物語に没入してしまうようなインパクトがある。
突然、このような言葉を耳にしたとして、その言葉の先があるのか、どう言った意味があるのかと考えてしまうのではないだろうか。
本作は、そこから始まるミステリー。
亡霊が見える晴季と、同居人の吉彰。異能ミステリーとある通り、幽霊の存在が一つ一つの点となり、それを結ぶ為に二人は様々な観点から事件を見る。
また、筆者様は能楽に精通しており、タイトルにある天鼓の物語もまた事件と重なる部分がある。
その謎解きもまた、楽しみの一つと言える。
オススメです。
この物語は、能の演目である「天鼓」がキーとなります。
「天鼓」はどんな存在で、なぜ鳴ったのか
それを追求していくことで、謎が少しずつ明らかになっていきます。
そして、この物語は「人」と「社会(立場)」も考えさせられる作品でもあります。
人は社会とは切り離せない生き物で、
誰かから見られているゆえに
良いとか悪いとか、
普通とか異常とか、
理想とか現実が存在するんだと思います。
けれど、そのどれもがただの一面に過ぎません。
人が人としてどう生きていくのかは、まわりを気にして誰かに決めつけられるものでもなく、自分自身で見つけていくものかもしれません。
人間味を感じる深いミステリー作品、是非読んでください!
この物語はとある子から衝撃の告白を受けた吉彰が、亡霊が見える晴季と、そして二人の保護者である誠一郎と絶妙な距離感で「天鼓」の謎を解き明かしていく。
キャッチコピー「せんせい。ぼくは――ひとを、ころしました。」から始まる冒頭によって物語の中に一気に惹き込まれる。
彼の発した言葉が何を意図しているのか、知りたいと思う。
能の演目「天鼓」を題材に進む物語は切実な思いと願いを少しずつ、浮かび上がらせていく。同時にこれはある出来事から始まった一続きの物語であることを伝えていくのだ。
「天鼓」はある種、残酷な演目であるとも言える。今の時代においては「理解が出来ない」ものとして作中でも言及される「天鼓」を丁寧に丁寧に伝えていく。それ故に「天鼓」の異質さと物哀しさが際立つように思う。
それぞれの登場人物に光を当てながら語られる物語は丁寧に、時に残酷な面を見せる。「何故」と「どうして」を交互に突き付けられながら読み進めると、一見、無関係にも思える幾重もの出来事が一つに繋がっていく流れに圧倒される。同時に「もしも」を思ってしまう。
一人一人の心情に優しく触れて丁寧に語られる物語だからこそ、狂った歯車の「もしも」を思わされてしまうのだ。
それは一人の少女の願いに触れたからかもしれないし、終わりの彼女を見てしまったからなのかもしれない。
そして、物語を振り返りながら「もしも」は来ないことだけが答えとして残る。
何とも言えない感情と共に、鳴り響いた鼓の余韻は長く響く。
是非、この音の余韻を味わって欲しい物語です。
せんせい。ぼくは――ひとを、ころしました。
冒頭の一節でもあり、本作のキャッチコピーでもあるこちらの一文。衝撃的な一言であるとともに、ひらがなで表された巧みな息づかいからでしょうか。これは読まねばと引き寄せられました。
そしてその期待は一切裏切られることなく読み終え、気がつけばほぼ20万字の大作。日々連載を追っていたとはいえ、その容量をまったく感じさせずに読み耽ってしまえる作品です。
窓から教室をのぞき込む、首の折れた女子高生。
透けた体で楽しそうに踊っている、小学生の女の子。
そんな亡霊が視えてしまう晴季(はれき)と、共に暮らす親戚の吉彰(よしあき)。彼の家庭教師先の生徒から「人を殺した」と打ち明けられたことから、物語は始まります。
晴季と吉彰、二人の保護者的立場の誠一郎の3人で、「天鼓」という能の演目になぞらえながら教え子の事件を追っていきます。能に馴染みがなくても理解できるのがこの作品の凄いところ。「天鼓」も観た気分にも浸れます(笑)
一方で晴希が視えている、無関係であるように思える亡霊たち。事件とどのような繋がりがあるのかも大きな見どころです。
そしてもう一つのこの物語の最大の魅力は、犯人はもとより殺された人間、探偵役の主人公たちに至るまで、それぞれの生きざまの掘り下げの深さです。すべての人にスポットライトが当たり、ここまで書き込まれても鈍重さの感じない文章力。本当に素晴らしくて、夢中で駆け抜けました。
ミステリーであり、最高の人間ドラマがこれでもかというくらいに詰めこまれ、読み応え満点です。ぜひご一読を!
楽器とは、奏者がいて音が鳴るもの。
この天の鼓もまた、そうなのです。
点、点、点、と様々な出来事が起きます。
現代文の時間だけ見える亡霊。
白骨化した死体。
そして、中学生の男子による「せんせい。ぼくは――ひとを、ころしました。」という言葉。
これだけを見れば、ただの点。けれど、一つ一つ紐解いていけば、それらはひとつなぎでした。
ここで、天の鼓です。
「天鼓」という能の演目だと、作中で学びました。どういうお話かは作中で詳しく書かれているので、ぜひご覧ください。
そもそも、どうして「天鼓」なのか。その理由が丁寧に組み込まれていて、読み終えたときには「天鼓」に少し触れることができたような、そんな気持ちになりました。
読了後に感じた、作中の人物に思いを馳せたくなるような切ない余韻。
この作品らしくて非常に良いです。
皆様もぜひ、読んでみてください。
『天鼓』という能の演目をご存知だろうか。
タイトルにも入っている通り、この話は『天鼓』を一つの主要なテーマとしている。
残念ながら私はこの作品を読むまで、まったく存じ上げなかった。
だが、私と同じように知らなくとも問題はない。それは作中で何度も取り上げられ、読者の脳みそに無意識に刷り込まれていくのだから。能だけに。
よって、読み終わった頃には、舞台を見たことがない人でも、『天鼓』を少し語れるくらいにはなっているはずなのだ。
話が逸れたが、この『天鼓』という演目、見ようによっては天鼓、つまり鼓が主人公ともとれる。もしかしたら作中にそう書いてあったのを、私がそのまま口に出しているだけなのかも知れないが、ともかく能においてもこの作品においても、鼓が重要なのである。
そして作品にも、当然、鼓が存在するが、鼓は勝手に鳴るものではない。演奏する者がいて、鼓は初めて音を奏でるのである。
現代文の時間に、決まって窓の外にいる亡霊は誰なのか。
花菖蒲公園で見つかった白骨遺体との関連は。
関連性の乏しい二つの事象は、やがて鼓の表と裏のように共鳴する。
そして、鳴らぬ鼓は誰が鳴らすのか。
是非、皆様の目でご確認ください。できればメモを取りながら。
ご存知亡霊シリーズ、此度の主たる題材は「天鼓」。
最後まで読んで泣けてしまって泣けてしまって、まだ少々放心状態ではあるのですが。
頭部にボールがぶつかった影響で亡霊が見えてしまう体質となった晴季。
晴季の母の弟であり、現状保護者という立場ではあるもののイマイチ頼りがいの見えづらい誠一郎。
そんな彼らにおいしい食事を提供してくれる(だけではないけれども)吉彰。
そんな一つ屋根の下親戚トリオの元に舞い込んできた今回の事件。
端緒となったのは他でもない、吉彰の家庭教師先の生徒である中学生男子が告白した「せんせい。ぼくは――ひとを、ころしました」という言葉だった。
この一言。
冒頭の一文。
物語を最後まで読んだ時に、この言葉を発した「彼」の顔を、あなたは誰で思い浮かべるでしょうか。
重い一文です。
これ以外になかったであろう第一文です。
そして、愛すべき彼等三人の繋がりの強さ、その心の結びつきに、私は思うのです。
生きているうちに伝えたかった言葉、だけれど伝えられなかった言葉を、
真摯にひろいあげようとし続けているのが彼等なのだと。