妖怪ハンター藤野美知子の妖怪とは無縁な日々

変形P

第1章 女子高時代の妖怪事件?

第1話 温室の妖怪(雷獣)

私の名前は藤野美知子ふじのみちこ、昭和二十五年五月十日生まれで、昭和四十一年四月に松葉女子高校に入学した。


そして昭和四十三年、私が高校三年生の時に松葉女子高校の生徒会長になった。さらに文芸部と美術部に在籍していた。


この年より、私は当初妖怪の仕業ではないかと恐れられた事件に遭遇し始めたが、いずれの事件も推理の結果、妖怪の関与がないことが判明した。従ってこのお話には本物の妖怪は登場しない。


最初の怪異は、昭和四十三年六月某日の放課後のことである。私が美術室に寄ると、美術部の部員たちが絵を描いていた。


一年生の吉行昌子さんは二年生の榊恵里子さんとマンガ描きに励んでおり、二人で合作しているようだった。


一年生の森田茂子さんは、それまで美術の授業以外で絵を描いたことがないような人だったが、二年生の横田理子さんの指導で何枚も水彩画を描いていた。


デッサン自体は未だに上達していないが、ラフに鉛筆で描いた何かにいろいろな色彩を重ねていて、見た目がきれいな作品が出来上がっていた。抽象画みたいだ。


「何を描いているかわからないけど、きれいね」と私がほめたら、森田さんはにこっと微笑んだ。


「描いているのはきれいな何かで〜す!」


軽い口調には圧倒されるが、この子はこの子で抽象画の才能があるかもしれない、と思った。


私と同じ三年生の津山加奈部長はいつものように油絵を描いていたので、


「津山さんは、秋の修学旅行の自由時間に行きたいところはあるの?」と聞いてみた。松葉女子高では、三年生の九月に修学旅行があり、行き先はいつも定番の京都と奈良だ。


「私は美術館か博物館に行ってみたいけど、一緒に行ってくれる人がいなさそう」


「博物館とか、勉強になりそうだけどね」


「でも、同じグループの子には、せっかく京都に行くんだから実物の神社仏閣を見た方がいいと言われたわ」


確かに、と納得してしまった。


雑談を切り上げ、私は久しぶりにスケッチブックを広げた。そこで何を描こうか迷ってしまった。


今日は梅雨の晴れ間だったので、津山部長に断ってぶらぶらと校舎の外へ出た。外から見た校舎でも描いてみようかと、東校舎に沿って北に向かって歩く。


すると学校の敷地の北東の角に温室があることに気づいた。体育館の東側だ。


今まで温室の存在を知らなかったので近づいてみると、中には大小の空の鉢植えが並び、一部には枯れた植物が植わっていた。今は温室としてまったく使われていないようだ。部活に園芸部があるが、確か休部状態だったはずだ。


温室の入口に近づくと、鍵が壊れているのに気づいた。辺りを見回してからそっと入口のガラス戸を引いてみる。きーっと小さくきしる音がした。


そのとたんに、温室の中で何かが動く気配がした。


「え?」


はっきりと音が聞こえたわけじゃない。


「誰かいるの?」声に出してみた。しかし反応はなかった。


中を見回すと、木でできた棚のようなものがあって、その上にも鉢植えが並んでいたが、人が隠れることができる物陰はなさそうだった。


それでも中に入って確かめるのは怖かったので、そっとガラス戸を閉めて体育館の入口の方に去って行った。


ときどき後ろを振り向いてみるが、何かが出て来ることはなかった。


そのまま校舎の北側の通用門から中に入り、靴を脱いで手に持つと、階段を駆け上がった。


美術室に飛び込むとみんなが驚いて私を見つめたが、私はそれにかまわず窓際に近づき、窓の端から温室を見下ろした。


「どうしたの?・・・上履きを履いていないじゃない?」と津山部長が近づいて私に尋ねた。


「実はさっきね、あそこの温室のガラス戸の鍵が壊れていたので、開けてみたのよ。そしたら中に何かがいたような気配がして、怖くて校舎に戻って来たの」と私は津山部長に説明した。


「何それ?怖い!」と二年生の谷口由貴さんが言った。ほかの部員も私の話を聞いて気味悪がった。


「それで今監視しているのね。誰か出てきた?」一人冷静な津山部長が私に聞いた。


「いいえ、今のところは誰も。・・・それに温室の中には人が隠れることができそうなものはなかった気がする」


「何かの動物じゃないの?・・・猫か、ネズミか」と津山部長。


「ネズミこわ〜い!」と森田さんが叫ぶ。


「でも、入口は閉まっていたから、小動物でも入れそうになかったけど、どこかに穴でも開いているのかしら?」


私は津山部長に温室を見ておいてと頼んで昇降口に行き、下駄箱の靴と上履きを交換して上履きを履いた。その足で再び美術室に戻る。


「津山さん、何か見えた?」


「じっと見ていたわけではないけど、誰も出入りしてないと思うわ」


「見張っていてくれてありがとう」


私はそう言うと画架イーゼルを温室が見える位置に移動し、その上にスケッチブックを開いて、美術室から見た温室の絵を描き始めた。


絵を描いている間、温室には何の異常も起こらなかった。午後五時近くになったので、その日は他の部員たちと一緒に片づけて帰ることにした。


やはり小動物が潜り込んでいた可能性が高いだろう。そう思って、これ以上気にしないようにしようと思った。


七月になって、一学期の期末試験が終わった週の火曜日の放課後に美術部に寄った。今日も私を除く部員全員が集まっていて、熱心に絵を描いている。


先日と同じように窓際に画架イーゼルを運び、スケッチブックを開いて、以前描いていた温室を窓から見下ろした。すると、その日は温室のドアが少し開いているのに気づいた。


「津山さん、こっちに来て」私は津山部長を呼んだ。


「何事?」と言って津山部長がやって来て、私が指さす温室を見下ろした。


「あら、入口が少し開いているわね」


その言葉を聞いてほかの部員も集まって来た。


「ほんとだ」と口々に囁く部員たち。


ガラス張りの温室は、光の反射の加減で中がよく見えなかった。しかししばらく見つめていると、中からひとりの女子生徒がドアを開いて出てきた。


「あ、誰か出てきたわ!」津山部長が叫ぶと、みんなが窓際に寄って見下ろした。


「あ、あの子、沢辺さんだー」と、一年生の森田さんが言った。


「知ってる子なの?」


「同級生だよ。家に犬や猫をいっぱーい飼ってるって言ってる子」


「園芸部に入っているのかしら?」と谷口さんが言ったが、


「園芸部は今は部員がいないはずよ」と津山部長が否定した。「あの温室も使ってないはず」


「じゃあ、何の用事で入ったのかしら?」と不審がる横田さん。


普通なら我関せずと気にしないところだが、一応私は生徒会長だ。使われていない温室に出入りする女子生徒がいたら、何かしていないか問いただす必要があるだろう。


その女子生徒は昇降口の方に歩いて行ったので、「話を聞いてくるわ」と私は言って美術室を出た。


「あ、森田さん、悪いけどついて来てくれる?」美術室の出口で振り返って頼む。


「いいですよー」と言って森田さんが筆を置いた。


一緒に廊下を早足で歩く。


「悪いわね、森田さん。あの子の顔、美術室から見ただけだとはっきりわからなかったから、同級生のあなたに沢辺さんを教えてほしいの」


二人で昇降口に下りると、ひとりの女子生徒が外から入ってきた。


「あの子ですよ。・・・沢辺さーん!」と森田さんがその女子生徒に声をかけた。


「あら、森田さん・・・」そう答えて手を振りながら沢辺さんが近づいてきた。


沢辺さんは森田さんの隣に立っている私に気がついて怪訝な顔をしたが、一方の私は沢辺さんの手の甲を見つめていた。


「私は生徒会長の藤野です。沢辺さん、あなたに聞きたいことがあるんだけど、その前に手を見せて」


「え?」とまどう沢辺さんの右手をつかんで引き寄せた。その手の甲はところどころ赤くなっていて、縦に引っ掻き傷がたくさんついていた。かなり痛々しい見た目だった。


「ちょっとごめん」私はそう言って沢辺さんの右腕の袖を少し上にずらした。むき出しになった腕の皮膚には、赤いぶつぶつが何個もあり、手の甲と同じように爪で引っ掻いたような痕がたくさんついていた。


「どうしたの、これ?」


「い、家でペットを飼っているから、ノミが移ったのかしら?」どぎまぎする沢辺さん。


「薬は塗ってるの?」


「家でオロナインを塗っているけど」


「けっこうひどい状態だから、保健室に行きましょう!」私はそう言って沢辺さんに上履きを履かせ、保健室に連行した。


抵抗せずに手を引かれるまま着いてくる沢辺さん。その横を森田さんが付き添う。


「だ、大丈夫ですけど・・・」と言う沢辺さん。


「生徒会長に見とがめられたら、逃げられないよ」と森田さんが沢辺さんに言った。森田さんはそんな風に私のことを見ていたのか?


保健室に入ると、まだ保健の先生がいたので、沢辺さんを前に押し出した。


「先生、この子の体をてください」


いきなり言われた保健の先生はびっくりしていたが、沢辺さんの腕の様子に気づいて、すぐに椅子に座らせた。


「クラスと名前は?」


「一年四組の沢辺弥生です」


「沢辺さん、悪いけど上着を脱いでもらえる?」


保健の先生に言われ、夏服である白いセーラー服を脱ぐ沢辺さん。その両腕に同じような発疹と引っ掻き傷がたくさんあって、私たちは絶句した。


先生がシミーズを引っ張ってみたところでは、体にも発疹がたくさんあるようだ。


「これはいつ頃から?」


「一か月くらい前からです。・・・多分、家に犬や猫がいるからだと思いますが」


「これは疥癬かいせんかしら?ペットが原因にしてはひどすぎるわね」


「沢辺さん」と私は後ろから声をかけた。「あなた、さっき温室から出てきたわね?」


すると沢辺さんはびくっとして私を振り返った。


「見てたんですか?」


「ええ、森田さんも見てたわよ」


私の横でうなずく森田さん。


「・・・あの温室で何か動物を飼ってるってことはないわよね?」


私の言葉を聞いて沢辺さんは顔を伏せた。


「学校の温室で?」と保健の先生は私の言葉を聞き逃さなかった。


「野生の動物がいたら、ノミやダニや病原菌が移ることがあるわよ。何が温室にいるの!?」若干強めの言葉で先生が尋ねた。


沢辺さんは最初は言いよどんでいたが、先生に何回か聞かれてとうとう白状した。


「ら、雷獣らいじゅうです」


「らいじゅう?らいじゅうって何ですか、生徒会長?」と森田さんが聞いてきた。


「私も知らないわよ。生物の先生にでも聞いてみないと」


「とにかく、あなたの体は皮膚科のお医者さんにてもらった方がいいわね。親御さんに電話するから、おうちの電話番号を教えて」


沢辺さんにそう言いつつ、先生は私たちの方を向いた。


「あなたたちはもう帰っていいわよ。後は私がするから」


「はい、よろしくお願いします」


私と森田さんはそう答えて保健室を出た。その足で職員室に入る。


「あら、藤野さん」私のクラスの担任の中村先生が私に気づいて声をかけた。


「先生、生物の先生はいますか?」


中村先生は職員室内を見回してあそこにいると教えてくれた。


私たちは生物の先生のところへ行き、質問があることを伝えた。


「何かしら?」


「実は・・・」と、沢辺さんの体の異常に気づいたこと、そして沢辺さんが温室に雷獣らいじゅうがいると言っていたことを伝えた。


雷獣らいじゅうって何ですか?」


雷獣らいじゅう?・・・それって実在の動物?」と逆に聞かれてしまった。


それを小耳にはさんだ古典担当の木村先生が近寄ってきて私たちに話しかけた。


雷獣らいじゅうってのは妖怪の一種よ」


「よ、妖怪ですか?」・・・鬼太郎に妖怪退治を頼まないといけないのか?依頼の手紙を入れる妖怪ポストはどこにあるのだろう?


「雷と一緒に落ちて来るという伝説上の生き物ね。その正体は不明だけど、ハクビシンって説があるみたい」


「ああ、ハクビシンですか」と生物の先生が言った。


「ハクビシンはイタチみたいな動物で、顔の真ん中に白い線があるのが特徴よ。最近、東日本で増えてきたようなの」


「温室に住み着くんですか?」


「私も生態はよく知らないけど、野生動物ならノミやダニや、病原菌を持っている可能性があるわね。駆除して消毒しなきゃ」


その後のことは先生方が進めたので、後日中村先生から教えてもらったことしか知らないが、温室の東側の地面に穴が掘ってあって、温室内に通じるトンネルがあり、温室内には子どもを三匹つれたハクビシンが住みついていた。何かの拍子にハクビシンの存在に気がついた沢辺さんが、ときどき果物を置きに通っていたということだった。


ハクビシンは沢辺さんに懐いてはいなかったが、果物を持って来た時にはおとなしくしていたそうで、その際にダニだか何だかが沢辺さんに感染したのだろうと中村先生が説明してくれた。


ハクビシンは駆除され、穴は埋められ、温室内に消毒剤がまかれたそうで、ドアの南京錠も新しいのがつけられていた。


沢辺さんの皮膚疾患は適切な治療を受け、やがて治っていったらしいが、ペットの犬猫にノミやダニが感染したおそれもあり、親からかなり怒られたそうだ。


これでめでたしめでたし・・・とはならず、私は沢辺さんに恨まれたらしい。


かわいがっていたハクビシンがいなくなり、親からも怒られたということで、その感情の矛先が私に向いたというわけだ。とほほ。

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