第7話 森田家の妖怪(札返し)(1)

秋花しゅうか女子短大の入学試験に合格し、卒業式まで後わずかという時期だった。私は生徒会長をしていたので、卒業式で読む答辞の準備をしていた頃だ。


その日、私の教室まで美術部一年生の森田茂子さんがやって来て、私に次の一言を放った。


「お義姉ねえさんは、私が思っていたのよりずっとすごい人だったんですね?」


「へ?」


「昨日、クラスメートから噂を聞きました。お義姉ねえさんは妖怪ハンターと呼ばれていて、数々の怪異現象を解決してきたって」


「え?え?」


「私も妖怪ハンターに相談したいことがあります。お義姉ねえさん、怪談の『牡丹灯籠ぼたんどうろう』って知ってますか!?」


森田さんの相談事の前に、なぜ森田さんが私のことをお義姉ねえさんと呼ぶのか、その理由について話そう。


それは去年の四月、森田さんたち一年生が入学してまもない頃だった。当時、私は美術部の新入部員の勧誘として、美術室に来た新入生の似顔絵を描くサービスをしていた(前任の室田部長の指示でそんなことをするはめになっていた)。


しかし似顔絵を描いてもらった新入生たちは、彩色が終わった自分の似顔絵を受け取ると喜んでくれたが、


「どう?美術部に入らない?」という問いかけに、


「いえ、私はこんな上手な絵が描けませんから」そう言って断る生徒がほとんどだった。


「撒き餌はうまくいったけど、一人も針にかからなかったわね」と津山部長がうなだれた。


まったくだ。無駄な労力だった。そう思って気落ちしていると、別の女子生徒が美術室に入って来た。


「あの、ここで似顔絵を描いてもらえるんですか?」


「新入部員だけの特典よ!」と津山部長がむっとした表情で言った。


「じゃあ、入部します」とその生徒が言った。


「え?」「え?」同時に驚く私と津山部長。


「私、前からマンガを描きたかったんです。でもこの前は似顔絵の希望者が多くて言い出せなくて」


津山部長と榊さんがすぐにその生徒の前に飛んで行った。


「私もマンガを描いているの。一緒に描こう!」と榊さん。


「入部、歓迎するわ!」津山部長も言った。


「ありがとうございます。私は一年三組の吉行昌子といいます」


その後、吉行さんの似顔絵を描きながら、最初から入部特典にすればよかったと反省した。


さらに三人の入部希望者が来た。もちろん似顔絵をほしがっている。


一人はメガネをかけた頭が良さそうな子、二人目はまじめそうな子、そして三人目は、ソバージュがかった長い髪をして始終へらへらしている子だった。


私と津山部長は三人から離れて相談した。


「三人とも入部してもらえたらうれしいけど・・・」


「誰とは言わないけど、一人、似顔絵をもらったらさっさと退部しそうな人がいるわね」


そこでテストをすることにした。その三人と、公平を期するために既に入部していた吉行さんに、静物画を描いてもらうことにした。


結果、吉行さんはたどたどしいが、ていねいに描いていて好感が持てた。残りの三人は、みな才能をかけらも感じさせないくらいに絵が下手だった。


「絵を描く技術は入部してから学べばいいから下手なのはとがめないけど、ほんとうに入部したいの?似顔絵を描いてもらいたいだけじゃないの?」


強めに津山部長が言うと、すぐにメガネをかけた子が立ち上がった。


「ご、ごめんなさい」そう謝って美術室を出て行った。


「わ、私も、ごめんなさい」まじめそうな子も出て行った。


しかし三人目のチャラそうな子は、「がんばりまーす」と言って残った。


再び津山部長と美術室の隅で話す。


「失敗だったわ。あの子が出ていくかと思ったのに、ほかの二人が帰ってしまった。・・・あの二人は、動機が不純でも、美術部に入部してもらえればまじめに部員を続けてくれたのかもしれないのに。・・・失敗だった」嘆く津山部長。


「これからは、来る者は拒まずの方針にしましょ」と私も言った。


残ったチャラそうな子が一年四組の森田茂子だった。描きたい絵の種類は特にないということだったので、水彩画の横田さんに当面面倒を見てもらうことにした。


森田さんの似顔絵を描いてあげたら、翌日まじめに入部届を持ってきた。これで部の存続に必要な最低二人の新入部員を何とか確保できた。


そして温室の妖怪事件が起こった頃(第1話参照)、森田さんが私に何気なく話しかけてきた。


「この前生徒会長に私の似顔絵を描いてもらいましたけど、上手だったので私の兄も描いてほしいって言ってましたよ」


「あの、似顔絵描きの出張はしていないんだけど。・・・それに男の人の絵は描いたことないの」と断る私。


「別に描いてくれなくてかまいませんよ。兄に言われたのが四月で、今日まで伝えるの、忘れてましたから」


「三か月もほったらかしだったの?・・・それならお兄さんももう忘れているわね」


「そうですね」


これでこの話は終わったものだと思っていた。ところが、一学期最後の月曜日の昼休みに、森田さんが私を尋ねてきた。


「生徒会長、お話があるんですが」


「なあに?」


「この前、兄が似顔絵を描いてほしいと言ってたことをお話ししましたよね」


「ええ、覚えているわ」


「それで昨日、生徒会長に伝えておいたって兄に報告したら、『いつ描きに来てくれるって?』と聞かれたんですよ」


「ええっ?」


「で、生徒会長に『迷惑だから二度と声かけんな!』って断られたって伝えたら、『三か月もかけて何だよ』ってことで兄妹げんかになっちゃったんです」


「いや、そこまできつく言ってないから・・・」


「結局母に止めてもらって、兄が悪いって注意してくれたんですけど~」


「けど?」


「男の似顔絵を描けないんなら、私の似顔絵を描いてくれないか頼んでくれって母が・・・」


「えええっ!?」兄も兄なら母も母だ。


「でも、迷惑ですよね~?」


「いや、ちょっと待って」このまま返すと森田さんが母親に失礼なことを言うんじゃないかと心配した。


「母の似顔絵、描いてもらえるんですか?」


「う~ん、・・・しかたないわね」


「え?いいんですか?・・・今日の放課後にでも家に来てもらっていいですか?」


「え?ええ・・・まあ・・・」


「ありがとうございます、生徒会長!家に電話してきます!!」と叫んで廊下を走って行った。


私は森田さんの母親に会うだけだから、大ごとにはならないとたかをくくっていた。


放課後になるとすぐに森田さんが迎えに来た。


「美術部の方には、今日は二人とも休むって言っときました~」


「そう、仕事が早いわね」意外にも、と思ってしまった。


私は通学カバンに、スケッチブックや水彩絵の具を入れた手提げカバンを持って、学校を出た。


「美術部の活動はどう?」


「絵を描くのは楽しいです。美術部に入って良かったです」


「そう、良かった」最初来たときにすぐ部をやめるんじゃないかと疑ったことは内緒だ。


「今度は油絵も描いてみたいです」


「津山部長や谷口さんは喜んで教えてくれると思うわよ。私は油絵はさっぱりわからないけど」


そして私は気になることを聞いてみた。


「同級生の沢辺さんはまだ私のこと怒ってる?」


「最近は話をしないからわかりません」


「そう・・・」


「直接聞いてみましょうか、生徒会長のことどう思っているか?」


「あ、いや、いいから・・・」森田さんは天然っぽいので、何を言ってしまうのか予想がつかない。


「着きました。ここです、私の家は」


森田さんが一戸建ての家を指さした。多少年季の入っている木造家屋だが、私の家よりは広そうだ。


「ただいま」と言って森田さんが玄関を開けた。私も、


「お邪魔しまーす」と言って後に続く。


靴を脱いでふすまを開けると、八畳くらいの和室に三人の男女が正座していたので驚いた。


正面に四十歳前後の着物姿の女性が座っている。髪の質や顔の雰囲気は森田さんにそっくりだ。森田さんの母親だろう。その左にやや年上の中肉中背の男性。森田さんの父親だろうか?右側は若い男性だ。母親に似た容姿をしている。


そして母親の正面に座布団がひとつ置かれていた。


「生徒会長、そちらへお座りください」と、座布団を指さして森田さんが言った。


室内の三人は畳の上に直に正座しているので、私が座布団の上に座っていいのか躊躇したが、森田さんの再度の指示で座らせてもらった。


「こちらが生徒会長の藤野さんです」と森田さんが私を紹介する。


私はあわてて頭を下げた。「藤野です。よろしくお願いします」


紹介し終わった森田さんは、通学カバンを持ってその部屋を出て行った。心細くなる。


「生徒会長さん、私の絵を描いてほしいというわがままをお聞きくださりありがとうございます」と母親が言って頭を下げた。


「しかもわざわざうちにお越しいただき、ご足労をおかけいたしました」


「いえ、お気遣いなく」


「それに息子があなたに絵を描いてほしいと茂子を通してお願いしたそうで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「いえ、とんでもありません。私は男性の絵を描いたことがないので自信がなかったものですから」・・・責められてるんじゃないよね?


「家内の絵を描いてくださるということで、ほんとうに感謝しております」父親らしい男性も頭を下げた。


「いいえ、お易いご用ですが、私の絵を気に入っていただけるかわかりませんので、気を遣わないでください」


後で聞いたら父親は、妻の絵を描いてもらうことを電話で職場に連絡され、早退して帰宅していたそうだ。そこまで期待させてしまって申し訳ない。


そのとき、森田さんがお盆にお茶を載せて部屋に入って来た。


「粗茶ですが、どうぞ」私の前に茶碗を置く森田さん。家族の方にもお茶を置いた。


「ありがとう、森田さん」


すると母親の横の若い男性が深々と頭を下げた。


「茂子の兄の卓郎です。茂子には私の絵も描いてほしいなとは言いましたが、あなたを呼び出してまで描いてもらうつもりはありませんでした。ただの妹とのじゃれあいでした。申し訳ありません」


「いえ、気にしてませんから、どうぞ顔をお上げください」


お茶を配り終えた森田さんは父親の横に正座した。


森田さんの家族四人は、皆にこにこしながら私を見つめていた。ちょっといたたまれなくなったので、


「それではさっそくですが、お母様の絵を描かせてください」と告げた。


「よろしくお願いします」と母親が頭を下げた。

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