第12話 横浜の妖怪(幽霊電車)(1)
昭和四十四年八月中旬に話を戻す。田舎から帰ってから八月二十三日の土曜日に同窓会があって、私は女子高時代の同級生たちと旧交を温めた。
そして八月二十四日の日曜日に短大近くの下宿に戻った。英語研究会(英研)の合宿の集合場所が短大最寄りの駅の前だったからだ。
ちなみに英研の合宿なので、横浜で出会った外国人と(手当り次第に)英会話を行うことになっている。
短大の最寄り駅に着くと、下宿に戻る途中でスーパーに寄り、今日の夕飯と明日の朝食と昼食用に総菜パンや菓子パンをいくつか買った。台所を汚したくなかったからだ。
部屋に入ってお茶をわかす。総菜パンの夕飯をさっとすまし、お風呂をわかして入ると、早々に布団を敷いて眠った。
翌朝、お風呂を洗ってから昨日買った菓子パンの朝食をいただいた。部屋はあまり汚れていないが、それでも簡単に掃除をしていると、玄関ドアが開いた。
「おはよう、美知子さん」それは黒田祥子先輩だった。
この下宿は黒田祥子先輩と水上杏子先輩(二人は従姉妹)が借りているマンションで、私は家事を手伝うことで同居させてもらっていた。朝食と夕食の用意と水回りの掃除を担当しているが、下宿代を考えると安いものだ。ちなみに二人は料理がからきしだった。
「おはようございます。祥子さん、もう来られたんですね?」
今日の合宿の集合時間は午後一時だ。
「ええ。美知子さんが泊まると聞いていたから、早めに会いに来たの」
私はすぐに祥子さんに紅茶を淹れてあげた。
まだ家を出るまでに余裕が会ったので、私はこれから行く合宿のことを聞いた。
「横浜に行くんでしたよね。そこで手当り次第に外国人に話しかけるんですか?」
「まあ・・・ね。相手に失礼にならない範囲でね」
「女子大生や女子短大生の集団にいきなり声をかけられたら相手もびっくりするでしょうね」
「全員で一斉に話しかけるわけじゃないのよ。しっかり会話ができるように、二、三人ずつの小グループに分かれて別行動を取るの」
「そうですか。・・・横浜は行ったことがないので、道に迷わないか心配です」
「最初に部長が各グループに地図を渡すから、それを見れば帰って来れるわよ」
坂田さんは確か地図が読めなかったはずだけど・・・。
「ところで横浜ってそんなに外国人が多いんですか?」
「都内と比べて特に多いってわけじゃないわね」
「え?・・・じゃあ、どういう基準で横浜に行くんですか?」
「半分は遊びの合宿なの」と祥子さんに言われて私は納得した。
「だから横浜の観光地に行くグループが多いわね。ただし外国人に会ったら、一応英語で話しかけることになっているから、あらかじめ話しかける言葉を考えておいてね」
「はい」
そのとき祥子さんがいるので昼食用のパンが足りないことに気がついた。そこで一緒にスーパーに行って、ジャムサンドと、道中のおやつ用のお菓子をいくつか買った。
マンションに戻って昼食を食べ終わると、出発していい頃合いになっていたので、部屋の片づき具合を確認してから祥子さんと一緒にマンションを出た。
すぐ近くの駅前には、既に数人の英研部員が集まっている。
「藤野さん!」とその中のひとりが私に声をかけた。坂田さんだ。
「こんにちは、坂田さん。いやに張り切っているわね?」
「今日横浜に行くでしょ?だからお奨め観光スポットを昨日柴崎さんに聞いておいたのよ」
「柴崎さんに?」
「ええ。柴崎さんの父方の祖父母が横浜にいるから、よく知っているのよ。あっちに行ったら私に任せてね」
観光旅行でなくて英研の合宿なんだけど、と思い、ほかの部員の様子を窺ったが、誰も坂田さんの言葉に目くじらを立てる人はいなかった。みんな、遊びに行く気が満々なんだ。
しかし地図が読めない坂田さんだ。柴崎さんから聞いた話だけで大丈夫なんだろうか?と不安に思う。
祥子さんは同学年の部員の田端さんと話をしていた。今年はどこへ行こうか、というような内容だった。
しばらく待っているうちに部員が十五人くらい集まった。すると部長の天野さんが大声で話しかけた。
「はい!そろったからそろそろ出発するわ!各自桜木町駅までの切符を買ってね!」
「はい」と口々に答える部員たち。しかし英研の部員の総数は約三十人のはずだ。
「全員そろってないですけど、いいんですか?」と私はそっと天野部長に聞いた。
「帰省している部員が何人もいるからね、ここより横浜の方が近くて、去年も参加した部員には、ホテルに直行するよう言ってあるの」と部長に言われて納得した。
切符を買って駅に入り、ホームに入って来た電車に部員たちがばらばらに乗る。席に座れなかった私が立っていると、坂田さんがそばに来て、
「私、横浜初めて。楽しみだわ」と私に囁いた。
「私もそうよ」
坂田さんとおしゃべりしながら電車に揺られ、途中で電車を乗り換えてしばらくしたら席が空いたので、二人で並んで座った。
その後もおしゃべりは続いた。東北旅行の思い出、同窓会の場では言えなかった元クラスメイトに対する感想など、話題は尽きなかった。
「ところで坂田さんの田舎はどこなの?」
「うちは両親とも代々同じ市内の出身だから、遊びに行くような田舎はないの」と坂田さんが残念そうに言った。
そんな話をしているうちに国鉄の桜木町駅に着いた。改札を抜けて古めかしい駅舎を出ると、駅前左手には高架と貨物駅があり、その向こうには港湾施設が広がっているだけだった(註、現在のみなとみらい地区)。
私たちがぼーっと立っていると、駅から出て来た天野部長が私たちに声をかけた。「こっちよ!」
天野部長の言葉に従って西方向に歩き出す。道路を横断し、狭い路地に入ったところに宿泊所である桜木町グランドホテルがあった。
グランドホテルと豪華そうな名前だが、年季が入った五階建てのビルだった。まともなホテルかちょっと心配になる。
「ここは古いけど、英研御用達の常宿なの。安全なホテルだから安心してね」と天野部長。毎年泊まっているのなら、問題ないだろう。
ホテルのロビーに入ると、直接ホテルに来た部員たちが集まっていた。祥子さんが部長を手伝って点呼を取り、全員そろっていたので、まず宿泊料を徴収された。
一泊二食付きで八百円だ。多分安いのだろう。しかし五日泊まるので四千円になる。
宿泊代を部長がフロントで払った後で、あらかじめ決められていた部屋割りが発表された。個室ではないようだ。
私は坂田さんと祥子さんと天野部長との四人部屋を言い渡された。
「部長と一緒なんだ・・・」と困惑した顔で私に囁く坂田さん。
私も同じ感想を持った。ちょっと緊張する。とはいえ反対するわけにもいかず、私はみんなと一緒にホテルの階段を上がった。エレベーターはないようだ。
四階まで息を切らしながら上り、指定された四〇一号室に入る。中は八畳くらいの広さの和室で、靴を脱いで上がった。
部屋の片隅には畳まれている四組の布団が置かれていた。古びた部屋だがそれなりに清潔そうで安心した。
「なんか、修学旅行を思い出すわね」と坂田さん。私も同感だ。
「今日は貸し切りだそうだから、食堂でミーティングを開くわよ」と天野部長が私たちに言った。そこで荷物を置くと、部長たちと一緒に一階に降りた。
ほかの部員たちもぞろぞろと集まってくる。
部員が全員そろって適当にテーブル席に腰かけると、私たちの前に天野部長が立った。
「これより昭和四十四年度の英語研究会の夏合宿を始めます!」なぜかまばらに拍手が鳴る。
「朝食は九時、夕食は六時。その間にグループごとに街中に出て行って、英語を話しそうな外国人に出会ったら会話を試みて。最初は意思の疎通がうまくできないかもしれないけど、それがいい経験になるから」
「はい」と主に一年生が答えた。
二年生、三年生は初めてではないので特に何も言わなかった。大学四年生や短大二年生は、就職活動などがあるため途中参加、途中退出ありの自由参加だそうだ。
「私たちは、部屋割りと同じように部長や祥子さんと一緒に出歩くんですか?」と私は囁き声で祥子さんに聞いた。
「基本的に同学年の三人でグループを組むの。先輩がいたらつい頼ってしまって、積極的に会話できないでしょ?」と祥子さんに言われる。
「グループは明日の朝発表するわ。とにかく、名門の
「はい」と私たちは答えた。
「一年生は同じ部屋に先輩が泊まるから、寝る前にでも、どういうところに行けばいいか、聞いてみるといいわ」
「はい」
「明日の朝、グループごとに横浜市内の地図を配るから、それも参考にしてね」
「・・・地図なんて何が描いてあるかわからないわ。藤野さん、頼りにしているからね」と予想通り坂田さんに頼られた。
そのとき中年のおばさんが食堂に入って来た。
「あんたたち、もう食事を出していいかね?」どうやらホテルの厨房の人のようだ。
「ええ、いいわよ。お願いします」と天野部長はおばさんに答え、私たちの方を向いた。
「みんな、料理を運ぶのを手伝って。食費は宿泊代に含まれているから、用意された料理やご飯は全部食べていいわよ。だけどお酒は別料金だから、飲みたい人は自分で買ってね」
「お酒が飲めるの!?」目を輝かせる坂田さん。「藤野さん、一緒に飲まない?」
「私はいいわ。・・・祥子さんたちと飲んだら?」
「そうね。私も部長も飲めるから、三人でビール大瓶を三本買いましょう」と応じる祥子さん。
私たちは厨房の方に移動し、出される大皿を受け取って食堂のテーブルの上に運び始めた。すべて中華料理だった。中華街を擁する横浜らしいと言えばらしいけど。
大皿に盛られた料理を小皿に取り分けて食べる形式だった。メニューは、エビ団子と白菜のスープ、五目うま煮、シュウマイ、鶏のから揚げなどだ。
ご飯は電気釜からセルフでお茶碗に盛る。坂田さんたちは厨房横の冷蔵ガラスケースからビール瓶を取り出して、厨房のおばさんにお金を支払っていた。
コップや栓抜きも持って戻って来る坂田さんたち。
「いくらしたの?」
「一本百五十円よ」と坂田さん。市販価格が百三十円だから、冷やし代を入れれば良心価格だろう。
ホテルでの夕食が始まった。料理はどれもおいしく、ご飯も多すぎるくらいあった。
坂田さんたちは自分でコップにビールを注いで、ぐびぐびと飲んでいる。
「坂田さんはいける口ね」と感心する祥子さん。
一緒に飲み始めている天野部長に私は「毎年横浜なんですね?」と聞いた。
「まあね。二、三回参加すればだいたい観光地を回れるけど、ついでに買い物をするからね、飽きないわよ」
「軽井沢とか箱根にも行ってみたいけど、ここよりお金がかかるからね」と言って祥子さんは肩をすくめた。
そのとき、ひとりの部員が私のところに近づいて来た。
「藤野さん、ちょっといいかしら?」
顔は見たことがあるが、まだ名前を覚えていない人だった。
「二年生の羽田さんよ。羽田志乃さん」と祥子さんが私の耳元に囁いてくれた。
「なんでしょうか、羽田先輩?」
「あなたは今年の春に泰子が電報料金をなくしたときにすぐに見つけてくれた人よね?」(第1章第5話、第6話参照)
「はい。・・・妖怪の仕業だと騒がれていましたけど、そうではありませんでした」
「私も妖怪か幽霊の仕業じゃないかと思った出来事があるの。後で相談に乗ってくれる?」
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