第2話 東北の妖怪(一寸法師)(1・依頼)

昭和四十四年七月二十一日月曜日、午前十一時五十六分(日本時間)、アポロ十一号に搭乗したニール・アームストロング船長が人類で初めて月面に第一歩を印した。その時の「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」という言葉は歴史に残った。


私は短大の夏休み前に受ける試験の勉強をしていたが、その週はアポロ十一号の人類初の月面着陸が世間で話題になっていた。そんなときに、私の母校である松葉女子高校の生徒会長である古田和歌子さんから封書が届いた。ちなみに昨年の生徒会長は私だ。何の手紙だろう?と思いつつ開封すると、返信用の封筒とともに次の文面の便せんが入っていた。


藤野美知子様


前略


今回お手紙をさし上げたのは、白井小夜さんという二年生から妖怪についての相談を受けたためです。


私たちは妖怪について何の知識も対策も持ち合わせておりませんが、美知子先輩は在学中は妖怪関連の謎をいくつも解いてこられ、妖怪ハンターと呼ばれるほどに頼られていたとお聞きしています。


そこで白井さんからの相談内容をお伝えします。試験勉強でご多忙のことと思いますが、もし何らかの解決方法を思いつかれましたら、同封した封筒を使って白井さんにお返事を出していただけないでしょうか。


以下、相談内容です。


白井さんの母方の祖父母の家は東北にありますが、元々地主だったそうで古いけど大きな木造家屋だそうです。中は薄暗い部屋が多く、木材が軋む音もしばしば聞こえてきて、白井さんが子どもの頃には怖い思いをしたそうです。


その家は元々平屋でしたが、白井さんの母親が子どもだった頃に屋根裏に子ども部屋を作り、階段を設置しました。今では物置部屋になって大小の箱がたくさん置かれているそうです。


去年の秋頃の夕方に白井さんの祖父が畑仕事から帰ったときのことです。物置部屋に上る急な階段を見上げたところ、薄暗闇の中に子どもが立ってるのが見えたそうです。身長は一メートルくらいで、和服を着ていましたが、その子どもの顔は中年の男のように醜く歪んでいました。


その話を聞いて、私は江戸川乱歩の「一寸法師」を思い出しました。


白井さんの祖父は腰を抜かして、玄関まで這って出ると、近所の人を呼んだそうです。警察官まで来る大騒ぎになりましたが、家の中を探しても子どもも中年男もいませんでした。


お金や貴重品は盗まれていませんでした。しかし、物置の中に置かれていた箱のいくつかには動かした痕跡があったということです。


その後は怪異現象は起こっていませんが、白井さんの祖父母は今もなおその家でおびえて暮らしているそうです。


本当に妖怪がいたのか、それとも何かを見間違えただけなのか、その謎を解いてほしいと白井さんに頼まれました。冒頭に書いたように私たちには何もできませんので、美知子先輩を頼ってお手紙をさし上げました。


もし可能であれば、ですが、白井さんの相談に乗っていただけないでしょうか?


時間が経っているので急ぎはしないそうです。どうぞよろしくお願いいたします。


草々 古田和歌子


これを読んで私は考え込んだ。


まず、この世に妖怪なんているはずがない。・・・多分。


田舎の旧家に背の低い中年男がいた。白井さんという人の祖父が顔を見たが、知った人ではなかった。直接危害を加えられなかったので、身長と服装はまずおいて、おそらく村外から侵入した空き巣狙いだろう。


だが、何も盗まれてないと言う。祖父に見つかったのですぐに逃走したのだろうか?


それとも、物置部屋の箱の中にお宝があって、奪われてしまったのだろうか?


さすがにこれだけの情報では結論が出せない。だから白井さんには、現場に行って調べないとはっきりしたことは言えないと返事を出そう。


現場に行くってことは、私を祖父の家に招待することになる。白井さんの祖父がそれを受け入れてくれるだろうか?


「そこまでしてもらう必要はない」という返事が来れば、それでこの件は終わりだ。いや、むしろ終わりになってほしい。そう思いながら私はざっと返事を書き、翌朝ポストに投函した。


その週の試験を無事に終え、土曜日になってお昼過ぎに実家に帰省した。


午後二時過ぎに家に着いたら、玄関に知らない女性ものの靴が二足そろえられていた。一足は松葉女子高校の通学靴だ。


「た、ただいま・・・」と用心しながら声をかけると、すぐに母が出て来た。


「おかえり、美知子。お客さまが来ているわよ」


「お客?」私がおそるおそる玄関に上がると、お茶の間に二人の女性が座っていた。ひとりは女子高時代の同級生の柴崎さんだ。今は徳方大学に進学していて、卒業以来会っていない。


「あら、柴崎さん!?」


「お帰りなさい、生徒会長!・・・じゃなかった、藤野さん!」立ち上がる柴崎さん。


「久しぶりね。・・・その子は?」と私は、柴崎さんにつられて立ち上がったもうひとりのお客を見た。松葉女子高校のセーラー服を着ている。


「この子は私の従妹の白井小夜よ」と紹介する柴崎さん。


「ご、ご無沙汰しています、藤野先輩」と白井さんと紹介された女子生徒が頭を下げた。


ご無沙汰?・・・初対面ではないのかな?顔は覚えていないが。


「あなたが古田さんから紹介された白井さんね。はじ・・・こんにちは」初めましてと言いかけて言葉を選んだ。私は三月まで生徒会長をしていたから、下級生が私の顔を知っていても不思議ではない。


「立ち話もなんだから座りましょう」と私は二人をちゃぶ台の前に座るよう促した。


二人が座り、私は荷物を置いてその正面に座った。母は台所にお茶を淹れに行った。


「今日来られたのはおじいさんのおうちの件?」と私は白井さんに尋ねた。


「柴崎さんが白井さんの従姉だとは知らなかったけど、そのことで柴崎さんも来たの?」


「そうなのよ、藤野さん。藤野さんから丁寧な返事をもらった小夜が母親、つまり私の叔母に相談したの。藤野さんをおじいちゃんの家に招待していいかって」


「そして母が伯母、つまり由美さんのお母さんに電話で相談したのです」と白井さん。


おそらくどこの馬の骨かわからない私を実家につれて行くと白井さんが言ってるので、どうしたものかと相談したのだろう。


「そしたら伯母は藤野先輩のことをよく知っていて、信頼のできる人だって保証してくれたの」


「そこで話が私の耳に届いたってわけ」と柴崎さんが言った。


「妖怪が出たか出なかったかなんてどうでもいいけど、これは藤野さんを祖父宅に招待して、一緒に旅行ができるチャンスじゃないと考えたの。藤野さんも知らない人の家にひとりで行くより、私がいた方が心強いでしょ?」


「それはその通りだけど、結局おじいさんの家に行くことになったの?」


「ええ。おじいちゃんも私の友だちで小夜の先輩である藤野さんを招待することには賛成してくれたし、例の妖怪騒動の謎を解いてくれる頭のいい人だって言ったら、往復の旅費も負担してくれることになったの」


「そこまでしてくれるの?」さすがに旅費のことは心配だった。いくらかかるかわからないけど、往復数千円は必要だろう。まだバイトを始めていないから、懐具合は厳しかった。


「もちろんよ。おじいちゃんの家で一緒に寝泊まりしてもらうから、宿泊費もいらないわよ。・・・妖怪が出たかもしれない家だけど」


「妖怪なんていないわよ」と私はさらりと言い返した。


「頼れることを言ってくれて嬉しいわ。いつ祖父の家に行ってくれるの?」


「おじいさんの方の都合もあるんじゃない?」


「その点は大丈夫よ。藤野さんの都合に合わせるって」


「私は八月二日から夏休みになるから・・・」


「じゃあ、三日の日曜日に出発しましょうか?」


私はお茶を持って来た母に聞いた。「八月三日から柴崎さんのおじいさんの家に遊びに行ってもいいかしら?」


「どこまで行くの?」と母が聞くと、「東北です」と柴崎さんが言って住所を教えてくれた。


「山と田んぼしかない田舎です」


「じゃあ泊めてもらうことになるのね。何日くらい行くの?」


「とりあえず一週間くらいではいかがでしょうか?」


「なら、おじいちゃんちに行くのに問題はないわね」と母が言った。この「おじいちゃん」は私の祖父のことだ。毎年お盆の時期に遊びに行っている。


「でも、旅費まで出してもらっていいのかしら?」


「藤野さんにはこちらからお願いして来てもらいますので、そこは遠慮しないでください。私たちの親も祖父母も了承しています」


「お父さんがいいと言うなら行ってもいいけど」と母が折れた。


「それではどうかよろしくお願いします」と柴崎さんと白井さんが頭を下げた。


「どうせなら坂田さんも誘おうかな?」と柴崎さんがうきうきしながら言った。


「今度会う約束をしているから、聞いてみるね」


私は改めて白井さんを見た。私に見つめられて頬を染める白井さん。最初は思い出せなかったが、だんだん見たことがある・・・いや、描いたことがある顔のような気がしてきた。


「ひょっとして、白井さんに似顔絵を描いてあげたかしら?」


「はい。入学したときに美術室で似顔絵を描いてもらいました。ありがとうございました」


あの時の下級生のひとりか、と私は納得した。


「今度は妖怪退治に来てくれることになったので、改めて感謝しています」


「話がまとまったところで、これから私の家に来ない?母も歓迎してくれるわよ」と柴崎さんが言った。


「ごめんね。今日は夕方から予定が入っているの。東北から帰って来たら寄らせてもらうわ」と断った。


「それは残念ね。・・・忙しそうだからそろそろ帰ろうか」と柴崎さんが白井さんに言った。


一緒に立ち上がる二人。私は二人を玄関先まで見送った。


お茶の間に戻ると部屋の隅に包装紙に包まれたお菓子が置いてあるのに気づいた。


「柴崎さんが持って来られたのよ」と母。みんな気を遣うようになったんだな、見習わなければと思った。

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