第2話 柴崎家の妖怪(ろくろっ首)

昭和四十三年の十二月から昭和四十四年の二月にかけて、私、藤野美知子は同級生の柴崎由美さんと坂田美奈子さんと一緒に受験勉強をした。


私たち三人は、年末年始には私の家に、三学期が始まってからは柴崎さんの家に集まって勉強した。ちなみに私と坂田さんが受験を考えているのは秋花しゅうか女子短大と白砂しらさご女子短大で、柴崎さんは秋花しゅうか女子大学と徳方大学を志望していた。


昭和四十四年一月十二日の日曜日、私は朝から柴崎さんの家に行って、坂田さんと三人で受験勉強をした。


昼食をいただいた後、満腹になって二階にある柴崎さんの部屋に戻ると、柴崎さんが突然真顔になって私たちに話しかけた。


「ねえ、ちょっと心配事があるんだけど、話していい?」


「いいわよ?受験の悩み事?私たちで良ければ相談に乗るわよ」と私は気軽に聞いた。


「受験のことじゃないの。・・・もちろん受験がうまくいくか不安はあるけれど、全然別のことなの」


「ひょっとして恋愛相談?」と茶化す坂田さん。


「違うわよ・・・」柴崎さんは最初は言いにくそうにしていたが、意を決して話し始めた。


「ねえ、ろくろっ首って知ってる?」


「え?」私はちょっとあわてた。思っていたのと全然違う話だったからだ。それも私の苦手な話だ。


「知ってるわよ。首が長〜く伸びる女の妖怪のことでしょ?」とさらりと返す坂田さん。


「ろくろっ首には首が長く伸びるのと、頭が体から離れて飛んで行くのの二種類あるんだって」


「そ、そうなんだ・・・」私にとっては知りたくもない情報だ。


「ろくろっ首が何よ?心配事の相談じゃないの?」と坂田さん。


「その心配事がろくろっ首なの」


「ええっ!?」驚く私と坂田さん。


「実はね、今月の五日のことなんだけど、私たちは生徒会長の家で、一緒に勉強していたわよね?」生徒会長とは私のことだ。


「ええ。お夕飯までいただいて帰ったわ」


「暗くなってから家に帰って、夕飯はすませていたからお風呂に入って、そのままこの部屋でひとりで勉強をしていたの」


嫌な予感がする。あまり聞きたくない。


「夜の十一時頃かな?お手洗いに行きたくなってこのドアを開けたの」


そう言って柴崎さんは実際にドアを開け、私たちに二階の廊下を見せた。


「そのとき、部屋の前の廊下と階段は電気が着いていなくてほぼ真っ暗だったんだけど、・・・あの階段を上がったところあたりに白い女の顔が浮いていたの」


「ひぃい〜!」私は悲鳴を上げてしまった。怖い話は苦手だ。


「あ、ごめんね。生徒会長はお化けとか妖怪が苦手だったわね。でも安心して。今は昼間だから、妖怪は出ないわ」


「顔だけだったの?ほんとうに体は見えなかった?」と坂田さんが追求した。


「暗かったけど顔はうっすらと見えたわ。でも、体は見えなかった・・・」


「そのろくろっ首の顔に見覚えは?」


「全然見たことのない顔だったわ」


「そのとき二階には・・・隣の部屋には誰かいたの?」と私は聞いた。それがろくろっ首でなく、ただの人間であればと願っていた。


「お正月に兄が二人帰省していたけど、上の兄は仕事があるから三日に今の住まいに帰ったわ。二番目の兄は大学生だから、五日まではいて、隣の部屋を使っていたわよ」


「お兄さんは何か言ってた?」


「私は三日、四日、五日と生徒会長の家に行ってたでしょ?夕飯もいただいたから、その三日間はほとんど顔を合わせていないわ」


「そのお兄さんが彼女を家に入れていた可能性はない?」


「十二月に帰って来たときはひとりだった。彼女がいるとか、まして彼女をつれて来るとか、そんな話は一切聞いていないの」


「仮に彼女さんが家にいたとしても、顔だけ飛んでいるってことはありえないわ」と坂田さんが口をはさんだ。


「それで柴崎さんはその・・・ろくろっ首を見てどうしたの?」


「とても怖くて、すぐにドアを閉めて、布団にもぐってがたがたと震えていたわ」


「お手洗いは我慢できたの?」


「怖いから我慢していたんだけど、二時間くらいそうしていたらとうとう我慢できなくなって、意を決して一階のお手洗いに行ったの・・・」


「そのときはもうろくろっ首はいなかったの?」


「ええ。・・・怖かったからできるだけ急いでお手洗いに入って、用をすませたら一目散に部屋に戻ってきたけど、何にも出くわさなかった。・・・家族も寝静まっているみたいだった」


「ご家族には聞いてみたの?」


「その夜は怖くてなかなか眠れなくて、翌朝起きたときはお昼前だったの。お父さんは仕事で、兄は大学の下宿に戻っていて、二人とももういなかったけど、お母さんに『昨日誰か女の人がいなかった?』と聞いてみたわ。でも、『誰も来ていない』って言われちゃった」


「夢ってことはないの?」と確認してみる。


「夢だったらいいなと思っているけど、はっきりと見てしまったから。・・・それからは気になって夜勉強ができないのよ」


「それは深刻ね」


「あなたたちと一緒だと平気なんだけど、二人が帰るとまた怖くなっちゃって」


私は怖いから柴崎さんの家に来るのをやめようかと一瞬思ったが、そうしたら柴崎さんを見捨てることになる。友だちをそんな目に遭わせたくはなかった。


「ねえ、生徒会長、私を見捨てないでね・・・」おっと言われてしまった。私の気の迷いがわかったのか?


「もちろん見捨てたりなんかしないわよ。第一、この世にお化けや妖怪なんていないんだから!」後の言葉は、自分自身に言い聞かせるためのものだった。


「人智で解けない謎はないわ。妖怪ハンター美知子に任せなさい!」


私が空元気を出して謎の解明を宣言すると、柴崎さんと坂田さんが喝采した。


「さすがは生徒会長!頼れるわ!」「よろしくお願いね!」


「もう一度確認するけど、そのとき二階の廊下と階段にはまったく明かりがなかったのね?」


「ええ。月も出ていなかったし、外に街灯もないから、物干し台のガラス戸からも光は差し込んでなかったわ」


「そのとき柴崎さんの部屋の明かりは?」


「夜中だったから天井の電気は消して、机の上の電気スタンドだけつけていたの」


私は部屋から出ると、階段の上あたりに立って柴崎さんの部屋を見た。ドアを開放していても、電気スタンドの光が直接見えることはなさそうだった。


「一階には誰かいたの?お兄さんは隣の部屋で寝てたの?」


「私がろくろっ首を見たときには一階では両親がまだ起きていたと思うけど、物音や話し声ははっきりとは聞こえて来なかったわ。兄は隣の部屋にいたと思うけど、物音がしなくなっていたからもう寝てたんじゃないかしら?」


「部屋の外から何も音は聞こえなかった?」


「じ、実は、ドアを開けるまでラジオを聴きながら勉強してたから、少しの物音なら気づかなかったのかも・・・」


「そしてその日は朝から私の家に来て、夕飯を食べて帰ったから、家族とあまり顔を合わすことはなかったのね。・・・帰ったときに家族の態度に何か変なところはなかった?」


「なかったと思うけど。・・・そう言えば家に帰るなりお母さんが、『夕飯はすませたんでしょ?なら、早くお風呂に入って休みなさい』と言ってくれたわ。・・・そのときは何とも思わなかったけど、今思うとせかされていたような気もするわ」


「最後の質問を一つ。柴崎さんちの客間に懐中電灯は置いてある?」


「ええ、非常用にタンスの上にいつも置いてあるわ」


「なるほど、大体わかってきたわ」私の言葉に驚きを隠せない柴崎さんと坂田さん。


「え、ほんとなの?」「教えて!」


五日いつかのいつか・・・しゃれじゃないわよ。五日の柴崎さんが家にいなかったときに、やはりお兄さんの彼女が来たのよ。それも喪服を着て」


「ええっ、どういうこと?」


「どういうことか知らないけどね、喪服を着て彼氏の家へ突然何の前触れもなく来たとすると、お葬式の最中にのっぴきならない事件が起こったのね」


「何で喪服とわかるの?」


「まあまあ、先を急がないで。・・・とにかく柴崎家が動転する事態になったことは確かよ。でも、家には柴崎さんという受験生がいる。そこで柴崎さんの家族は、受験が終わるまで柴崎さんには内緒にしておこうと考えたわけよ」


「よく想像できるわね、そんなこと」と坂田さんが感心したのかあきれたのかわからない感想を述べた。


「その女性を家に泊めることになったけど、柴崎さんに会わせないために、柴崎さんを早めに入浴させ、部屋に引きこもらせたのよ。・・・その女性はお兄さんの奥さんではないから、一緒に寝させるわけにはいかないでしょ?そこでその女性は一階の客間で、お兄さんは二階の隣の部屋で寝ることになったと思うわ。昼間に大騒ぎがあったとしたら、そのときの気疲れでお兄さんは早めに寝てしまったのかもね」


「講釈師みたいに見ていたように言うのね。でも、ほんとうにそうだった気がしてきたわ」と柴崎さん。


「その女性も悩んでいて、柴崎家に迷惑をかけてはいけないと思い直し、夜中に家を出ようと考えたのかもしれない。そこで喪服を着て、柴崎さんの両親に気づかれないように電気はつけずに、客間に置いてあった懐中電灯を持って、お兄さんに別れのあいさつを言いに二階に来たの。お兄さんの部屋のドアを軽くノックするけど返事がない。・・・そのとき柴崎さんはラジオを聴いていたのでノックには気づかなかったの。・・・その女性がお兄さんの部屋のドアをそっと開けてみたらもう寝てる。そこで黙って去ろうと思い、階段を下りようとしたときに柴崎さんが部屋のドアを開けたの。その女性はあわてて懐中電灯を消したのよ」


「そうか!電気スタンドの淡い光だけを間接的に受けてその女性の白い顔が闇の中に浮かんだんだけど、黒い喪服はよく見えなかったのね!」と坂田さんが叫んだ。


「そういうこと。・・・その後のことはわからないけど、その女性が夜中に家を出たのか、一階にいるご両親に見つかって朝まで待たされたのか、どっちかでしょうね。そしてお兄さんは翌朝、その女性を追って、あるいはその女性と一緒に、家を出たんだわ」


「そのとき、柴崎さんは夜更かしをしていたためにいびきをかいて寝ていたのね」


「私はいびきなんかかかないわよ!」と、坂田さんに反論する柴崎さん。


「でも、そう考えるとつじつまが合うわね。・・・身内を亡くしたばかりの気を落としている女性を襲うさらなる悲劇。そして私の兄に助けを求めるために、お葬式から逃げ出して会いに来たのね。・・・何かロマンチックだわ」


「何の悲劇なの?そしてその女性とお兄さんは今後どうなるの?」


「それは受験が終わった頃に、ご両親が柴崎さんに教えてくれるでしょうね。とにかく、ろくろっ首なんて妖怪はこの家にはいないから、安心して勉強できるわよ」


「ありがとう、生徒会長。この一週間、ちょっともやもやして、夜も怖かったけど、これで安心できるわ。もっと早く相談すれば良かった!」


私の推理がどこまで正しいかはわからない。でも、妖怪なんていないと自分自身に信じ込ませるためにも、真実っぽい推理を披露しなければならなかったのだ。


「ご両親には今は無理に聞き出さない方がいいと思うわ」


「そうね。私のために秘密にしてくれているのなら、その気持ちをありがたく受け取って、打ち明けてくれるときを待つわ」


私はにっこりと微笑んでうなずいた。今、両親に無理に聞き出そうとして、「そんな女性なんて絶対に天地神明にかけていなかった」などと断言されたら、私までろくろっ首が気になって、夢でうなされるようになるだろう。そんな事態はさけたい。


「ところで、ろくろっ首の『ろくろ』ってどういう意味?」と坂田さんが聞いてきた。陶芸で粘土を載せてくるくる回す装置を『ろくろ』と言うが、それと関係があるのだろうか?


「昔の井戸の上についている滑車のことを『ろくろ』と言うそうよ」と柴崎さんが教えてくれた。


「その滑車にかかっているロープを、ろくろっ首の長い首に見立てたんじゃないの?」


「へー」と坂田さん。


「さあ、勉強を始めましょう」と、私はその話を終わらせるために二人に言った。

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