第5話 大学の妖怪(金霊)(1)

秋花しゅうか女子短大の受験日の前日(二月七日金曜日)のお昼休みに私は職員室を訪れ、クラス担任の中村先生に早退すると断った。


「いよいよ明日ね。私は藤野さんが合格することを確信しているわ」


「ありがとうございます」


カバンを持って学校を出る。


駅に行って電車に乗り、乗り換えて、秋花しゅうか女子大学の最寄り駅に着いた。


実は今夜は黒田祥子先輩と水上杏子先輩の下宿に泊めてもらうことになっていた。


二人とも秋花しゅうか女子大学の一年生で、従姉妹どうしだ。黒田先輩は松葉女子高校の前生徒会長で、在学中から二人にはお世話になっていた。


二人が一緒に住んでいる下宿は、秋花しゅうか女子大学のすぐ近くにあるマンションだ。昭和四十年代にしてはなかなか高級なマンションだが、黒田先輩の父親は貿易会社の社長、水上先輩の父親は工務所の社長をしているので、金銭的な余裕があるのだろう。


二人の母親が姉妹で、美人ぞろいの家系だった。うらやましい。


二人のマンションには秋花しゅうか女子短大の下見を兼ねてお邪魔したことがあったので、入口で管理人さんに声をかけて三階に上がった。


「こんにちは〜」三〇一号室のドアをノックして声をかける。


「いらっしゃ〜い、美知子さん」水上先輩がドアを開けてくれた。


「お世話になります」と言って中に入れてもらう。室内に黒田先輩の姿はなかった。


「祥子さんはお出かけですか?」


「今日は英研のバイトの準備があるらしいの」英研とは秋花しゅうか女子大学の学生サークルの英語研究会のことだ。


「英研のバイトですか?」


「英研も合格電報サービスの受付をするみたいよ。校門近くに長机を置いて、そこを受付にするそうなの」


「なるほど、そうでしたか。・・・杏子さんが所属する落研おちけんはしないんですか?」落研おちけんはもちろん落語研究会のことである。女子大学なのに落研おちけんがあるのは珍しいことだろう。


「実際に動く部員がほとんどいないから、ちょっと無理みたい。ただ、合格発表の日には上谷部長がカメラを持って記念写真を撮るサービスをするそうよ。私も送り先の記入を担当するの」


いろいろ考えているなと感心する。ちなみに秋花しゅうか女子大学の落研おちけんの部長をしている上谷葉子かみやようこさんは、髪をぼさぼさに伸ばし、普段はどてらを着ているフーテン娘のような人だが、実際はかなりの美女だった。


「美知子さんは秋花しゅうか女子短大の合格発表を見に来るの?来ないのなら、結果を電話してあげるけど」と杏子さん。


「来れないときは電話してもらえれば助かりますが、一応確認に来るつもりです」


「じゃあ記念写真を撮ってあげる」と言って水上先輩はにこっと微笑んだ。


しばらくすると黒田先輩が帰ってきた。


「お待たせ〜、美知子さん」


「祥子さん、お世話になります」


「英研で合格電報サービスの準備をしていてね、ちょっと遅れちゃった。さあ、早めに食事に行きましょうか」


「合格電報サービスって、英研以外のクラブもするんですか?」マンションの外に出てから私は黒田先輩に聞いた。


「ええ、クラブやサークルにとっては稼ぎ時だからね。いくつも受付が並ぶと思うわ」


「でも、合否の確認は責任重大ですね」


「まあね、間違った電報を送ったら、場合によっては大事件になりかねないからね。そのため合否の確認は必ず複数の部員で別々に行うのよ」


「だから部員がいない落研おちけんじゃ難しいの」と水上先輩が口をはさんだ。


「でも写真撮影も、送り先を間違えないよう気をつけないといけないですね」


「そうなの。だから宛名だけじゃなく、写真を撮った人の特徴とか、着ているものなどもメモしておかなくちゃならないの。写真を間違えないように」


それにポラロイドではなくフィルムカメラだから、ちゃんと写っているのかすぐに確認できないのも怖いところだ。


夕食は近所の中華料理屋に行った。私と黒田先輩はラーメン、水上先輩はチャーハンを頼み、さらに肉野菜炒めを注文して三人でつついた。


「明日、短大を受験する私と坂田さんは二科目しかないので午前で終わります。大学を受験する柴崎さんは午後からも試験があるので、終わるまで待ちたいと思います」


「なら、杏子に言ってマンションで待ってたら?」


「お願いします」と私は水上先輩に声をかけた。


「それから明日の夜は何が食べたいですか?」マンションに泊めてもらうお礼に受験が終わった日の夕食は私が作ると約束していた。ちなみに祥子さんも杏子さんも料理は苦手だった。


「そうね、ビーフシチューと赤ワイン!」と黒田先輩。ぜいたくだぞ、この酒飲みめ、と思ったが口には出さない。


「私は大根とコンニャクが入った煮物。それにキュウリの浅漬け」と水上先輩。何でメニューを統一してくれないんだよと思う。


「わかりました」と答えると黒田先輩が夕食の食材代をくれた。


「昼食はどうしましょうか?祥子さんは合格電報の受付のバイトがあるでしょ?」


「英研の部員が交代で適当に食事をとることになっているけど、差し入れをしてくれたら嬉しいわ」


「じゃあ、マンションに戻ってからサンドイッチでも作りましょうか?少し遅くなってもいいなら」


「そうね。・・・前に作ってもらったトーストのサンドイッチはおいしかったわ」


クラブハウスサンド風のサンドイッチだな。適当に作ったけど、好評だったなら嬉しい。


「坂田さんにも昼食を出していいですか?」


「もちろんいいわよ」


夕食からの帰りにスーパーで食パン、コーンフレーク、牛コマ、タマネギ、ニンジン、薄切りハム、大根、コンニャク、厚揚げ、キュウリ、デミグラスソースの缶詰、ミルクココアの素、牛乳の大びんと三角パックを買った。


ワインはスーパーにはあまり置いてなく、目についた赤玉ポートワインを買った。甘いやつだ。


マンションに戻ると食材をしまってから、早めにお風呂に入らせてもらって早めに寝た。


翌朝、七時頃に起きると、さっそく朝食の準備を始めた。二人に折り畳み式テーブルを出してもらい、その間にやかんに水を入れ、牛乳を小鍋に入れて、それぞれを火にかけた。


小鉢三個にコーンフレークを盛り、温めた牛乳をかける。一方でコーヒーカップ三個にミルクココアの素を入れ、お湯少々で溶いてから温めた牛乳を混ぜた。


それらをお盆に載せてテーブルまで運ぶ。コーンフレークはトーストよりも簡単で、時間がないときには便利だ。


温かいココアでほっと一息つく。


「私は八時過ぎに柴崎さんたちと大学の校門で待ち合わせをしていますが、祥子さんはいつ頃出ますか?」


「合格電報の受付はお昼前から始めるから、十時頃に出るわ」


「私はずっとここにいる」と水上先輩。


朝食後、小鉢やカップを洗っておく。やがて八時になり、私は試験会場に行く準備を整えた。


「それでは行ってきます」


「頑張ってね」


見送りを受けながらマンションを出ると、すぐに秋花しゅうか女子大学の校門に着いた。校門脇の比較的目につきやすいところに立って柴崎さんと坂田さんを待つ。


続々と女子生徒が校門に入ってくる。これがみんな受験生だと考えると、合格する自信がどんどんなくなっていく。短大を受験する生徒は、このうちのどのくらいだろう?


そんなことを考えていると、こちらに向かって手を振っている人がいるのに気づいた。柴崎さんと坂田さんだ。無事にここまでたどり着けたらしい。


「生徒会長!」と二人が叫んで寄って来る。「お待たせ!」


「そんなに待っていなかったわ。さあ行きましょう」


三人で試験会場を確認する。柴崎さんがA棟の二〇三教室、坂田さんがC棟の一〇四教室、私が同じくC棟の一〇五教室だった。


「柴崎さんはお昼をどうするの?」


「私はお弁当を持って来たから、試験会場で食べるわ」


「じゃあ、午後の試験が終わった頃に校門で待ち合わせましょう。私と坂田さんはお昼に待ち合わせをして、昼食を食べて待ってるわ」そう言って私たちは別れた。


C棟一〇五教室は五十人くらいが入れる教室で、私は自分の席を確認して座った。


さすがに本命の受験と考えると、先週受験した白砂女子短大よりも緊張する。やがて試験監督の先生が入室してきて、答案用紙と問題用紙が配られた。


試験開始の合図が出されると、すぐに問題用紙と答案用紙を裏返し、集中して問題文を読み始めた・・・。




秋花しゅうか女子短大の入学試験が終わり、私は校門のそばに戻った。まもなく坂田さんもやって来た。


「どうだった?」


「まあまあかな」と坂田さん。「自信があるわけじゃないけど、なんとか落ち着いて試験を受けられたわ」


「それは良かった」


「ところでこれからまたどこかへ昼食を食べに行く?」


「その前に、ちょっと寄るところがあるから」と私は言って、校門近くの、クラブやサークルが合格電報サービスをしているところに近寄った。


「今度は合格電報を頼むの?」と驚く坂田さん。


「そうじゃないの。・・・あ、あそこだ!」


私は英研の受付テーブルを見つけて駆け寄った。坂田さんも後に続く。


そのテーブルの前に何人かの受験生が並び、テーブルの反対側で椅子に座っている黒田先輩が受験番号と氏名や住所を聞いて記録をしていた。


「あ、黒田先輩がいる・・・」と驚く坂田さん。


「黒田先輩が入っている英研、英語研究会も合格電報サービスをしているの。大学の試験が終わるまでいるそうだから、お弁当を持って行く約束をしたのよ。・・・だから、黒田先輩の下宿に寄ってお昼を作るから、坂田さんも行きましょ?」


「私が行っていいの?」


「もちろん、坂田さんの昼食を作ることの承諾は得ているわ」


マンションに着くと水上先輩が迎え入れてくれた。私は荷物を置き、二人には座ってもらって、さっそくクラブハウスサンド風のサンドイッチを作り始めた。


食パンを焼き、薄切りハムやレタスやキュウリの薄切りをはさみ、マヨネーズで味をつける。それを四人分作って、一人分は紙で包んだ。


ついでにココアを二杯作って、水上先輩と坂田さんの前に置いた。


「祥子さんにお弁当を持って行くから、二人は先に食べていてね」と告げる。


サンドイッチと牛乳の三角パックを持ってマンションを出ようとすると、


「あっという間に作っちゃった。何て手際がいいのかしら」という坂田さんの声が聞こえた。

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