第4話 診療所の妖怪(雪女)(2)

三澤医院の奥に自宅があるということで、三澤先生の指示で看護婦さんに案内してもらった。


洋風の応接間に招かれると、そこで待っていた老婦人に椅子に腰かけるよう言われた。


「今日は来てくれてありがとう」と老婦人が言った。


「コーヒーとお紅茶とどっちを召し上がる?」


「コーヒーをお願いします。ミルクと砂糖はいりません」


その老婦人はインスタントでなくドリップコーヒーを淹れてくれた。その老婦人は自分用にミルクティーを作った。


「どうぞ、召し上がれ」


「はい、いただきます」私はコーヒーをブラックですすった。その様子を老婦人は見ていたが、何も言わなかった。


「あなたは・・・」と老婦人がようやく口を開いた。「まだお若いご婦人なのに、『妖怪ハンター』と呼ばれているのですってね?」


私はコーヒーを吹き出しかけた。『妖怪ハンター』うんぬんは柴崎さんに言った冗談だ。


「実際には、妖怪の仕業に見えた現象が実は妖怪とは関係なかったことを示しただけで、『妖怪ハンター』というのは冗談ですよ。・・・今回、雪女を見たという噂があると聞きましたが、この世に妖怪なんていませんから、それが錯覚か誤解だと明らかにできればと思って参りました。・・・もちろん、お役に立てる保証はありませんから、ここで帰ってもかまいませんが」


「実は、あなたのことを聞いた時に、若い娘がたわごとを述べるだけではないかと疑いました。しかし今、あなたのお話を聞いて、理性的な方と確信しました。どうか、私の話を聞いて相談に乗っていただけないでしょうか?」


「わかりました。では、最初からお話を聞かせていただけますか?」


「・・・あれは二週間くらい前の、雪が降っている晩のことでした。夜中の十一時頃に診療所の前を車で通った近所の方が、診療所の向かい側の壁の前に白い着物を着た女性を見たそうです」


私はうなずいて話の先を促した。


「その女性は胸元に布でくるんだ何かを持っていて、それが赤子を包んだおくるみのように見えたそうです。その方は、この寒い夜に何でそんな女性が立っているのかといぶかしみ、十メートルぐらい行き過ぎてから戻ってきたそうですが、そのときにはもう誰もいなかったということでした。そのようなことが一週間ぐらい毎晩のようにありましたし、その白い着物を着た女性を見た人がほかにもいました。最初は『雪女みたいだな』と冗談を言っていましたが、そのうちに息子に恨みを持つ女性が化けて出てきているんじゃないかという、けしからぬ噂まで流れ始めました」


「息子さんってのは、先ほど私を診察していただいたお医者様のことですね?その女性に心当たりはないのですか?」


「息子はまじめで、女性に対しては奥手で、これまでつき合った女性はいないと思います。それどころか、医学部を卒業した頃は『一生研究を続ける』などと言って、夜遅くまで大学の研究室に閉じこもるような日々を繰り返して参りました。私の目には、女遊びするような時間はとてもないように思われました」


「私も先ほど息子さん・・・三澤先生とお話しして、女性を捨てるような人には見えないと思いました」


「そうでしょう!」と言って老婦人が身を乗り出した。


「あの子はほっておいたら一生独身のままで過ごしそうなので、二年前に無理矢理お見合いをさせたことがあるんですよ。ちょうど博士号を取得した直後くらいに」


「そのお見合いはうまくいかなかったんですか?」


「相手の女性は医者の妻になれると最初は乗り気でしたが、息子が一生研究を続けると言って譲らなかったので、結局愛想を尽かされて破談になってしまいました」


「なるほど。・・・でも、三澤先生はこの診療所を継ぐことになったのですね?」


「ええ、主人が去年の秋に亡くなって、かかりつけの患者さんもたくさんいたので、泣く泣く研究者の道をあきらめてこの診療所を継いでくれたのです。・・・息子が戻ってくれたのは嬉しいのですが、夢をあきらめさせたことには申し訳なく思っています」


「なるほど、わかって来ました」


「え?もう真相がわかったのですか?」


「いえ、まだ確証はありません。・・・その雪女はまだ目撃されていますか?」


「いえ、先週の金曜日頃から今日まで、夜に雪が降っていても雪女を見たという話は聞いておりません。それまでは毎日のように見た人がいて、聞きたくもないのにわざわざ私に知らせに来てくれていましたのに」


「奥様か、三澤先生はその雪女を見たことがありますか?」


「いえ、私たちは一度も。・・・見たら見たで怖いような気がして。息子は慣れない仕事に疲れて、夜は早めに休みますから、雪女が出る時刻まで起きていることはありません」


「雪女を見たという人は信用できる人ですか?」


「ええ、何人か雪女を見たという人がいますが、みなさん昔からの知り合いで、主人に助けられたことが何度もありますから、冗談や嫌がらせで雪女を見たなんて言わないと思います」


「わかりました。では、最後にお願いがあります」


「何でしょう?」


「二年前に三澤先生がお見合いをした相手の住所はわかりますか?」


「え?ええ・・・。仲人さんに聞けばわかると思います。あなたの同級生の須藤さんの話を持って来たのもその仲人さんですから」


「では、仲人さんにその女性の近況を聞いてください。それから、もし可能ならその女性の近所のお医者さんに、その女性が最近受診したり入院したことがないかを、三澤先生から調べてもらえないでしょうか?」


昭和四十年代は、個人情報の保護についてはまだゆるゆるだった。患者の情報も、同業者のお医者さんなら容易に聞き出せるだろう。


「その、お見合いの相手が雪女の正体ですか?」と老婦人が私に聞いた。


「それは調べてもらった内容を聞かないとわかりません。もし違ったら、また別の可能性を考えます」


私はそう告げて診療所を後にした。


午後から学校に行く。私が教室に入るとすぐに須藤さんが近づいて来た。また二人で廊下の隅に移動する。


「今日、三澤医院に行ったんでしょ?何かわかった?」


「うん。・・・三澤先生に過去に女性がいるようには思えなかったわ。ただひとりを除いて」


「え?・・・女がいたの!?」


「女性と言っても恋人とか愛人とかじゃなく、お見合い相手のことよ」


「そ、それって、私のこと?」


「そう、雪女の正体はあなた!」と言って私は須藤さんを指さした。


「須藤 みどり、あなたが真犯人よ!!」


「・・・何それ?」口をぽかんと開ける須藤さん。


「じょ、冗談よ。怒らないでね。・・・実は二年前にもお見合いをしたことがあるんだって。でも、まとまらなかったらしいわ」


「もめずに破談になったんなら、恨まれる筋合いじゃないわよね。それがどうして?」


「その女性の情報はないので、今はまだ何とも言えないわ。三澤先生とお母さんに調べてもらっているところ」


そう言って話を打ち切った。まだ真相がわかったわけじゃない。


翌日の夜に私の家に三澤医院から電話があった。


「もしもし、三澤ですけど」私が電話に出ると老婦人の声が聞こえた。


「私、藤野美知子です。先日はお邪魔をしました」


「あなたに調べるよう頼まれていたことがわかりましたわ。電話で聞きますか?」


「いえ、明日の放課後・・・午後四時頃にそちらに伺います。お話はそのときでよろしいでしょうか?」


「けっこうですわ。診察が終わっていたら、息子も同席させましょう」


というわけで翌日の放課後に三澤医院を訪れることになった。柴崎さんたちとの勉強会はこの日もお休みだ。受験前なのに何をしているのかと言われそうだが、間接的に須藤さんのためになればと思って行動した。


午後四時頃に三澤医院の前に着くと、既に医院の入口はしまっていた。私はぐるりと回って自宅側の玄関を見つけた。


ドアホンを鳴らすとすぐに三澤先生が玄関を開けてくれた。


「ようこそ、藤野さん。母がお待ちしています」


私があいさつをして玄関に上がると、一昨日にも通された応接間に招かれた。


そこには老婦人が待ち構えていて、すぐにコーヒーを淹れてくれた。老婦人は先日と同じミルクティーで、三澤先生は私と同じブラックコーヒーを飲むようだった。


私はコーヒーを一口だけすすると、すぐに話を切り出した。


「それでは、先日お願いした調査の結果を教えていただけますか?」


「では、私からお話ししましょう」と老婦人が言った。


「息子が二年前にお見合いをした相手の女性は、仲人さんのお話では息子とは破談になったものの、医者と結婚する夢をあきらめきれず、別のお医者様との縁談を探したそうです。しかしあいにく適当なお話がなく、未だに結婚できないままだったそうです」


「そうでしたか・・・」


「そして僕が聞いた話をしよう」と三澤先生が言った。


「彼女は先週末に自宅近くの病院に入院した。肺炎だったそうだ。・・・そして治療の甲斐なく、今週の日曜日に亡くなったそうだ」


「な、亡くなられたんですか?」私は驚いて聞き返した。


「そうらしい。・・・彼女が雪女だったのかい?」


「・・・その女性が亡くなったということでしたら、もう真相を確認することはできないかもしれません。これから話すことはあくまで想像のお話として、よそには漏らさないでいただけますでしょうか?」


「わかりました」「私もわかりましたわ」と二人が約束してくれた。


「お母様のお話では、見合い相手の女性はお医者さんと結婚したかったようですが、先生が研究者の道を選ばれたために破談になったそうですね?」


「その通りです。あのとき息子は『医学部を出たのに臨床医にならずに研究を続けるなんて馬鹿みたい』とまで言われましたのよ」


「その女性は、今お聞きした話ではずっとお医者さんと結婚したがったようですが、あいにくいい縁談は見つかりませんでした。そんなときに、三澤先生が研究者の道をあきらめてこの医院を継いだことを知りました」


「と言うことは、息子との縁談をもう一度願ったんですか?あんな捨て台詞を吐いたくせに?」と老婦人が憤慨して言った。


「確かに、もう一度お見合いをお願いするのははばかられたでしょうね。しかも、その頃には正式ではないといえ、須藤さんとのお見合いの話が出ていました」


「そうですわね」


「そこでその女性は、三澤先生との縁談を復活させるための計画を考えました。それがあの雪女の仮装だったのです」


「雪女に化けて何になるのですか?」


「雪女のつもりだったかどうかはわかりませんが、赤ん坊を抱いた白装束の女の扮装をして、三澤先生が過去に女性とその女性に産ませた子どもを捨てたという風聞ゴシップを作りたかったのではないでしょうか?」


「そ、そんなことを・・・」


「その噂が広まれば当然須藤さんとのお見合いはなかったことにされますし、その後の縁談にも差し障りが生じるでしょう。・・・そして傷心の三澤先生と奥様に、自分が嫁入りしてあげると持ちかけるつもりだったのです」


「息子の評判を落とした上で恩を着せようとするなんて、なんて厚かましい女かしら!」


「あ、あの、確証はないので、あくまで想像です。ちなみに赤ん坊に見えたおくるみは湯たんぽでも入れていたのかもしれませんね。でも、雪の夜に薄着をしていれば風邪を引き、悪化すれば肺炎になるのは目に見えています。ですから先生にその女性が病院にかかっていないかお尋ねしたのです」


「なるほど、あなたは研究論文が書けるぐらいに頭がいいんだね!」と三澤先生が感心してくれた。


「あなたのような頭のいい女性こそ息子にふさわしいわ!」と老婦人も言った。


二人に見つめられ、私はあわあわと狼狽ろうばいしてしまった。


「あ、あの、・・・私は来月短大を受験して、短大を卒業したら就職するつもりなので、まだ二、三年は結婚いたしません。先生にはそれでは遅すぎると思いますから、どうかほかの人との結婚をお考えください」


「あら、そうなの、残念ね」と老婦人が言った。三澤先生ももう三十だ。二、三年も待てないだろう。


「それではこれで失礼します」と私は言って立ち上がった。


「今度のことはどうもありがとう」と言って老婦人は封筒をさし出した。「これは少ないけれどお礼よ」


「いえ、そんな。・・・私は須藤さんのために動いただけですから」それに事件は被疑者死亡で既に終わっている。私が解決したわけではない。


「まあ、いいから、遠慮しないで」と言って、無理矢理封筒を握らされた。


結局押し切られて、私は封筒を受け取って三澤家を辞した。


家に帰ってから親に内緒で封筒を開けてみたら、中には五百円札が一枚きりしか入っていなかった。ちょっとがっかりした。医者の奥さんはしっかりしているな。

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