第22話 商人は損していつか倉が建つ

 酒屋に麹屋、米屋に醤油屋。

 小店こみせと呼ばれる雪除けのために軒先を長く延ばした形の歩廊アーケードで繋がった妻入りの大店おおだなが軒を列ねる街道新町本通りは別所村の目抜通りです。

 ここには鉱山に卸す専売品を扱う永代鑑札を持った商人たちが多く店を構えており、どの建物も新しく倉がついた立派なものばかりでした。


 折しも街道は朝から陽炎がゆらめく炎天下。

 小店ではしとみ(建具)を開け広げて風通しを良くしたところへ涼み台を設置し、足下で蚊除けのおがくずを焚き、脇にはたばこ盆を置きながら、人々が団扇片手に半纏浴衣で銘々涼をとっています。



「また、今日も暑くなりそうだなあ……」


 外回りのついでに買出しを頼まれ、新町本通りにやってきた聡吉。

 連日の疲れが溜まってかぐったりとした様子でしたが、来て早々、景気のよいかけ声にむかえられました。


「ヨイトコナー、ヨーイトナー」


 また新しく蔵が建つのでしょうか、店の敷地で人夫達が地固めをするためん突き櫓の綱を引いています。


「このご時世に、蔵を建てるほど儲かっているのか」


 幕末の戦乱を生き延びてきた商魂たくましき豪商達は、余裕が無くとも私財を投げうって道を整備し一度は焼け野原となったこの村を復興へと導いた立役者でもありました。


 商人は損していつか倉が建つの言葉通り、最近では官営となって鉱山の経営が安定するのに合わせ商いを持ち直してきたものも多く見受けられます。


 しかし、聡吉の様な細民たちはまだまだそうはいきません。 


 疲れは溜まれど金は溜まらず。羨望の眼差しとともに口から出たのは大きな溜め息でした。


 そこへ、今度はまた別のかけ声が近づいてきます。



っこい清水しみずう……っこい!」


 さつなぎ(馬の手綱を繋いでおく金具)に繋がれた馬の尾をかすめながら、時おり土埃が舞う街道をふれ歩いてきたのは、だんご桶に入った飲み水を売り歩く冷や水売りでした。


「ちょいと水売りさん、一杯くれよ」


 五郎八茶碗になみなみ注がれた冷たい水を喉を鳴らしながら一気に飲み干す若い客。

 炎天下でそのような光景を見せられたら、だれだって自分も飲みたくなるものです。


 ところが、あいにく財布を忘れてきてしまいました。 

 とはいえ、お使いで渡されたお金に手をつけるわけにもいきません。


 どうしたものかと思いながらも、聡吉はとりあえず水売りのところへと行きました。


「すんません、水を一杯ください」

「へい、一厘になりやす」

「いま手持ちが無いんで、ツケでお願いします」

「お生憎様、うちはツケとかやってないんだ」


 水売りはこちらにお金が無いことを知るや態度を一変させます。


「商人は損していつか倉が建つっていうだろ」

と聡吉が喰い下がるものの、そこは相手も商売人。


「あんたが倉を建ててくれるなら、いくら飲んでもかまわんよ」

と一枚上手だったようで。


 聡吉はがっくり肩を落として退散しました。


 腹の立つように家蔵建たぬとはよくいったもの。それから間をおかずに、水売りが若い女性客とするこのような会話が聞こえてきます。


「いやあ、あんた綺麗だからさ、まけとくよ。なあに、商人は損していつか倉が建つってね」


 なんともわかりやすい依怙贔屓ですが、公平さを求められる職業ではないため致し方ありません。

 それでもむしの居所が悪い聡吉は、はらいせに石を投げようと思い立ちました。

 

 そして手頃な石を探しながらうろうろしていたところ、正面の太物屋から出てきたおリンと鉢合わせになります。


「うおっ! お前、こんなところでなにしてるんだ。家で謹慎中じゃなかったのか?」

「はあっ! わ、わたしは、ちょっと……用があって。あなたこそ、なんでこんなところに。お店を手伝わなくていいの?」

「いや、おらはいま……ちょっと、探し物をな」


 水売りに投げる石を探していました。


 おリンはそんな聡吉の顔を見て、ちょうどよかったとばかりに何かを差し出します。


「あ、これ、ありがとう」


 彼女から手渡されたのは、いま買ったばかりと思わしき真新しい手拭でした。

 聡吉はなんのことやら、首をかしげます。 


「こないだ借りたやつ、ダメにしちゃったから……」


 一昨日貸した手拭のことを言っているのでしょう。しかしあれはもともとボロボロなものでした。


 頬を染め目を伏せながらお礼を伝えるおリン。

 なんだか聡吉も面映ゆくなってきます。

 

「ああ、なんか、気使わせて悪いな……」

「んーん……」


 ほんの一時でしたが、しばしの沈黙がやけに長く感じられました。


 それをはじめに打ち消したのがおリンです。



「そうだ。わたしは、これから本城谷さんに大豆を買いつけに行くところだったのよ」


 その言葉で頼まれたお使いを思い出した聡吉。


「ああ、そうそう。おらも水あめを買わないといけないんだった」

「水あめ?」

「砂糖が手に入らないから、うちでは水あめを代わりに使っているのさ。外回りのついでに頼まれてな」

「へえ、だからあんなに汁の味がまろやかなのね」


 そのようなことを話しながら小店を通る聡吉とおリン。

 並んで歩く二人に違和感がないのか、気にとめるものはだれひとりいませんでした。


 

 おリンと会話のさなか、聡吉が何気なく視線をおくったさき。


 道を挟んで向こうにあった酒屋の潜戸から徳利を持って出てきたのはなんとあの百一の我助です。


 お酒など購入をして、朝から飲むつもりでしょうか。


 我助はこちらに気付くことなく小店を真っ直ぐ北へ、本城谷の水車小屋の方にむかって歩き出しました。

 そして水車小屋の前を通りすぎ、新町本通りと小蔵通り、川岸通りの三つが交わるコロリ地蔵の三つ叉路の方へと歩いていきます。

 

 ふと嫌な予感がしたところで、おリンもこれに気がつきました。


「ねえ、そういえば、鶴松さんちの返済期限って今日じゃなかった?」

「あ!」


 たしか鶴松は返すあてがあると言っていましたが、返したあともまた難癖をつけられるかもしれません。


 二人は万福屋を後回しにして急ぎ我助を追いかけますが、間に合わずに長屋で騒ぎとなってしまいます。



「待ってい!」


 我助が鶴松の胸ぐらを掴んだところをナツが止めに入りました。


「言い訳は沢山だ、もうこれ以上は待てねえ!」


 収まる様子のない我助、おナツは観念したように床板を外して包みを取り出します。


「おナツ、お前それ……」


 それは鶴松からもらった金の簪で、彼女が大切にしまっていたものでした。渡した本人はというと、とうに売ってしまったとばかり思っていたので驚きを隠せません。


「いずれ二人で商いをはじめる元手にと持っていたのだす」


 落ち着いた口調で話してはいますが、彼女がそれを手放したくなかった理由はそれだけではなかったはずです。

 惜別の念虚しく我助の触手がのびたところへ、今度は聡吉が立ちはだかります。



「待て。その前に証書を渡してもらう。これ以上、この夫婦につきまとわれては困るからな」


 またお前かと振り払おうとした我助でしたが、はたと思いとどまり

「お前、山本の……。いいだろう、こっちはもともと金が戻ればそれでいい。これっきりにしてやる」

とあっさり証書を差し出しました。


 随分とものわかりのいいことですが、聡吉と下手に揉めて山本に睨まれたくないというのが彼の本音でしょう。


 くちゃくちゃとマツヤニを噛みながらおナツの簪をもぎ取り

「へへへ……。商人は損していつか倉が建つってな。せいぜい頑張りな」

などといけしゃあしゃあ宣った末に、ようやくその場を立ち去ります。

 

「面目ない……」


 幼い娘がすやすやと眠る横で、力無く項垂れる鶴松。

 聡吉達は、彼の身を起こしてやりながら事の子細を伺いました。





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