第21話 約束の場所

 明くる日の朝、まんじりともせず駒政の自室で一人悶々としていたおリン。


「なんでこうなっちゃったんだろう……」

 

 昨日のことですっかり憔悴しきっているのかと思いきや、多美子から似合いそうだと買ってもらった巾着をじっと眺めながらなにやら内省している様子。

 


 脅迫状の件は昨日が受け渡しの日だったはずです。

 観音堂には駒政からも若い衆が向かいましたが、夜になるとみんな戻ってきました。

 おリンはどうなったのかが気になってしかたがありませんでしたが、昨夜は父の監視のもと自由がきかず彼等から事の子細を聞くことができなかったのです。

 

「まずは誰かから昨日のことを聞き出さないと」


 常に前を向く彼女は、少々失敗をしようが危険な目に遭おうが諦めたりすることはありません。


「そう、なぜならわたしは言い出しっぺだから。これしきのことでへこたれてなんかいられないわ!」



 文机にある市川五右衛門の錦絵に見守られながら一人で息巻いていたところ、なにやら茶の間の方が騒がしくなってきました。

 そろそろ仕事の時間のはずなのに、朝御飯を食べ終えたはずの若い衆等がまだ残っているようです。

 いつもとは違う状況に不思議がるおリンのもとに、若い衆がやってきました。



「失礼しやす。お嬢、これからみんなで頂きものの羊羹をうんですが、お嬢もどうすか?」

 

 それを聞いて合点がいったおリン。

 父である政右衛門の態度が軟化したのです。


 早くから妻に先立たれた政右衛門は、一人娘であるおリンのことをことのほか可愛がっていました。

 おリンを叱りつけ反省を促したまでは良かったのですが、さきに政右衛門の方が堪えられなくなってしまったのです。

 お盆の薮入りにはまだ早いというのに、氷室から来客用の羊羹をだしてきたのもそのため。

 しかし、直接おリンのところへ行くわけにはいかないので若い衆をつかいによこしたのでした。



「ふん、わたしが食べ物につられて寄ってくるとでも?」

 

 内心嬉しくて仕方がないのに、父に見透かされたことが悔しくて強がるおリン。

 そろそろ父が根をあげる頃ではないかと読んでいただけに、その嬉しさもひとしおです。


 そのような駆け引きなどとは全く無縁の若い衆は、おリンがお腹でもこわしたのかと案じて

「いらねえんですかい?」

と聞きますが

「いらないとは言っていないわ」

と即答され、ますます訳がわからなくなってしまいます。


「なんだ、結局食うんじゃねえか」

「食べるけど、その手にはのらないのよ」


 おリンもどうにか話の帳尻を合わせようと必死でした。


「……よくわからねえや、さき行ってやすぜ。みんな茶の間にいやすから」


 これは俗にいう反抗期というものに違いないと、へんに納得をした若い衆。呆れた顔で戻っていきます。



 少し間をおいて、いかさま芝居めきながら白々しくおリンが顔をみせると、二十畳ある茶の間は男達がすし詰めのように座り立錐の余地もありません。

 その隙間を器用に歩き回るのは女中達で、慌ただしく彼等にお茶を配っていました。


「わたしも手伝うよ」


 そう言いながらすでに動いているのがおリンの性分、男達にお茶を配り終えると女中達と羊羹を頬張り姦しく世間話をはじめます。



「ところで、脅迫状ってどうなったの?」


 女中達の話が途切れる頃合いを見計らい、おリンは近くに座っていたさっきとは別の若い衆にそれとなく昨日のことを聞いてみました。


「友造でした。追ったんですがね、逃げられやして。そのあと雨が降ってきたんで、打ちきりになりやした」

「友造って、ケツワリの?」

「へい」

「ふうん」


 山本とは違い誰かしらは必ず観音堂に現れるだろうと予想していたおリンは、それを聞いてもさして驚くことはありません。誰が来るのかを知りたかったのです。


 もう少しで繋がりそうなのだがとおリンが思考をめぐらせていたところで、別の席から若い衆等の声が上がりました。



「あ、そいつはおれの湯呑みだ。底がすこし欠けているだろう?」

「どっちだっていいやい」

「よかねえよ!」


 と、いつものささいな言い争い。


 自分達のなかで誰が配ったお茶かはわかりませんが、おリンはとりあえずその場を収めます。


「ごめんごめん、同じ柄だから間違えて渡しちゃった。今度からわかるように名前でも書いとこ……て、あ!」



 まさかとは思うが、いちおう調べておいたほうがいいかもしれない。


 おリンはそう直感しました。そこからの彼女は早いもの。


「そういえば、そろそろ味噌の仕込みをする頃じゃないかしら?」

「そうであんしね」


 わざと大きな声で女中に話しかけ、上座に座る政右衛門の顔色を伺います。

 

 手前味噌といって、このあたりでは味噌を自分達で作っていましたがその製法は各家々かくややの秘伝でした。

 もちろん仕込みは女中達とするので製法は彼女達も知っていますが、材料に関してはおリンにしかわかりません。


 甘い羊羹を口に入れた政右衛門は、まるで苦い漢方でも飲んだかのように顔をしかめます。


「それじゃあさっそく、本城谷ほんじょうやさんに大豆を買いつけに行ってくるわ」

とおリンが言うと、女中達は彼女の気を察して話を合わせたので

「……しかたねえ」

とついに政右衛門が折れ、うまいこと家を出ることに成功しました。



「ふふ、ちょろいものね」


 口裏を合わせてくれた女中達にあとでお土産を買っていってあげようなどと思いながら、おリンは米穀商本城谷のある街道新町本通りへとむかいます。


 その途中、彼女は樽辺通りから本通りに出るつきあたり、役場倉庫のある空き地にユリの花が一輪咲いているのを見つけました。


「昨日までは咲いていなかったのに……」


 おリンはその場に歩み寄り、花をしげしげと眺めながら昔のことを思い返します。


 役場倉庫の空き地は多美子との待ち合わせによく使う場所で、二人が初めて出会った場所でもありました。


 季節もちょうど今ごろのことです。そのときも空き地にはユリの花が咲いていました。



 三年前にお雇い外国人を連れて副島一家がやって来た際に村をあげて行われた歓迎の催し。

 まだ倉庫のなかったこの空き地で行われ、そこに居合わせたおリンは同い年の多美子と出会い無二の親友となります。


 うっすらと露を纏い朝日に輝くこの白い花のよう。あんなに愛らしい顔で笑うことのできる人をわたしは他に見たことがない。


 彼女と一緒になるという海兵さんは、ちゃんと彼女を笑顔にしてくれるのだろうか。


 「それはまあ……わたしだっていつかは誰かと一緒になるんだろうし、お互いずっと変わらずにいるなんて、はじめから思ってはいなかったけど……」



 役場の奥に建つ皆成別所学校の運動場から、後輩達のはしゃぎまわる声が聞こえてきました。


 空き地の花に背を向けたおリンは再び歩き出すと、街道の大店が集まる通りの中心へ向かいます。

 しかしどういうわけか、彼女が入った先は目的の本城谷ではなく、そのずっと手前にあった太物屋ふとものや(呉服屋)の方でした。

 


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