因りて異形の怪を討て
七星
龍のいる村
元凶・犬神真偽(1)
何故なら、とうとう自分は死ぬからだ。
「なあ、
天を仰いだといっても、視界の中にあるのは青空ではなく、染みだらけの天井と──無骨な、木製の牢だった。
ここは座敷牢である。何故そんなところに浅海がいるのかについては、長くなるからいったん割愛だ。
それよりも、そう、犬神である。
人の美醜にあまり興味のない浅海でも分かる、美しい顔立ちをした女だ。溌剌とした印象のショートヘアに、色素の薄い、緑がかった大きな瞳。頑張ればなんかわし掴みできそうだな……と思えるほど小さな顔。見た目の印象は人懐っこい小動物に近く、合コンにいたら割と高確率で狙われるタイプだろう。というか、狙われたところを見たことがある。
だが、浅海はこの女がどうしようもない化け物であると知っている。
「ええと……浅海先輩と一緒に龍神伝説を調べに、この
もうこの語りからしてまず、状況が異常である。今、浅海と犬神は絵に描いたような因習村の中にいた。辺境の山奥にある閉鎖的な村、歪な村人たちの掲げる生贄信仰! 頼むから解散させてくれ。
「そうだな、俺が閉じ込められる前のところから説明してくれてありがとう。それで? そこからお前は何をしてた?」
「ええと、仕方ないので、ここ三日くらいは天井裏に隠れて過ごしてたんですけど……」
仕方ないからで隠れられるようなところかそれは?
一瞬強烈にツッコミたい衝動に襲われたが、すんでのところで堪えた。今の本題はそれじゃない。
「一番大事な部分を先に言え、犬神。俺をこの牢から出すために、お前は何をしたって?」
彼女はぱっと華やいだ笑顔を見せ、小さな鍵を掲げて告げた。
「村長さんが言ってた、『ヤオバミ様』を祀ってるとかいう祠、壊してきました! そしたらほら、座敷牢の鍵ありましたよ! 鍵! これで出られます!」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……」
地獄の底から響くような低音で呟き、浅海はぐるんと顔を正面に向けた。格子状に区切られた牢の中から片手だけをずぼっと出し、きょとんとする彼女の頭を上からがしっと掴む。
「
「うぇええええ……?」
ぐわんぐわんと頭を揺さぶられ続ける犬神に怒りをぶつけた後、浅海はどっかりとその場に座りこんだ。この村の住民が生贄すら捧げるほどの神の、その祠を壊した? 冗談にしたって最悪である。
つまり、またしても自分は、この村からどうにかこうにか脱出しなくてはならないわけだ。
大きく嘆息する。思えば、犬神にこの村へと誘われた瞬間から、こうなることは読めていたはずなのだ。それなのに――
諦念とともに、頭の中にこれまでの記憶が蘇る。
それはもしかしたら、走馬灯なのかもしれなかった。
◇◇◇
一言で言うと、犬神真偽は暴風雨のような女である。
「先輩、龍がいる村行きませんか!」
とある夏の終わりごろ。浅海が通う民俗学ゼミの扉がバァンと開かれ、勢いよく犬神真偽が飛びこんできた。
浅海はうんざりと顔をしかめてパソコンを閉じる。もうだめだ、レポートの準備はまた今度にするしかない。
「……犬神、いつも言ってるだろ。お前は説明が足りない。まず座れ」
きゃらきゃらと笑っている彼女に向かって、頭の痛い顔で浅海は告げる。同時に、目の前にある椅子をびっと指さした。一つ下のこの後輩は、いつも唐突すぎるしやかましすぎるのだ。
彼女がすとんと座ったところで、彼はこめかみを押さえつつ言った。
「きっかけと、目的と、俺を誘った理由と、生きて帰ってこれる保証を言え」
「ええと、もうすぐ長期休みじゃないですか。それで、フィールドワークの課題が出てますよね? 異形のものを祀る村に行くこと! それで、色々調べてたらこれ、見てくださいよ」
彼女が、その小さな手にはあまるほど大きなスマホを差し出した。最新型である。
「お前またそんな身の丈に合わねえ大きさのスマホを……落とすって言っただろうが」
「買ったの半月前ですけど、まだ十回しか落としてません!」
「ほぼ一日に一回落としてんじゃねえか。買い換えろ……で、何だ? あー、
「そうです! 龍神様を祀ってる村ですよ! ぴったりじゃないですか!」
彼女の言葉通り、そこには辺境の山奥にある村の写真と、流麗な筆文字で「龍蛇村」と書かれたホームページが表示されていた。
スクロールしてみれば、ドギツいビビッドカラーの明朝体で「龍神伝説の残る土地」「龍の
半眼になりながら読み進め、ふっと顔を上げる。
「で、ここに行くって? 俺と?」
「そうです!」
「そうですじゃねえ〜〜〜〜〜」
浅海は天を仰いだ。誰かこの猪突猛進馬鹿を止めてくれ。
「なんで毎度毎度俺なんだよ! フィールドワークなら他の奴を誘え!」
「だって先輩くらいしか一緒に来てくれないので……」
「そりゃ犬神がこんな胡散臭い村にばっかり行くからだろうが!!」
「うさんくさ……?」
犬神はこてんと首を傾げる。嘘だろう、本当に分かっていないのか?
「いいか犬神、聞け」
「はい」
「お前、この前はどこにフィールドワークに行った? 俺を引きずりながら」
「え? ええと……座敷童子がいるっていうお宿です」
「そうだな。そこではしゃぎまわった挙句、お前が見つけたのは座敷童子じゃなくて、天井裏に潜んでた逃走中の殺人犯だったよな?」
「そう……だったかも?」
「その前は?」
「んーと、あ、人魚の末裔が住んでるっていう島です!」
「そうだな。で、そこにいたのは人魚の末裔じゃなくて、伝承の人魚に似てるからって理由で誘拐監禁されてた女の子だったよな? それを見た俺たちは口封じのために殺されかけたよな?」
「そんなことに、なってたんでしたっけね〜……」
そろぉりと視線を外され、浅海は軽くキレた。
「どうしてお前の行くとこ行くとこ、伝承通りのものじゃなくて本物の激ヤバ人間がいるんだよ! おかしいだろうが! いや伝承通りのものがいても嫌だけど!」
「ええ〜! 今度のは違いますって〜!」
「馬鹿言えどう見てもこの村もおかしいだろ! 見ろこの村人
びしっとスマホの中の写真を指さす。そこには、二十人ほどの村人たちが横並びに立ち、それぞれ満面の笑みをたたえていた。彼らの頭上にはビビッドカラーで「いらっしゃい、龍蛇村へ!」と書かれている。
だからこの色はなんなのだ? デザインセンスが皆無なやつがサイト運営をするな。
それにしても、村人たちの姿は異様だった。まず瞳には一切の光がなく、つり上がった唇はほぼ全員が同じ形を描き、のっぺりとした笑みを顔にはりつけている。まるでお面でも被っているかのようだ。
そして、おそらく村長だろうか、村人たちの真ん中に立つ初老の男性は、奇妙な形をした枯れ木のようなものを持っている。なんだか妙に細長い。蛇……のようにも見えるかもしれない。
彼らの笑顔に気を取られていた浅海は、眉をひそめつつ目を凝らし――血の気が引いた。これは枯れ木ではない。
もしかしてこれが龍神だとでも? 冗談がきつい。
「お前、本気でこんなところにフィールドワークに行けると思ってるのか?」
「? 道は繋がってますし……あ、観光バスツアーもしてるみたいですよ」
「そういう問題じゃ……観光ツアーとかあるのかここ!?」
「ひと月に五組だけらしいですけどね。まあ、バスは無理でも車くらいなら、お父さんに頼めば運転手つきで出してくれますし! なんならヘリも出せます!」
事も無げに言われて、浅海は頬がひきつるのを感じた。彼女の猪突猛進さが失われないもう一つの理由が、これだ。
犬神は、実家が太すぎる。彼女の家は、家というよりもはや御屋敷であり、門から家の玄関まで車で移動しないといけないような距離がある。ヘリコプターくらい頼めば出してくれるというのも、全く冗談ではない。
奨学金とバイト三昧でなんとか大学に通う浅海からするとおそろしい話だった。そもそも山奥にヘリで行こうとするな。どういう感覚をしているのだ。
浅海は胃が縮み上がるような思いだった。そんな良いところのお嬢さんを連れて出歩いて、何かがあってからでは遅い。
いや、今のところ、いつも危険な目に遭っているのは浅海のほうなのだが……
唸っていると、犬神は明らかにしゅんとした顔で俯いた。
「うう……やっぱりダメですか……座敷童子のいるお宿で御札破っちゃったの、まだ怒ってるんですか……」
「あ? ああ……いやまあ確かに、天井にあからさまに貼られてる御札なんか気になるだろうけども! あれ剥がしたせいで天井裏への入り口見つけて、最終的に殺人鬼と戦う羽目になっただろ! なんだこの叱り方は……」
一瞬で冷静になり、浅海は思わずうめいた。
犬神が化け物たる所以は、彼女が罰当たりなことをすると、手痛いしっぺ返しを食らうことにあった。御札剥がしだの儀式への乱入だの
そういえば、人魚の末裔がいるという島でも、開かずの間の扉を無理やり壊した先に、少女が監禁されていたのだったか……
遠い目をした浅海の前で、犬神があからさまに肩を落とす。
「先輩が嫌ならいいんです……一人で行くので……」
「は? おい待て」
椅子から立ち上がりかけた彼女の肩をがしりと掴む。
「正気か? 絶対にヤバい村だって言ってるだろうが」
「どこがですか? 普通にホームページもあるのに」
「それはまあ……そうだが! いや、百歩譲って、確かにサイトのデザインセンスが終わってるだけなのかもしれないが、お前が行くってなった時点でヤバい村って確定してんだよ!」
犬神は困ったように――というか聞き分けのない子供を見るような目で、ゆるりと笑った。
「またまたぁ。そんなわけないじゃないですか、私、疫病神じゃないですし」
「つ、伝わらねえ……! 殺人鬼と鬼ごっこまでしたのに!?」
浅海は愕然とした。しかし思えば犬神は、どこに行ったとて最終的には無傷で生還しているのである。何故なら、浅海が大絶叫しながらいつも彼女を助けているからだ。
つまり、自分がいなければ、彼女はおそらく普通に死ぬだろう。ぞっとするような話だ。そうなった場合、浅海は犬神家に訴えられたりするだろうか?
金持ちの思考回路はまるで分からないので、もう全てが怖かった。少なくとも、フィールドワークの前に「先輩を誘ったけど断られたから一人で行く」なんて家族に報告されようものなら、浅海の人生は終わるのでは……
冗談ではなかった。そんな人生の終わり方は嫌すぎる。
だが、伊達に長い付き合いをしてきていない浅海には分かってしまう。犬神は本気だ。おそらく自分が断れば、悠々と一人でもフィールドワークに行く気なのだ。このどう考えても怪しい村に、一人で! 馬鹿まっしぐらか?
長い沈黙の末に、浅海は喉の奥をすり潰すような低音でうめく。
「……だの……」
「え?」
「祠だの、神社の祭壇だの、道端に祀られてる地蔵だのがあっても絶っっっ対に壊すな……札がどっかに貼ってあってもはがすな……禁足地に入りたいときはせめて俺を連れていけ!」
一瞬ぽかんと口を開けた犬神だったが、すぐにぱっと花がほころんだような笑顔に変わった。
「一緒に行ってくれるんですね!」
浅海はうっと唸る。この、くるくるとよく変わる素直な表情に弱い自覚はあった。そもそも浅海は年下に甘い。弟妹が合わせて四人いる環境が、どうしようもないくらいの影響を及ぼしている。
「それしか選択肢ないだろうが……俺はまだ死にたくないし訴えられたくもないんだよ……」
「訴えられ……何か悪いことしたんですか、浅海先輩?」
そりゃお前だ! と心の中だけで
「やったあ! 本当はもう、お宿も仮決めしてあるんですよ! ここですここ」
「お前のその行動力、なんなの……」
呆れながらも、浅海はやっぱり犬神に甘い自覚があった。のろのろと彼女のスマホを覗きこみ、ちゃんと宿を確認する。
はっきり言おう。慢心があった。自分はこれまでもなんとか帰ってこれたのだし、そもそもこの村に何かがあるとは限らないのだと。
そんなはずがなかった。
何故なら犬神真偽の人生に、安全の二文字は存在しないからである。
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