犬神総本家
「なあ、いぬ……いや、違った。
「はい? なんですか?」
「
飛行機から降りて約三十分後。
けれど、まるで一つの城かのごとき壮麗な屋敷――と言ってもその建物が見えるのは門からだいぶ先だが――を見て、
「そうですよ。ここからあっちまで全部、犬神
ここ、と言いながら目の前の門を指さし、あっち、と言いながら屋敷の向こう側を指さす。蒼輔はもはや目眩がした。
「ここは皇居か……?」
そう呟いてしまうくらいには広い。本気で、限界集落の一つくらいなら収まってしまいそうな敷地面積だ。これに比べたら、犬神……否、真偽の実家ですら小さく感じる。こちらが母屋なら真偽の実家は離れだ。それくらいの差があった。
「お嬢様、浅海様。そろそろご挨拶に伺いませんと。御葬式の前の懇談会も、もうすぐ準備が始まりますから」
後方のリムジンの中から、犬神家の護衛だという男が声をかけてきた。真偽は目を丸くする。
「え、もうそんな時間? 先輩、行きましょう。身分証明も終わりましたし」
「あ、ああ」
犬神家くらい大きな家となると、家族葬ですら厳重な警備が必要らしい。蒼輔と真偽は本家の敷地の門の前で、警備員に身分証明書を提示していた。
警備の人間が名簿で確認を取ってから、二人はようやくリムジンの中に戻る。車は門をくぐってあれよあれよという間に敷地に入り、まっすぐ屋敷へと向かった。
真偽の実家は昔ながらの日本家屋といった雰囲気だが、本家はややモダンというか、和洋折衷に近い雰囲気の屋敷だった。というか、どちらかというと「
青みがかった色をした独特な形の屋根に、珊瑚のような白い壁。赤みを帯びたアンティークを思わせる柵や手すり。浦島太郎が訪れた竜宮城とはこのようなものだったのではないか、と蒼輔は思う。
しかも、屋敷はそれだけではない。
おそらく本殿だと思われる、最も大きな屋敷の周りに、それよりもひと回りかふた回りほど小さな屋敷が点在している。敷地内の屋敷の数だけで目眩がした。同じ敷地にいくつも建物があること自体、蒼輔にとっては信じられない。
「お前……本当にすごいところの娘なんだな……」
きょとんとしている真偽に向かってしみじみと呟く。今更だが、本当に自分みたいな人間が婚約者として彼女の横に立っていいのか、心配になってきた。
「で……結局これからどうするんだ?」
そういえば段取りを何も聞いていなかった。敷地が広すぎるのをいいことに、移動中に真偽に聞く。
「ええと、お葬式そのものは明日で、今日は親戚の人たちが集まっての懇談会が夜にあるんです。これは、えっと……なんであるかっていうと……」
ごにょごにょと言いにくそうにした彼女を見て、蒼輔はぴんと来た。
「ああ、なるほど。そこで婚約者とやらを宛てがうわけだ」
「そうです。本当に嫌ですね」
「見合い……いや、合コンだよなそれはもう」
「婚活会場のほうが近いかもしれません……」
どちらにせよ、葬式を翌日に控えているというのに、不謹慎の塊みたいな催しである。
「表向きは、親族が久々に集まっての交流を深める場ってことになってるので、もちろん、既婚者の人もいますし、婚約者と一緒に来る人もいます。でも、独身で私と同じくらいの歳の人たちは、割と本気でお相手を探しに来てたりしますね。本家の血筋に近い人から、分家のそのまた分家、みたいな人もいるので」
「ようは玉の輿を狙ってるってわけか、男も女も」
「そうです……」
心底憂鬱そうに真偽が肩を落とす。本当に嫌なのだろう。
「それと……」
「ん? まだ何かあるのか」
「多分、おばあちゃんの遺言状の開封式が、懇談会中にあるんですけど」
蒼輔は想像の埒外にあることを言われて固まった。遺言状の開封式? ドラマの中の出来事か?
彼女は何故か蒼輔から目を逸らしつつ言う。
「それでその、そこで何か変なことを聞いても、あんまり驚かないでほしいかな〜、って……」
「変なこと?」
言外になんだそれはと問いかけてみても、彼女の言葉は要領を得ない。どこか嫌な予感がしたところで、リムジンが屋敷の手前で止まった。
「お嬢様、浅海様。着きましたよ」
「あ、うん、ありがとう! とりあえず降りましょう、先輩。後が詰まっちゃってます」
彼女がちらりと後ろを見て言う。確かに、犬神家の親族たちがぞくぞくと集まっているようで、後続の車は絶えない。
「いやちょっと待て、お前、何か俺に隠して……」
言いながら車を降りて、彼女に続いて屋敷の中に入る。
瞬間、息を呑んだ。
和洋折衷の様式を取り入れた、ほぼ高級ホテルのラウンジのような玄関と、そこに飾られた豪奢なシャンデリアや調度品の数々に目を奪われたから……ではない。
屋敷の入り口付近。どう考えても来訪者が一番に目にするような場所に、異様な形の剥製が飾られていたからである。
蒼輔は一瞬、その場に化け物がいるのかと思って仰天した。咄嗟に飛びすさりかけて、ようやくそれが、異常な姿をした犬のようなものであると気づいた。
一つの胴体に首が二つくっついている犬に、下半身の骨が丸ごと存在していないかのような形をした犬。様々な奇形の犬がまるで勲章のように飾られていて、蒼輔はぞっとする。
しかも、その中には首と胴体が泣き別れになっているものもあった。何を意図したものなのかがさっぱり分からず、蒼輔は硬直したまま横目で真偽を見る。
「……真偽……これ……」
「先輩、しっ」
彼女の顔が急にこわばり、唐突に蒼輔の腕に自身の腕を絡めた。密着したことで体温が伝わり、蒼輔はさらに硬直する。
「あら、真偽ちゃんやないが?」
そのとき、不意に屋敷の入り口から高い声がした。
五十代ほどの化粧の濃い女性が、まっすぐこちらに歩いてくる。葬式のために来たとは思えない、小花柄の派手なワンピースを纏っていた。
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