後日談(1)


 大学の正門近くまで来たところで、浅海蒼輔そうすけは、何やら構内が騒がしいことに気づいた。すれ違った二人組の女性が色めき立って、何かを興奮気味に話している。

 事件かと思ったが、雰囲気からしてそういうわけでもなさそうだ。たとえるなら、文化祭に有名アイドルが呼ばれていたときのような、刹那的な熱狂に近い空気だった。

 正門をくぐれば、ざわめきはさらに大きくなる。どうやらざわめきの原因である「何か」は、構内にいくつか存在する、授業棟のうちの一つにいるようだった。明らかにその棟だけ、人の出入りが違うのだ。


 腕時計を見ると、授業までには少し時間がある。


 どうして「それ」に興味を持ったのか、自分でもよく分からない。浅海蒼輔は立ち止まって少し考え、しかし結局、ざわめきが大きくなるほうに向かって歩いた。


 たどりついたのはカフェテラスだった。白と青を基調とした、都会の大学に似つかわしいお洒落なそこに、ちょっとした人だかりができている。ほとんどが女子だった。

 彼女たちの視線の先にいたのは、一人の男性だ。カフェテラスで優雅にコーヒーを飲みながら、何かの書類を確認している。


 彼を見て、浅海は素直に驚愕した。人の美醜にさして興味がない彼にも分かるほど、その男は美しかったからだ。

 

 腹の中ほどまで伸ばしたホワイトグレーの髪に、外国人のような彫りの深い顔立ちと、濃い赤の瞳。銀色の細いフレームの眼鏡が、知的な雰囲気を漂わせる。

 歳は二十代後半くらいだろうか? 浪人や留年を繰り返せば、ぎりぎり大学に在籍できる年齢に見えるが、そんな雰囲気は微塵もない。

 どこかの教授の知り合いか、別の大学からやってきた研究者、あるいは臨時講師だろうか。そもそも、こんな目立つ男がこの大学にいたら覚えているはずなので、籍は置いていないのだろう。


 彼が足を組みかえるたび、そばで黄色い悲鳴が上がる。まあ分からないでもなかった。足が異様に長く、スタイルが抜群にいい。

 自分が注目を集めていることは分かっているはずなのに、男はまるで彼女たちに興味を示さない。微笑みかけもしなければ嫌な顔もしない。まるでそこらの空気と変わらぬ扱いだった。


 だが、浅海がカフェテラスの入口にさしかかったとき、男は吸い寄せられるように顔を上げた。

 そして、浅海を視界に捉えた瞬間、顔を綻ばせて手招きをする。


「浅海くん」


 えっ、と声が出た。周りの女子たちがぴたりと黄色い歓声を止める。何故だ、止めないでくれ。

 一瞬たじろいだが、彼は手招きをやめない。

 視線がそらせない。

 なんだ……誰だ? ゼミの教授の知り合いだろうか? あの偏屈な人に、こんな若い知り合いがいるなんて聞いたことがないが……


 だが、迷っている時間はない。このままだとどんどん気まずくなるだけだ。


 浅海はこくりと喉を鳴らして、意を決してカフェテラスに入った。青年が陣取るテーブルまでたどり着き、どう声をかけたものか悩んでいると、不意ににこりと微笑まれる。彼は、自分の向かいにある椅子を手のひらで示した。


「どうぞ、かけて」

「……」


 数秒迷って、しかし最終的に蒼輔は観念した。彼とテーブルを挟んで向かい合う位置にある椅子に、そっと腰を下ろす。


「あの……」

「ああ、悪いね、急に呼び止めて。コーヒーでいいかな」

「えっ、いや、お構いなく」


 だが、知らぬ間にモバイルオーダー制になっていたらしいカフェテラスで、男は手際よくさっさと注文を済ませてしまった。ややあってコーヒーが運ばれてきて、おずおずと受け取る。


「あーっと……あの、あなたは?」

「ああ、そうだった。名乗るのも忘れていたね。私のことは……まあ、加賀知かがちとでも呼んでくれ」

「カガチ……さん?」

「そうだ。君、この前、龍蛇村に行っただろう。私はそこの資料館で学芸員をしていてね。あの村で、君と君の後輩が、ひどい目に遭ったと聞いたものだから」


 彼は憂う様子で目を伏せた。今更だが、まつ毛が死ぬほど長い。


「私は大抵いつも資料館に詰めているからね。家も資料館に隣接しているし、ほとんど村とも交流がない。だから、君たちの状況を把握するのに時間がかかってしまって……私の村が、すまなかった」

「いや、そんな……」


 浅海は困惑した。だってあんなのは、誰かがどうにかできるものじゃない。


「あなたが気に病むことでは……大体、そんな簡単に気づけるわけないですよ。村に、


 瞬間、彼はぴたりと動きを止めた。小首を傾げるのに合わせて、ホワイトグレーの髪がたゆたうように流れる。


「……食人鬼?」

「え、はい……ほら、ヤオバミ様って神様、いるでしょう。あの神様の化身だとかなんとかって言って、食人趣味のあるイカれた奴が村に住み着いて……村の外から来る人間を、生贄と称して村の人間に殺させて、食っていたって……」


 彼――加賀知は一瞬動きを止めて、ふむ、と口元に手を当てた。そのままぼそりと呟く。


「なるほど……そういうことになっているのか」

「え?」

「いや、なんでも。君は確か、閉じ込められていたとか、聞いたけれど」

「ああ、座敷牢にですか? あれは……申し訳ないですが、最悪でしたね。贄とかなんとか言われて……食人野郎に食われるために生きてきたんじゃないってのに」

「……ふむ、そこは変わっていないのか」


 浅海は首を傾げた。なんだか、話が噛み合っているようで、噛み合っていないような……


「それで、その後はどうしたのかな。私は、気づいたときにはもう村に警察が来ていたから、君たちの安否についてはあまりよく知らないのだよ」


 よく考えれば、この男に何もかもを話す必要はないんじゃないか? という思いが首をもたげた。学芸員をしていたなどというが、それが本当なのかすら、浅海に知る術はない。加賀知は身分証すら出そうともしなかった。

 それに、浅海のことを知らなかったのなら、どうして顔を見ただけで、自分が浅海蒼輔であると分かったのだろう?


「ぜひ、顛末てんまつを聞かせてほしい。君たちがどんな目に遭ってしまったのかを、知る義務が私にはある」


 お願いだ、と呟かれ、その吸い込まれそうな赤い瞳と視線が絡む。瞬間、何故だかするりと、口から言葉がこぼれ出た。


「ああ、まあ……なんて言うんでしょうか。俺の後輩がなんとか、助けを呼んでくれはしたんですけどね。逃げる途中でその食人野郎に追いつかれて……俺は殴られて気絶してたみたいです。なんでもそいつ、ヤオバミ様に憧れていたとかで、犬神が祠を壊したことにキレて……犬神に襲いかかったんで、それを庇って、こう、ガツンと」


 浅海は自分の後頭部にコツンと拳を当てながら、なんでこんなにあっさり答えているんだっけ、と思う。けれど、数秒後にはその疑問も霧散していた。


「上手いタイミングで助けが入ったらしいですけどね。俺はあんまり覚えてないんですよ。ほとんど脳震盪起こして気絶してたんで」


 全く、と息を吐いた。やっぱり、犬神が祠を壊したりなんだりすると、必ずそのしっぺ返しが来るのだ。


「なるほど……上手く辻褄を合わせたな……」

「え?」

「いや、なんでも。ありがとう、聞かせてくれて。巻きこまれて大変だっただろう」


 にこりと微笑むさまは、同性である浅海でも少しどきりとするくらい美しかった。黄色い歓声がどこかから聞こえる。

 全ての疑問が氷解したような顔で、加賀知は満足気に頷く。そのままテーブルに片手を突いて、がたりと立ち上がった。


「無事で良かった。こんなもので手打ちになるとは思えないが、コーヒーの一杯くらい奢らせてくれ」

「え? いや、そんな」

「若い人が遠慮なんかするものじゃないよ」


 不可思議な引力を伴う瞳だった。吸い込まれそうな赤が、浅海の視線を根こそぎ奪う。


「それではまた、浅海くん。会えて良かった」


 浅海が見とれている隙に、彼は笑って横を通り過ぎる。


「え、待ってください。やっぱりコーヒーくらい自分で……」

「ああ、そうだ」


 振り返り、立ち上がりかけたところで、びた、と急に足を止められ、浅海は思わずのけぞりそうになった。加賀知はくるりと振り返って、神秘的な笑みを浮かべた。


「これも、返しておこう」


 刹那。

 どん、と鈍い音がした。浅海はほとんど反射のような動きで、自分の胸元を見る。


「は?」


 胸の中心に、ガラス片のようなものが刺さっていた。


「実は二つあったこと、あの子は気づいていなかったようだから」


 薄く微笑む彼の手にあるガラス片が、半分ほど、胸の中に埋まっている。相手の笑みにはまるで敵意はなく、むしろ慈愛のような何かがあった。


「な……ぁ?」


 なんだ、これ?

 何が起きているのか分からない。

 浅海が混乱しているのは、何故か痛みが全くないからだった。傷口から血が流れ出る様子すらない。粘土に刺さったつまようじのようだ。


 それなのに、心臓が痛いくらいに音を立てている。


 手がぶるぶると震えて、視界が銀色の砂嵐で覆われ始めた。ぢか、ぢか、と明滅する視界の中で、異様に美しい男が笑っている。

 ぐるん、と視界が回ったような気がして、そして。


「浅海先輩!!」


 怒号のような、悲鳴のような声が、確かに聞こえた。

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