龍蛇村(2)


 二階には部屋が二つあり、手前からくちなわの間、おろちの間、と書いてある。


「こういうのって、龍の間とかじゃないんだな。龍神を祀る村なのに」


 ガラスつき障子の引き戸は、二枚のガラスが重なる、中心部分に鍵穴があった。このタイプは割と鍵を開けるのにコツがいる。苦心している合間にそんなことを言うと、犬神いぬがみが小首を傾げた。


「おそれおおいんじゃないですか? かみさまですもん」

「そういうもんか?」

「動物のかみさまとか、人が祀られたかみさまとかだったら、その名前使っちゃえばいいですけど。龍神様の名前そのまま使うのって、なんだかマスコットにしてるみたいで不敬なんじゃないですかね」

「まあ、分からないでもないな。だから蛇か」


 龍は空想上の生き物だが、実はその化身は蛇であるという説もある。シルエットだけなら似ているから、昔の人は蛇に龍を見たのかもしれない。


「龍と蛇って同じもの、みたいにも言いますしね。ほら、オオクニヌシ様の御使い様とかもそうじゃないですか」

「オオクニヌシの使い……ああ、龍蛇りゅうじゃ信仰の話か」


 日本古来の神である大国主大神おおくにぬしのかみの使いにも、龍と蛇がいる。正しくは、龍蛇神りゅうじゃじんという神で、水に住む龍と、地に住まう蛇への信仰が一体になった神だ。

 水難から土地の厄災までを防ぐとされていて、出雲で開かれる神在月かみありづきの祭事では、大国主の使いとして、全国から神々を迎えに行く役割を果たしているという。


「神在月の祭事か……」


 不意に思い出して、浅海は苦い顔をした。そういえば、去年の十月に、犬神に引っ張られて神が集まるという祭事を見に、出雲まで連れていかれたのだ。

 あのときも確か、散々な目に遭ったような気がするが――


「浅海先輩」


 妙にはっきりした声で、犬神が浅海の名を呼んだ。思考が引き戻される。

 彼女はにっこりと笑って、ガラス付き障子を指さしていた。


「開きましたよ、先輩」

「ん? ああ」


 見れば、確かに障子は開いていた。このタイプの鍵は、開いたんだか開いてないんだかが分かりにくくて困る。


 すらりと開けた先は、割と広めの部屋だった。

 畳が敷き詰められた、十二畳ほどの部屋だ。民泊のようなもの、と言うからには元々ある部屋を使っているのだろうが、一般家庭においては珍しいくらい広めの部屋である。


「あ、良かった、私の部屋よりちょっと狭いくらいですね」


 にこにこした顔で入る彼女に、浅海は思わず乾いた笑いを零す。確かに、実家暮らしの彼女の部屋はここより広い。だが……


「犬神、それは民泊の人の前では言うなよ」


 彼女は不思議そうな顔をしたが「分かりました〜」と笑う。言質は取ったぞ。


「さて……」


 浅海は辺りを見回す。部屋の四隅にはそれぞれ、畳まれて置いてある布団と、文机のようなもの、そして浴衣や、着替えるとき用の大きめの衝立ついたてなどがあった。

 浅海は衝立の存在に大いに安堵した。犬神は何故か羞恥心が欠如しているので、不意に目の前で着替えたりしかねない。


 無言でずるずると衝立を持ってきて、きょとんとする彼女の目の前に置く。ちょうど、部屋の真ん中にあたる場所だ。


「一旦これを仕切りとする。ここからそっちはお前、こっちは俺の領域だ。侵入するなよ」

「ええ〜?」

「なんだ、ええ〜って」

「だって明日の相談とかしたいですし」

「……それくらいだったら超えてきていい。俺が言ってるのは倫理観の問題なんだよ。ただでさえ、同じ部屋に男女で泊まるってだけで胃が痛いんだ」


 この村に滞在する期間は今日を入れて三日だ。フィールドワークというからには調べることも多いだろう。レポートを書けるくらいには情報を集める必要がある。


 その間、ずっとこの部屋に二人で泊まるのだ。境界線があるとないとでは心の余裕が違う。


 彼女は「そういうもんですか?」という顔をしていた。相変わらず貞操観念がガバガバだ。本当にまずい。犬神家におきましては本当に早くこの女に情操教育を施してほしい。


「それで、これからどうする? 割と移動時間があったしな、本格的に話を聞けそうなのは明日になりそうだけど……」

「あ、それなら、村長さんからお夕飯のときにお話聞けることになってますよ! お宿予約したときにフィールドワークのことを話したら、ぜひって言ってくれました!」


 浅海は思わず呆気に取られた。


「……お前、本当に人の懐に入りこむのが得意だよな……」


 呆れつつも素直に尊敬する。彼女の人懐っこさは天性のものだ。やや幼げで天真爛漫な容姿も相まって、おそらく親戚連中にはえげつない可愛がられ方をするタイプである。


「じゃあ、まあ、夕飯の前に風呂と荷物の整理を……」


 言いかけたときだった。部屋の外がにわかに騒がしくなり、ばたばたと階段を駆け上がる音がする。


「うわ、本当にニホンカオクって感じじゃん! 廊下長〜い!」

「おいちょっと美紀、走んなって!」

「一番乗り〜!」


 先ほどの男女の声が、どたばたと部屋の外を通り過ぎる。浅海はげんなりとした顔で肩を落とした。


「そういや、二部屋しかないって言ってたな……」


 つまり、くちなわの間の隣にあるおろちの間は、あの二人が使う部屋なのだろう。「鍵うまく開かないんだけど!」と叫ぶ金切り声を聞いて、分かっていても気分が下がった。


「どうかしたんですか? ていうか浅海先輩、見てください。浴衣可愛いですよ!」


 きゃらきゃらと笑う彼女をじっと見て、浅海は不意に手を伸ばした。短いがふわふわとした髪を、わしゃわしゃと雑に撫でる。


「わっ? 何? 何ですか?」

「お前のほうがまだマシだよ……」

「何がですかっ!? 先輩!?」


 無心で彼女を撫で続ける。犬神真偽まきという女は厄介だが、少なくとも、アニマルセラピーと同じような効果はあるのだ。

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