龍蛇村(3)


「いやあ、にしても、こんな若い人が龍蛇村に来てくださるなんてなあ」


 時は過ぎ、夕飯時ゆうはんどき

 食卓を囲みながら、目の前の男性――龍蛇村の村長がにこにこと笑う。六十代ほどに見える、初老の男だ。白いものが混じった髪を後頭部に向かって撫でつけ、ぺかぺかとした額を顕にしている。


 ホームページに載っていた顔そのままだった。ただ、あの写真とは違って、のっぺりとした笑顔はしていない。目にも光がある。

 自分たちを――特に、犬神真偽を見る視線が柔らかい。年の差もあいまって、孫を前にした祖父のようだった。


 ここに来て、あの不気味な写真は、ただ写りが悪いだけである疑惑が出てきた。そういえば、あの受付の女性も、別に目に光はあったし。


「ほら、冷えんうちに食え食え。ちゃんと食わんと、若いもんはすぐ細くなる」


 浅海と犬神の前には一人一つ、小さな鍋とコンロが置いてあり、その中ではすき焼きが煮えていた。礼を言って、自分の椀に具をよそう。

 男性の前にも鍋があるが、こちらは水炊きだった。


「にしても、近頃の若いもんは、こういうよく分からんものを祀ってる村なんか、嫌うもんかと思ってたんだがねえ」

「いえ、助かります。フィールドワークにはもってこいですから」


 浅海が律儀に首を振る横で、犬神が口いっぱいに肉を放り込む。むぐむぐと咀嚼して飲みこんだのち、にぱっと可愛らしく笑った。


「そうですよう、村長さん! うちのゼミ、先生の好みがちょっと特殊だから、いつも課題が大変なんです。今回も、異形のものを祀る村に行くことって……」


 浅海は思わず大きく咳払いをした。彼女がきょとんとこちらを見上げてくる。


「人じゃないもの、な」


 異形とか言うんじゃない――と言外に伝えてはみたものの、彼女が理解しているかは怪しかった。

 だが、村長は気にした様子もなくにこにこと頷く。


「そうかいそうかい。勉強熱心で偉いなあ。あ、卵、もう一個いるかい?」

「いいんですか!? 貰います!」


 絵面が完全に孫を可愛がるおじいちゃんだ。犬神は相変わらず、人の懐に入るのが早すぎる。


「ああ、そんで、ヤオバミ様のことを聞きに来たんだったか」

「そうです。なんでも、人間が龍になったとか……」

「おお、よく知っとるなあ。うちのヤオバミ様信仰については、基本的に村の外には記録が残っとらんはずなんだが……」


 不思議そうに目を細める村長の前で、ぴょこんと犬神が手を挙げた。


「私の従姉妹いとこがこの村に来たことがあるみたいなんです! それで、ちょっとだけ話を聞いちゃいました。村には資料館もあって、ちゃんと歴史はあるけど、ネットでの閲覧とかもできないし、そもそも写しが禁止されてる……とか」


 浅海も軽く頷く。それらは全て、先ほど犬神が簡単に話してくれたことだ。

 曰く、龍蛇村の龍神伝説は広く知られることがなく、資料もほとんど残っていない。わずかな書物と、あとは口伝で内容が伝わるのみだと。

 道理で、事前に調べても何も出てこなかったわけだ。


「そうかそうか、お前さんの親戚も来とったのかい。まあ、資料の写しが禁止されているのも、だいぶん昔に、写しを利用して龍神様のことをあることないこと言いふらした人がいるからでなあ。別に秘伝の何かがあるわけではなくてな」


 言って、村長はぽつぽつと語り出した。


 かつて、龍蛇村は野菜も米もほとんど育たないほどやせ細った土地だった。だが、そこに高尚な僧がやってきて『私がここの守り神になりましょう』と告げる。

 僧が三日三晩祈った後に村人が様子を見に来たら、彼は既におらず、今までなかったはずの池ができていたという。


「池……ですか」

「湧き水が溜まった、溜池ためいけに近いもんだがね。龍蛇村うちの名物にもなっとるはずだが」


 ああ、と浅海は頷いた。ホームページに確かそんなことが書いてあったような気がする。


「お坊さんは龍になって、龍神として豊富な水を村に与えなさったわけだ。それに村人が感謝して、祠と小さなやしろを作って祀り始めた。それがわしらの先祖、というわけだわな」


 なるほど、と浅海は頷いた。筋は通っている。


 次いで「それからなあ」と、村長が続けた言葉に、浅海はぽかんと口を開けた。


 曰く、この村の龍神は、増えるのだと。


「増える?」


 浅海は訝しげに眉を寄せる。増えてたまるか、神だぞ。


「増えると言っても、当たり前だが龍神様がぽんぽん増えるわけではねえよ。増えるのは眷属だ」

「えっ、眷属も増やせる神様なんです?」


 犬神が興味津々といった様子で目を輝かせた。村長がうんうんと頷く。


「最初は、坊さんにだけ犠牲を払わせるわけにはいかんと言って、村の若者が何人か申し出てな。そういう者に自分の力を分けてくださるのが、うちのヤオバミ様なのよ」

「……それはもしかして、龍蛇村の神に祈ると加護をもらえる、という話に繋がっていますか?」

「おお、その話も聞いとったか」


 彼はぽんと自らの膝を打ち、困ったようにまなじりを下げた。


「最初は験担ぎ程度だったんだがなあ……ヤオバミ様が力をわけた眷属を作る神なもんで、それにあやかって幸運と知恵を授けていただけるかも……てな宣伝をしたら、まあ知らん輩が来るわ来るわで。禁足地に出入りしたり、勝手に祠の中をいじったり、社で、ええと、なんだったか、動画? を撮るものもおってなあ……」

「ああ……」


 村おこしの一環として「加護」の話を持ち出したら、ミーハーな輩に群がられてしまった、というところだろう。


 隣の部屋から下品な笑い声が聞こえる。ああいう輩ばかりを相手にしていたのなら、確かに浅海と犬神は全く毛色が違う。嬉しくなるのも道理かもしれない。


「うちの社は三年前にできたばかりでな。今まではこう、腰くらいの高さの小さな祠でヤオバミ様を祀ってたんだが、村を豊かにしてくれた神さんにそれはあんまりだろうと、社も建てたわけなんだが……」

「軽薄で流されやすい馬鹿に、荒らされているというわけですね」


 なんだか可哀想な話だった。

 村長は気まずそうに頷く。


「ヤオバミ様は優しい神さんだが、社を荒らされたらお怒りになるかもしれん。夜間は社や祠に近づかんよう言っているんだが、どうしてもなあ……」

「大変ですねえ……」


 犬神が眉を下げる。「お嬢ちゃん、分かってくれるか」と村長は言い、犬神は大真面目に頷いた。こうやって人たらしの才能は発揮されていくらしい。

 浅海は話を聞きつつ、そっと隣の部屋に意識を割いた。ああいう輩はどこでどんなことを仕出かすか分からないものだ。村の人が気の毒だし、犬神の教育にも悪い。


 少しばかり、気にかけておこうと思った。幸い二つの部屋は隣同士だし、夜に出かけようとすれば気づくだろう。この部屋の前を通るのだから。


 そう思っていたが、予想に反して、日付が変わるころになっても、隣の部屋は静かだった。物音ひとつなく、どうやらきちんと寝ているらしい。

 杞憂だったかと浅海は安堵し、衝立をしっかり設置してから眠りについた。ちなみに犬神は、十一時になった瞬間におやすみ三秒で寝ていた。育ちは良い娘なのである。

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