第14話 鬼と龍
上空でうねるような大気の動きを感じる。
動きの大きな鬼の手は、直撃さえ避けられれば忍はそれを掻い潜れる。目下の危険は形も取らない小鬼の方だ。が、それは小さな方の獅子が跳ねるように排除し続けている。
「救急如律令」
すでに場は嵐のような風が吹き荒れ、鬼の手はにじるように少しずつ抑える大獅子を押していた。
キミカズはその時に備え呪力を練り上げる。
「神道開伝」
まるで穴をこじ開けるかのように鬼の左爪が伸び出る右腕の下に食い込むように現れる。デバイスから聞こえる声は一層高らかに、風に散らされもせずに渦巻いて場を清め続けている。
突如変わった風向きはそれを包む忍の上着の袖をバタバタとはためかせる。
重しにしていた岩があまりの風に転がって不自然な軌跡を描いてキミカズの前の岩壁に重い音を立ててぶつかった。
青龍が後ろに来ているのだ。
鬼の側から吹く瘴気と、谷から吹き上げられる風の狭間で岩の通路は豪風が渦を巻く。
風に攫われついにデバイスは大きく岩の床を滑って渓谷に落ちていった。
強大な龍の首が岩肌を覗き込むように一度うなだれて、鋭い眼光を放った。ゆっくり、ゆっくりとそれが正面に向けてもたげられ始める。蛇が鎌首を持ち上げ、獲物に狙いを定めるように。
「!」
キミカズが見たのは忍が首尾よく石を拾い上げた姿だ。だが浄化の助けは無くなってしまった。
それがわかっているのかいないのか。忍は振り向きざま拾った左手でこちらに石を放って来る。
鬼の腕が薙ぐようにそちらに向かって振り抜かれる。
「滅鬼焔神」
右手で小気味よい音すら立てて受け取った石を配置し直すとキミカズは術を放った。
予め開けた別の「道」を通って炎の力が供給されるのが分かる。だが。
(足りないか……!)
足元からなめるように現れた幻のような炎は巨大な鬼の手にまとわり、すべてを抱き込んだ。ひるむようなそぶりは見せたが押しきれるか……岩壁の隅では忍が昏倒して動かない。
(押しきれなければ助けられない……!)
その時だった。
白い影が3つ、軽やかに、だが迅く跳びながら鬼の腕に向かう。キミカズがそれが何かと思うより先に、それは鬼の手にとりつくと、同時に炎の柱が上がった。
「!?」
それは強大だった。キミカズが察したのはこの力も神霊だということ。こちらの「道」を通って来たのかは定かではない。
だが、援軍だ。
「炎帝」
一度に両手にありったけの符を携えキミカズはもう一度、力を振り絞る。
「討罰」
放たれた炎の鳥は岩室に轟音を立てて突き刺さる。鬼は呪詛のようなうめき声をあげ、ついにずるずると穴の向こうに腕が消えていく。
(まだだ)
だが、キミカズは攻撃の手を緩めない。穴は塞げない。完全に滅する必要がある。断末魔が、遠い”道”の向こう側から響き、それが消えるまでキミカズは「鳥」を使役し続けた。
龍の咆哮が聞こえた。
白い影が割り込んだ直後だったろうか。
とてつもなく長い時間のように感じられたが、実際は1分にも満たない出来事だった。
正に背後から大きな
そののちに鬼の絶命を悟るとゆるゆると何度か上空を旋回し、高い場所に消えていった。
大獅子はいつのまにか可視化した大穴をのぞき込むように境界に立ちふさがっている。
「っはぁ……はあ…っ…」
ギリギリだった。
膝を落とし、岩の床に両手をついてキミカズは荒れた呼吸を整えるのに精いっぱいだ。
うそのような夜闇の静寂の中、聞こえるのは自分の呼吸音だけだった。
(忍は……)
顔をあげる。うまく身体が動かせない。鬼という最大の危機は去ったが、一刻も早く処置しなければ息を引き取ってしまう。
倒れたままの忍はぴくりとも動かない。
風が一陣吹いた。
「……人間にしてはよくやった」
あの妖がすぐ隣に立っていた。
「道が開き次第すぐに帰るつもりだったが……最後になかなか面白いものを見せてもらった」
「……」
その後ろには安全が確保されたと知るや、小さな妖たちが風、あるいは煙のような白い影となって次々に道に飛び込んでいた。
それを見て、キミカズは少しだけ笑う。
「約束だったからね……これで『道』は確保できた」
「約束か。そのようなものを守る人間がいるとはな」
そして青い妖もまた、一筋の影となって道の向こうへ消えていった。
幾筋も幾筋も放たれていた者たちが還っていく。決して美しい光景でもなかったが、彼らの念願はこれで叶った。
キミカズは動けずにしばらくそれを見送っていたが、ほどなくして子犬が忍を引きずって来た。
「あぁ……ありがとう。君たちは双竜門の兄弟か。本当に弟だったんだな」
小さい方を眺めながらキミカズが言うと「わん」と犬のように獅子は鳴いた。獅子ではないのかと問いたい。
それよりも忍の方が問題だ。瘴気が濃く残っている通路からとにかく引っ張り出して、なんとか草の褥に転がした。
獅子たちはそこまでは手伝ってくれたが気付くと消えていた。
いつのまにか通路の外は東の空が白む時間だった。
朝靄のかかる空気は清浄で、今までの息苦しさがウソのようだ。
ほうほうの体ではあったが、息を整えて忍をのぞき込む。呼吸もほとんど消え失せていた。すぐに人を呼びたいがデバイスは見当たらなかった。
あるかなしかの荷は吹き飛ばされ、手元にあるものだけでとにかく延命をしなければならない。
式を作り出す余力もないキミカズは途方に暮れる心地で、だが出来る限りのことをしようと意を決し、顔をあげる。
と、視界の端に誰かが立っていることに気が付いた。
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