第12話 巌殿(いわおどの)
地滑りで参道の配電はすべて断ち切れていた。忍は頼りないLEDの小さなライトをもって階段を下りていく。
といっても、急な上に暗いので走ること自体が非常に危ない状態だ。
上の境内の電源は供給されていたが、岩壁に阻まれすぐに一寸先は闇状態になってしまった。
不意の雷鳴。
まるで一瞬昼間にでもなったかのように……否、この谷間は昼間でも太陽に真っ白に照らし出されることはない。だからまるで白に塗りつぶされるような一瞬が辺りを浮かび上がらせ、そして遅れて雷鳴が轟いた。
『今の音は?』
「雷が……でもまだ遠いです」
『まだ、という理由が何か?』
回線の向こうの術師が無意識の言葉を拾い上げ、聞いてくる。それらの全ての確認は彼らにとって意味があることを示唆していた。
「昼間、清明さんは『青龍を見た』と言っていました。だからもしかしたらと感じたのかも……」
『青龍……雷を呼ぶのは青龍とは限らない。ただ青龍であればまずい。疾く、事態を収拾する必要が生じた』
通話口で話していたものとは違う、もっと年を召した者の声がした。数人がデバイスを囲んでいる気配がする。
『青龍は木、雷。文献によればその地の青龍は気性が荒く、逆鱗に触れたがごとく荒ぶる龍を鎮めたとあります』
「鬼ではなく?」
一度は立ち止まった足を前に向け、再び足早に階下へと向かう。
そばだてる耳にはまた老人の声が聞こえた。
『山を荒す鬼の所業に怒り、鬼と争った。自然の化身である龍は人間を守るとは限らん。鬼の気配を察すれば大きな争いを起こす可能性がある』
察すれば。ではない。あれはもう察している。
順序的には違うのだ。鬼の気配を察したからこそ昼間も突如雷を起こした。
あれは相当に気が立っている。おそらくはそういうことなのだ。
となると清明は老人の言うように、龍が来る前に早々に鬼を退けなければならない。暴れまわる龍と鬼を同時に相手にするのはどう考えても無理だ。
『せめているのが赤龍であれば……』
『方位を視よ、その地に赤龍はいない。誘導できるとしても青龍と考えよ』
『娘よ、清明に伝えよ。土を用いてはならない。鬼は『金』の相であると』
国祖社でも別の術師に言われたのがそれだ。彼ら陰陽道に属する呪言師は、五行の相に基づき思想する。
土は金を生み出し、金は木を刈り取る。
土気は鬼にとって強みとなり、青龍をもってしても制しがたい。
赤龍は炎、金を溶かすのは炎なのである。
黒い影が跳ねるように先の橋を渡っていった。
地を這うほどの小さな影だ。夜を駆ける獣といえど、今日ばかりは姿がない。その影は岩の通路に入ると清明の灯すわずかな光に色を得て形を得た。
小さな犬だった。
「清明さん!」
「忍!?」
座を組み渓谷に響く水音を静寂に、時を待っていた清明はあり得ない来訪者に集中を乱す。
それでも伝えなければならないことだ。
子犬はさも忍と一緒にここに来ましたというような体裁で清明の足元からワンワンと吠え上げて飛びついた。
* * *
忍は子犬には構わずにデバイスの向こうにいる者たちの言葉を端的に伝えてきた。
「鬼の相は金。炎を用いる、か。了解した。君はすぐに戻って……」
「駄目です。他の術師が回線越しにサポートに入ってくれるなら、それを確保しておく人間が必要です。わざわざ彼らが私に役をよこすのは、清明さんにはそれができないからでしょう?」
「……」
敏いのには困りものだ。
その通りだった。
自分の陣の中に入れては全く意味がない。
組織で対峙するというのなら、通信という霊的に開かれた回線を通じ、自分とは別の場所で展開されなければそれは効果がないだろう。
絶対的に守れる自信はないが……忍がデバイスの近くにいるなら、逆に他の術者が我が身のごとく守るはず。
キミカズは素早く思考を巡らせ決を採る。
「わかった。けど絶対にこの通路から出ないでくれ。今も妖たちがこちらを見てる」
「……彼らは引き下がってくれたんですか?」
「静観してるよ。邪魔はしてこないはずだ。いずれ僕の領域は通路内だから、何があっても出ないと約束してくれ」
「……わかりました」
ドン。
太鼓のような音が壁の向こうから響く。
太鼓という表現を使うのは、怒りに任せた打ち鳴らしではないからだ。それはまるで不気味な静けさを孕んだノックだった。
ウ~と子犬が身を低くして社の方に向かって突如火がついたように吠え出した。
「ワンワンワンワン!!」
小さな随行者の突然の剣幕に何が起こったのかと二人はそちらに視線を向けたが、何に吠えているのかはわかる。
忍はキミカズと視線を交わし合った直後に子犬を退き寄せようとしたが、その瞬間に天井に亀裂が走った。
「!」
バリバリと音を立て、岩天井が脆いところから崩れ始める。低すぎる天井は退去の時間を与えてはくれなかった。
「忍!」
キミカズが狩衣の裾を翻して手を伸ばすが、届くこともなく身をかばうことも、退くこともできないその瞬間。
小さな犬の上に身をかがめたその上に、更に覆いかぶさるものがあった。
「!」
崩れた岩天井より大きなものが、迫るようにすべてを影に抱えていた。
巨大な腕。強靭な爪。そしてたてがみ。
巨大な獅子がそこにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます