第3話 見えないということ

 鋭い。忍は機微を察することを得手としている。それはそのまま「空気を読む」力でもある。

 人間というのは全く見えないからと言ってそのものに対する感覚がないわけではなく、実は意外とみんな感じる力は持っている。

 それが繊細か鈍感かの違いだ。

 見えない風を美しいと表現できるか、ただの空気と何も思いすらしないかの違いに近い。


「そうだね。こっちを見ている。神霊ではなくこの地に根差す者のようだ」

「ここって」


 なんだかひんやりこっちから感じる、と言いながら忍は見えないそれを眺めるようにした。


「いろんなものがいる感じはするんだよね。何が、っていうわけじゃないんだけど」


 ちょっと嬉しそうだ。元々自然の力の強い場所というのはそういった由来のものが発生しやすかったり集まりやすいから、全く間違いではない。

 現に小さな気配はあちこちに存在している。まるで鳥や獣と同じ、この山の生き物のように。

 最も、割合有名な神域であるこの場所は、行き交う観光客の姿が必ずあっていちいち向こうから干渉してくるということはない。

 彼らの人間に対する意識は、家の前の通りをひとが通ってます、くらいの感覚なのではないかと思う。


「さっきの鞍岩は?」

「あったかい感じがした」


 あくまで「そういう感じ」ということであって忍はこうだと決して断言しない。

 それは単に陽射しのせいか、あるいは見えない何かなのか、彼女の中ではどちらも可能性の圏内だ。

 いずれ「温度」というのは目に見える現象ではないからして。

(忍は皮膚感覚で現象を捉えるタイプなんだろうか)

 こういう場所だとどうしても「清明」になりがちな思考回路でキミカズはそれを眺める。

 今度は右手下の杉林の中が気になる様子。

 小さい何かが、日向ぼっこをするかのようにたむろしている。


「千本杉、か」


 その先にある杉の大木が並ぶ参道に顔をあげてキミカズが呟くと視線が返ってきた。


「ここのご神木だよね?」

「よく勉強してるな。そう、この山は全域が御神域だから杉を傷つけたりすると怒られるぞ」

「そんなことしないし」


 代わりに抱き着きたい。と明言しながら忍はそれをやらない。先ほどから足を止めたりゆっくり歩く自分たちの後ろを追い抜く観光客の足は途絶えない。


「でも誰に?」

「この辺、管理してる神様の御眷属とか」


 途端に説明が人間らしい世界観になって忍は笑う。

 他国の神魔が具現化し、現代日本では神様も身近になったご時世だから分かりやすいといえばわかりやすい。

 もっとも日本由来の神や妖の類は、人の目に見える形で現れることはない。

 実はそれが最適のパワーバランスであることはキミカズも理解していた。


「土地神様じゃなくてご祭神の御眷属なんだね。神主さんと協働してるっぽくて分かりやすい」

「そだなー神社庁管轄のご祭神っていうのは全国的に有名な高位の神様なことが多いし……」


 忍はこのあたりの話を説明なしでも理解できるだろう。

 日本には神道が存在するが、現在神社庁が管理している神道の神様と土着の神様は性質も存在理由も少し違う。

 例えばその土地に由来する「神様」というのは「その土地の神様」であって全国区ではないし、龍神なんていうのも大抵がその地の自然神であり、神社庁の管轄外だ。

 こういう「神社」に祭られているのは「全国で有名な古事記に登場する神様」と思っておけば間違いはないだろう。


 だからこういう自然の深い場所では、いろんな「神様」がごちゃまぜになって存在している。


「キミカズ、あそこは?」


 今度は忍の方から聞いてきた。左手の石垣が低くなって容易に立ち入れるほどの高低差になったその先。陽だまりがある。


「……あそこに何か感じた?」

「そうじゃないけど……鳥が集まってる」


「何もいない」。だがそれはキミカズの目から見た光景であり、忍の目には高低入り混じる草藪の中に、小さな鳥たちが行き帰するのが見えていたらしい。

(本当だ……あの辺りだけ)

 ひと気があるにしてはそれなりに近くでかさかさと飛び跳ねたり小さく飛んでみたりのそれが気になるのか忍はそちらに足を踏み入れる。

 ちょうど小さな石仏と、その横に草藪に入る石段があって、ここは一応「道」である。

(よく見つけるな)

 この辺りは普通に観察眼だ。草に隠れた脇道、おそらくはむかしの作業道か何かの名残りが右上の方に細く続いていた。けれど鳥がいるのは左手だ。


 キミカズも続く、といっても数歩上がればもうその場所なので忍の背中越しに顔をあげる。

 鳥が数羽、急ぐでもなく奥に飛んだ。そこには横たわった古木があって……


「……」


 にこにこしながらこちらを眺める長いひげの老人がいた。

 服装からして明らかに現代人ではない。杖を手にして古木の上の陽だまりに座って鳥たちに囲まれている。

 どうやら鳥はあの老人がいるからこの辺りに集まっていたようだ。

 忍に言うべきか言わざるべきか。


 分かっているわけがないのに、それ以上近づかずにしゃがみこんだ自分の両ひざに頬杖をついて、忍はそちらを眺めている。

(……多分あの老人は)

 それなりにこの地で徳が高そうな、ともすれば「仙人」という言葉を使いたくなる風体だ。何も知らずに自分の方を見ている忍を見るのが楽しいんだろう。


 そっとしておくことにする。

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