第8話 暗路のむこうで
通常、神社というのは朝日の昇る頃に開門し、閉門は日没だ。大きなところは便宜上時間を決めているが、それでも参拝は7時8時と早い時間からできることになっている。
「夜が長そうだね」
「散歩でも行くか?」
「うーん、やめとく」
今日は特別だろうが、夕食も病院並みに早くてまだ19時にもなっていない。神社というのは夜と昼の雰囲気に落差があって、この場所は明りが少ないせいか文字通り闇に沈んでいた。
境内や社務所くらいまでなら出て歩いてもいいだろうがそこから向こうは「行ってはいけない」という雰囲気は滲んでいた。
それは大体、気のせいではなく警告だ。
行っていい時は行っていいという感じがするものなのだ。
今日は「行ってはいけない」。
普通の人間ならば。
「俺は少し歩いてくるよ」
「よく平気だね」
「そういう仕事してるから」
気晴らしだとか興味本位というものではなかった。やはり気配が少ないことは気になったし、地滑りの件もある。
そういう災害が起きるといろいろなものの配置が変わって、災禍が起こったりすることもある。
特にこういった御神域であればバランスが崩れると何が起こるかわからないこともあり……それは自然界における二次災害のようなものだ。見回っておくに越したことはないだろう。
(……神域である限り、そうそう悪いことは起きない)
忍と交わした会話をふと思い出す。
先ほどはこういう意味ではなかったが「神域の一角が崩れれば悪いことも起きる」という意味では杞憂のようなものを覚えてしまう。
夜の参道はひと気はなく、増水した渓谷の水とただざわざわと木々が揺れる音が聴覚を占めていた。
いや、もっと正確に言うならばざわざわというのは小さなものがあちこちで動いているような気配でもある。
夜行性の獣は当然この時間に動いているだろう。
しかし、獣でないものもキミカズの目に映りこんで来る。
(多いな。やっぱり上とこっちじゃいるものが違う)
あちこちから視線を感じるが無害とみなして参道を下っていく。
階段を抜けると坂になり、神橋を渡り岩の通路を下る。
キミカズが手にしているのは頼りないクラシカルな灯だ。ライトではなく炎の灯ったランプである。
ゆらりと炎の揺らめきで自分の影が揺れながらついてくる。
ふと、賽の神の社の前で明りをかざすとゆらりと社の影が狭い岩室の向こうに映り込んだ。
(崩れている……地鳴りでやられたのか)
崩れているのは岩壁の天井が少しで、社自体にダメージはない。明日になれば斎木たちが周りの瓦礫を撤去するか、立ち入り制限を行うだろう。通路を抜けると山際に空のお社。
千本杉が近くなってその後ろもあちこちが崩れているのが分かるが、それ以上のものはなさそうだ。
何事もないなら、それがいい。
そこから少しだけ先に進んで、異常はなさそうなので下方の闇を眺めやり、そこから取って返そうとする。その時、視線を感じた。
(これは……今朝のやつだな)
害意はないが、好意もない。どちらかというと冷めた眼差しでじっと見られているような感覚。あちこちから感じる視線の中でも強い者の気配がする。
「今朝の
「!」
まるで心中を読まれたかのようにひっかかるような声がかけられた。人の形をしているが、青白く枯れ枝を思わせる細い腕と、痩せた顔を持つ妖だ。忍が見ていた、あるいは自分たちを視ていたあの人ならざるもの。
「今日は祝いの日ぞ。免じて忠告をしてやろう」
糸のように細い目が一層細くなったところで笑っているようにも見えないが、にいぃぃと口元が笑ったことで「それ」が酷く上機嫌であることは伝わって来た。
「祝いの日?」
「そうとも。道が開かれる。我らにとって故郷に帰る祝いの日。嗚呼、長かった……どれほどの刻をここで過ごしたものか……」
後半は独白だった。感無量の韻を含んで妖は視線をどこかへ馳せる。
「だから人間。お前たちは
「……この地鳴りや雷雨は、あなたたちが故郷に帰ることと関係しているのですか」
礼を払って必要なことを聞く。必要なことだけ妖は応えた。
その間にも、気配が増えて周りに集まってきているのを「感じ」る。彼の言っていることは嘘ではなさそうだ。
「それは些細なことだ。宴は開かれぬ。道が開けば我らは帰る。お前たちには構わぬよ」
人の言葉を操るが、少々言い回しは独特だ。合わせる気はないだろうからそこからそれ以上は聞き取れないと判断したキミカズはひとつだけ確認をする。
「本当に私たちに危害はないと?」
「ここにいれば数多の妖の帰郷に巻き込まれるだろう。我らとて邪魔はされたくないものだ」
だから大人しくしていろという。
気付けば周りは小妖の気配でいっぱいだった。
山際にも、背後の渓谷の側にも、闇に紛れるようにざわついた気配が満ちている。
「……わかりました。引き返します」
帰郷、とはいったい何のことなのか。
ここにいて事を荒げるのは得策ではない。
キミカズはどこか浮かれた気配の中、元来た道を引き返し始めた。
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