第8話 悪魔憑きの掃除屋
それは真昼の家の中での話。白い壁に覆われた一つの部屋は暖かな想いを閉じ込め、そこに居る人々に安心感を与えてくれる。
「お疲れさん」
満明は浩一郎を、悪魔という大きな闇の塊を世界に蔓延る闇の中へと分散してすぐさま帰国した。飛行機に乗る事で襲い掛かって来る重みを背負う事でようやく安心感を抱くことが出来た。手早い帰国は疲れだけが理由ではなかった。観光や旅行をしようにも言語から文字まで何一つ分からない土地では十分に楽しむことなど出来ないだろう。
「右腕に悪魔の闇が移ってしまったのね」
包帯を巻いた腕は人の形を保っているものの、時たま不安定な揺れが生じてその度に驚きを得ずにはいられなかった。その姿はいつ崩れてしまうものか、崩れてしまった時に満明の身はどのような末路を辿ってしまうか、怯えながら一日を繰り返し過ごす羽目になってしまった。
「これで魔法使いの仲間入りね」
満足を表に出した表情はこの上なく恐ろしい。真昼にとっては気に入りの人物が同じ仕事に就いた感覚だろう。しかしながら満明にとっては慣れない戦いに従事する日々が近い未来に待っているという様。
真昼はポケットに手を突っ込み、素早く拳銃を引き抜きテーブルに優しく置いた。
「銃は新しいのあげるからもし良かったらそれ使って」
すぐさま拾い上げるように掴み取り、片手で弄ぶ。重さ、傷、変形が見られない事を確認して銃口を覗き込み、ポケットに仕舞い込んだ。
そんな姿を見つめている褐色肌と金色の照り付けを放つ髪、加えて水色をしていて薄っすらと輝く瞳をした背の高い女が退屈を露わにしていた。
「大丈夫だ、用事終わったらすぐメシだ」
女はすぐさま目を輝かせる。この女こそが〈西の魔導士〉とも呼ばれるウェスト家、魔女一族の一番端の代のアリシア。
しかしながらその表情からは特別な一族の風格が一切見て取れない。
「子どもっぽいな」
「それは言わないで」
顔を赤くして頬を膨らませる。本人の悩みであることが透けて見えてしまう。金の髪を揺らしながら言葉にした。
「悪魔憑きの掃除屋さん」
途端に満明の顔は引き攣った。過去が巡り、今が巡る。いつまでゴミを抱き続ける日々を過ごせば解放されるのか、目途はついていなかった。
「人に嫌な事言うなとか言って人の嫌な事言うなよ」
落ちこぼれ人生、底辺と嘲笑われるような清掃職の男の人生の終着点。初めての魔法も失敗したがために悪魔の力を持ってしまい、結果として魔法人生を終わらせられなかった男。そんな意味を込めて満明の事をそう呼ぶ人が真昼のせいで増え始めていた。
そんな元凶の女の今を問われると満足という言葉が返って来るだろう。まさにそんな瞬間が訪れていた。
「ほら、早くしないと三人でご飯行く時間なくなるじゃない」
真昼の言う通りだった。時間とは有限であり、誰の事も待ってはくれない。真昼は続けて言った。
「サインは左手で書いて」
今まさに婚姻届けに名を綴る時。真昼と満明が永遠になるかも知れない縁の契約を文字で誓い合う瞬間だった。
「利き手じゃなくて書きづらいだろうけど右よりは書けるでしょ」
決して書き損じたわけではない、そのはずはなかった。満明の確かな感覚がそう告げていた。
「さっきのサイン、凄く酷かった」
しかし真昼は満明の感覚を真っ向から否定する。ミュージシャンのサインのような有り様でもしていただろうか。
「ゴメンなさいね、あなたに〈分散〉なんか使わせたから」
私の責任だ、と悲しげな表情で示す真昼を見つめて数秒間を経て、満明は言葉を返す。
「失敗したのは俺だ、気にするな」
満明は釈然としない心境を隠し通しながらも過去に蓄積された体験の中から思い当たる事を引き出し、無理やり納得へと持ち込んだ。
「真昼は堂々としているのがお似合いだぞ」
そんな言葉の一つ、しかしそれ一つで平常へと表情の色を変え、簡潔な返事をすぐさま投げ込む。
「そうね」
一瞬の空白の後にもう一つ言葉を加える事で満明への理解を更に強める。
「分かったわ」
満明は利き手とは反対の手でペンを扱う苦労による疲れを感じながらもどうにかサインを記入した。きっとその顔はこれまでとは異なる苦悩に歪んでいた事だろう。
「よし、三人でごはんに行きましょ」
役所に提出された紙に記された名前の一つには二重線が引かれ、隣にたどたどしい形をした満明の名が書かれていた。
満明本人は気が付いていないだろう。
二重線を引くことで意味を失った文字、かつて右手で書かれたその文字は人である限り誰であれども瞳に写す事すら嫌悪してしまう形をしている事を。嫌でも理解出来てしまう穢れた悪魔の字で書かれた満明本人の名だという事を。
山羊頭の魔神 焼魚圭 @salmon777
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