第4話 ホテル
入った時の見掛けが嘘のように廃墟と変わり果てたカフェを後にする。
「驚いたわ」
「何がだ、分からない」
満明には何一つ理解できない。真昼が敢えて驚いたと言う出来事の正体など把握できるはずもない
「全てに驚きっぱなしで」
真昼だけが理解している世界の話だろう。口を噤む男に対して知識で紡いだ言葉で会話を編む。
「カフェ全体が悪魔の環境に合わせられていた」
どうやらそれで絶え間なく悪魔が生み出されていたという。
「けれど一定以上強いものは色を染めるから同じ種類が限界」
初めのカップルは強く無かったとでもいうのだろうか。どう足掻いても苦戦していた事に間違いはないはずだったのに。
二人はわざわざ都会のホテルへと向かった。互いに自宅へと向かった方が近いにもかかわらず、異論の言葉が生まれなかったのは事情があるのだろうか。
電車を降りて、ビル群を見渡し満明は思う。大きなビルの群れは他所の都会から見ればとても小さなものの集団。上手く背を伸ばすことの出来なかったビルはそれでも堂々とした様を見せている。それに対して満明は果たして堂々と生きて行けているだろうか。いつもの行動がそのまま答え。性格が示す事実に苦しめられるばかりだった。
一軒のビジネスホテルを視界の端に認め、ガラスが張られた自動ドアの歓迎を受ける。
「何名様でしょうか」
深々と腰を折り、頭を下げた後に訊ねる受付の男に向けて真昼が答える。
「二人です」
申し込んだ頃には空は墨で染めたかのような黒に支配されていたものの、地上からの輝きに照らされて明るく色付いた夜空は瞬く星たちが彩る輝きによって輝いて、明るい闇を提供していた。
それから一旦部屋へと入って必要のないものを置いてホテルの外側、人の波に紛れて歩き、ファミリーレストランで簡素な夕食を済ませる。日頃居座る街では考えられないような大人数、聞くことの無い雑な喧騒の入り乱れに耳を打たれて心地のいいものとは言えない夕飯となってしまった。
ファミリーレストランを後にしてからというもの、満明の案内に従うままに進み続ける。果たしてどこへと向かうものだろうかと真昼は心を躍らせていたものの、向かった先に建つ看板にはコーヒーの絵が大きく描かれていた。
「今日カフェであんな目に合ったのに懲りないものね」
夜空を思わせるような冷たくてガラスの無機質を思わせるような声だった。
真昼の声には明らかな呆れが含まれていた。含まれていたと言うよりは感情の大半を支配しているように思えて仕方がなかった。
白けた表情を前にした満明は歳不相応の無邪気な笑い声を上げながら見つめる。
「どうしたの」
「好きな事に対してこのくらいでなきゃな」
一度切った言葉は軽い静寂の間を置いて再び紡がれ始めた。
「こんなロクでもない世の中、生き辛くて仕方ないぞ」
言いたい事は終わったのだろうか。続く三秒の流れの中でカフェのガラスドアを引いて真昼を引き入れる。そこで話は終わっていなかった。終わりはこれから告げられるのだと口の動きで悟った。
「息苦しい美人さん」
若い店員はコーヒーチェーン店ならではの存在。頼んだコーヒーを啜り、輝く夜空を見上げながら口を温めた。
「明るい夜だな」
「そうね」
ビル群は星にも負けない輝きを夜中まで絶え間なく放ち続けている。それはまさに夜の心細さから逃れているようでもあった。今更語るようなことではない景色の話。
「自然を壊してまで創り上げた都市が空を照らして創った夜空だ」
「この年の素材だって全て自然よ」
真昼の返しは確かな事実。しかしながらどう見ても自然という形から外れていた。
「そこまで頑張っても壊れた人間の心の闇までは照らせないんだ」
「人の心の闇を照らすのはいつだって人の心よ」
話が噛み合いそうにもない。心の根から違い過ぎるようで、別の生き物にすら感じてしまう女。そう思い満明は口を閉ざした。
これからの予定を頭の中で思い描く。ホテルの中で全ての決着をつける。拳銃の無機質な体の中、純粋な殺意を形にしたような禍々しき鉄の弾は三発残されていた。
夕方の戦いで想像を大幅に超えて消費された弾の数々。魔力も何も無く、感情すら弾いてしまう心の撥水加工を施されたような銃弾。それ故に純粋な殺意だけで放たなければならない弾丸はこの世の中のありとあらゆるものの重さを超えていた。
それを放つだろう未来の己が何者よりも恐ろしく思えてくる。それ程までに重々しい姿をしていた。
不意を突き、決着を付けよう。などと考えていた。友から引き受けたその依頼も満明が内に抱いているこの考えも真昼気付かれていないのだから。目の前の美しき女の存在が友の迷惑になるらしいのだから。
ロクに味わうことも出来ないコーヒーは温度と香りだけを伝え続ける。緊張の味に飲まれた黒い液体の残りを一気に飲み干し、決着の場へと足を運ぶ。
「どうしたの」
固すぎる。態度や動きに込められた感情、雰囲気などこの女は見通していた。
「そんなに緊張して。心配しなくても私は誰も取って食いやしないわ」
それは優しさなのか冷たさなのか。人に対して温かなのか誰に対しても距離を取っていたいのか。この緊張の中では区別もつかない。
「アナタが望むなら話は別だけど」
加えられた冗談の聞き心地はあまりにも劣悪なもの。耳で感じる事とは別のものが肺腑を満たす。
「女性と関わるなんて実際久し振りなんだ」
間違いなく話した記憶など遠い彼方。偽りの緊張を着飾って情けない己を演じて行く。
「もし過呼吸で倒れたら救急車呼んでくれよ」
三寸手前で作り上げられたような自虐ネタを挟み込み、敵意を覆い隠す。一秒を刻む世界の流れさえ心を幾度となく殴りつけているよう。
「それは笑い者ね」
哀れなコメディアンは成立した。この世界にはあまりにも見苦しい男もいるのだと自らの手で証明してしまった。
「死因が女性への興奮による過呼吸にならない事を祈ってるわ」
ホテルのエレベーターは二人を乗せて上へ上へと運んで行く。静かに動き、再び開かれたドアはそのまま二人を歓迎していた。
ドアをくぐり抜け、指定された部屋へと向かって行く。どれだけの防音機能を持つのか全くもって分からなかったが、殺害した後はどのように動けばいいものか見当も付かないが、どうにか逃げたその先で友と再会して地球の最果てへと逃げ延びるつもりだった。
真昼は部屋に着くと共に冷静な態度で告げる。
「色々と話したい事はあるけれども」
満明の顔を覗き込む瞳は澄んでいながらも乾いているような印象を与えて来る。
「取り敢えず、一旦落ち着きましょう」
しっかりと伸びた背筋は美しく、緊張の一つも感じられない。
「必要だと思ったら抱いてくれてもいいのよ」
「女を抱きたいなんて思う年齢はもうとっくに過ぎたさ」
その感情は果たして本音なのだろうか。本気だと叫ぶ心が暴れる片隅で否定するモノも在った。
「今やゴミを抱いて金を貰う、それだけさ」
女になど相手にされなかった末路。ある程度以上遠すぎる存在と認識した彼方に残る振る舞いの中に異性への期待など残っていない。
「抱いて欲しいなら代わりの形を用意しよう」
満明はコートのポケットから殺意を放つ無機質なものを取り出し真昼に向けた。
「俺からの愛だ」
愛と呼ばれた感情は明らかにそれではない。銃口を睨みつける真昼は言葉すら持ち込まない。
「受け取れ」
乾いた音と共に放出された愛と言う名の偽りの皮を被った殺意は進み始める。
恐ろしい程に速く目で追えない程の殺意を散らしながら空気の抵抗を突き破りながら進み続ける。
彼女に届くかどうか。そんな位置で弾丸は動きを止める。
見えない壁でも張られているかのようにその場に浮かび続けるそれを見つめて目を見開く。近付いてもう一発撃つも、結果は変わらなかった。
「そんなに重たい愛は受け取れないわ」
軽々しい言葉も受け取り拒否だろう。どのような物も殺意に乗せて飛ばされては受け入れられるはずもない。
「もっと優しくシて」
銃弾はそのまま真昼の指によってつままれスーツのポケットへと仕舞われる。
続いて銃を取り上げ、満明の胸倉をつかむ。引き寄せてから勢いで押し倒す。流れるような動作に満明は抵抗一つ取ることが出来なかった。床に叩き付けられ、歯を食いしばる。背中に真昼が座って右腕を引っ張る。
「こう言った手荒な事の方がお好みかしら」
男は戦いやアクションが好み。特に少年漫画のようなものが人気なのだという様を示した過去の像を思い返し、真昼はそんな彼らの態度に冷ややかな目を向けていた。
「私は好きじゃあ無いのだけれど」
満明の右腕を握る手に力を込める。その目はどこまでも無慈悲な色をしていて、彼女が敵に向ける目を知った。
「参った」
ひねり出された苦しそうな声を聴いて真昼は手を緩めつつも男に座ったまま、スーツのポケットから微かに顔を出して輝き存在を示す銀のペンを取り出した。
「このペンには魔法の術式が組まれているの」
ペンを掲げる。それと共に電灯から注がれる明かりを受けて光沢を放つ金属製のそれは高価な物のように見えていた。
「魔法使いが警戒するにも足りないと侮っているような魔力のこもっていない攻撃を防ぐ術式がね」
ペンを再びポケットに仕舞い込み、視線を満明の方へと落とす。
「最新の物よ」
満明は引き攣った顔で苦しみを訴えていた。
「そろそろ離してあげなきゃね」
そう言って満明をイスにする事をやめてベッドに腰掛けスーツの上着を脱ぎ始める。
「アナタもそのコートを脱いで。楽にしなきゃ」
満明は言われるままにコートを脱いでハンガーに掛ける。
「さあくつろいで」
白いベッドに座っている真昼の手に促され、隣に腰掛けた。
☆
それから魔法のセカイの話が始まった。世の中には魔法使いが潜み、様々な形で戦い、研究し、冒険し、そのセカイの中で生活しているのだという。
やがて話は事から人へと移って行く。真昼にとって大切な人の話へと。
「私にはかつて付き合っている人がいたわ」
真昼と付き合う男がいたのは本当の話だろうか。見た目が良くとも性格からしてまともな男が寄って来る印象が湧いて来ない。
「その人も魔法使いで」
弱みでも握り締めたのだろうか。脅せば付き合える、何故だか満明の脳裏ではそのような言葉が必死に駆け巡っていた。
「敵の組織に潜り込んで情報を得て私たちに報せるスパイとして活動してた」
付き合いは事務的なものだったのだろうか。それとも。満明の思考など初めから見ていないのか、真昼の言葉は続きを奏でる。
「とても立派だったものよ」
「それで、彼はどうなったんだ」
途端に真昼の瞳に影が被せられた。
「敵にバレて殺されたわ」
「そうか、気の毒だ」
返す言葉を探るも手応えを感じられずに相づちを打つ。真昼の話は次の人の事に移っていく。
「それから一人きり、そんな私の所にアリシア・ウェストが訪れた」
カフェの中で騙った名は実在の人物だった事に驚くと共にそのような大切な人物の名を使う彼女の神経を疑ってしまった。
「当時中学生くらいだった彼女だけど大人の私相手でも親身になって接してくれたわ」
満明は目を丸くした。
「そんな年端も行かぬあどけない女の子を働かせてるのか」
魔法使いという肩書きは現代日本の思想から一歩も二歩も遅れたところを歩く許可を与える特権なのだろうか。
「黒々とした企業に教えたらさぞ安心為さるだろうな、自分たちはまだマトモだ、とか言って」
真昼は笑っていた。
「それもそうね」
その表情に潤いは見られず同意は満明の意見が正しいという事を語っているよう。
「でも、魔法使いはその頃から強くして行く事が大事なの」
やはり常識の通じる世界ではないようだった。
「算数も国語も同じでしょ」
「でも戦場に放り込むのはな」
引き攣った表情を見つめて真昼は頬を緩める。
「それは良くないけどね」
きっと彼女は日本の優しい常識を魔法使いの間でも定着させたいのだろう。優しさは見えるものの、根付いた考え方をその狭い世間から追い出すことの難しさは満明にも分かる。職場に蔓延る独自のルールは変わる様子を見せてくれないのだ。
「あなたもアリシアと会ったら優しく接してあげて」
そこまで魔法使いと関わるつもりはない。そう言って否定したものの「宿命だから」と返され首を縦に振る事を強要された。
「アナタの事を聞かせて。私を殺そうとした元凶の事も教えて」
自身は魔法については一切関わりも無かった若葉マークだ、そう話してこの宿命への道筋も声にしていった。言葉にして行った。果てにはオカルティスト鹿屋浩一郎の事まで話してしまった満明の脳裏では罪悪感がひしめいていた。
「鹿屋浩一郎、まだ生きていたのね」
その世界では有名な人物なのだろうと見た。それも悪い意味での認知だという事が真昼の表情から窺える。
「条件を整えて呪文さえ唱えれば誰でも使えると魔法使いの中でも最も有名になってしまったこの世の物ならざる術式を生み出した最低の男」
「散々な言い様だな」
「私のかつてのカレを殺した魔法組織の元組員にして、魔法史上最も低俗な分野とまで言われた〈山羊頭の御柱〉計画の創設者」
憎悪に顔を歪める真昼の姿などこれ以上見ていたいとは思えない。満明の中に芽生え始めていたそんな想いを確かなものへと固められる言葉が加えられた。
「骨の髄まで腐り切った醜悪な血の流れた邪悪な異端者ね」
自分の友が散々な言われようである事に呆れていた。
「何をしたらそこまで言われるんだよアイツ。余程の大悪党でもそこまでは言われないだろうに」
真昼は深呼吸をして、落ち着いた調子を作って言った。
「とにかく今回の話でそれなりに大切な事はアナタが悪人である友に従うのか、それともお友だちを敵に回してでも私たちに付くか」
真昼はタバコを持ち、火をつけて続けた。
「あの男はきっと、あなたを口封じに殺すわ」
「関わらない事は出来ないのか」
「もう手遅れよ」
真昼は煙を吐いた。それは宙を漂う亡霊のように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます