4-P3(最終ページ)

 いや、先輩は夜の闇を見つめているだけで、わたしすら見えていないのかもしれない。


 わたしなんて視界に入っていない。


 どうして? わたしが男じゃないから? ラブソングを歌う相手になれないから?


 瞬間、わたしは先輩に飛びかかるように激しく抱きついた。よろめくけど、なんとか耐える先輩。そんな先輩の唇にわたしは自分の唇を重ねる。十六年間生きてきて、異性に恋愛感情なんて抱いたことのないわたしの、最大級の愛情表現。


 ファーストキスだというのに、ロマンチックな雰囲気とはならず、勢い余ってお互いの額と額、鼻と鼻はぶつけるし、唇に自分の歯が当たって痛かった。もしかしたら、血が出ちゃったかも。


 少ししてから、先輩はわたしを突き飛ばすと、唇を服の袖でゴシゴシと雑に拭った。ちょっと、ショック。


「な、なにするのさっ?」

「ご、ごめん、なさい……」


 初めて見る先輩の困惑しながら声を張る姿に、自分でも何をしでかしたのかが徐々に分かってきた。嫌われるかもしれない。もしかしたら、二度と会ってくれないかも、と怖くなって、涙が溢れてきた。


「わ、わたしには、こうするしか、できなかった、から」


 ひりつく喉で嗚咽混じりに精一杯の弁明をする。もう頭がいっぱいいっぱいで、言葉がうまく出てこない。


「くっ、あは、あはは……」


 わたしが涙をボロボロと流していると、何がおかしかったのか、先輩は突然笑い出した。


 わたしは首を傾げる。


「ふふ、ありがと」


 その柔らかな笑みに、更にわたしは折れんばかりに首を傾げた。


 ありがとう、何に?


 どこかスッキリとした表情の先輩は、ベンチから立ち上がると、固まっているわたしを尻目に地面に寝転がるギターを拾い、砂を払った。


「あーあ、砂入っちゃったかも」


 ベンチに座ると、先輩はギターを膝に乗せて構えた。隣をぽんと叩いて、わたしにも座るように促した。何が何やら分からないわたしは、何も言わずに従う。


 先輩がしゃららんとギターを一度鳴らす。


「一緒に歌ってくれる?」

「……はいっ」


 先輩が馬鹿みたいに明るいラブソングを、これまた馬鹿みたいに明るく声を張り上げて歌ったので、わたしも負けじと声を張り上げた。


 もう先輩に孤高や孤独なんて雰囲気は少しも感じられなくなってしまった。


 だって、先輩も普通の女の子だったんだもの。


 ううん。もしかしたら、先輩が孤高だったなんて、わたしの思い込み。憧れすぎたわたしの幻想だったのかもしれない。


 でも、それも悪くない。柔らかに微笑む先輩を見ていると、そう思う。


「昨日、振られちゃってさ」ふいに先輩が呟く「ちょっと落ち込んでた。でも、麻有里のお陰で元気出たよ。慰めてくれたんでしょ。ありがと」


 慰め、か。


 まあ、良いか。今はそれで。


 遠くから、パトカーのサイレンが近づいて来ているのが聞こえた。もしかしたら、うるさくて近所の誰かが通報したのかもしれない。怒られるかな。


 でも、そんなことどうでもいいか。


 構わず、わたしたちは歌い続けた。夜の闇を照らすように、馬鹿みたいに。

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くちびるにうた 師走 こなゆき @shiwasu_konayuki

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