第8話 本当は恋がわからない
帰りの挨拶が終わるとすぐに凛花が教室の前扉から顔を出した。
廊下側の一番前にいる私の元へ駆け寄り、大きく口を開けたところで、後ろの百瀬の席に凛花の王子こと高木さとしが飛んできたのを見つけ、口をモゴモゴさせたハニカミ笑顔に変化する。
高木が凛花に向かって微笑みかける。
「やっほ。遠山さん。いいなあ、二組はいつも終わるの早くて」
それだけで凛花は一気に頭まで真っ赤になって、大きく頷きながら白いマフラーの中にすっかり顔を埋めてしまった。
高木は凛花の返事がないことなんて気にも留めていない。
いつまでも片付けの進まない百瀬の机の上に置かれた筆箱をひょいと取り上げ、背中の後ろに隠す。
どちらかと言わなくても大人っぽい端正な顔立ちで、子供っぽいいらぬちょっかいばかりかけるんだから、人は見かけじゃないぞって思う。
気づいた百瀬が盛大にため息をつく。
「か・え・し・て。ほら」
高木は差し出された手を握り返し、爽やかな笑みを浮かべてヤダと返す。
目をハートにしている凛花を見て、見かけにだまされるな、やってることはガキンチョだぞ、と忠告したくなる。
後ろから来た大葉が高木から筆箱を取り上げ、百瀬に返す。
「バカなことやってないで早く行こうぜ。せっかく今日、放送鳴るまで時間あるのに」
「えっ、やんの? もう暗いけど……」
「いいね。バスケ。ももちゃん、早くぅ!」
文句を言いながら支度する百瀬を、無邪気な様子で高木が急かした。
全く誰のせいで遅くなってると思ってるのやらだ。
大葉たちが先に教室出ると、百瀬は慌てて後を追った。
ランドセルのロックがかかってないけど、大丈夫かなと思いつつ後ろ姿を見送る。
冬は四時半には下校の合図が鳴るからのこり後十分しかない。
このわずかな時間をまだ時間があると捉える前向きさ。
男子は元気で羨ましい……というか呆れる。
こっちは、寒すぎて教室から出るのにも勇気がいるというのに。
ショートパンツなんか履いてくるからだって言われたらそれまでだけど。
大葉たちが出てすぐに、かなえを引き連れ由美子が声をかけてくる。
「私たちも、行こ」
由美子は大葉が好きなんだと思う。
バレンタインにチョコをあげたこともないけど、でもそうだと確信している。
いくら追求してもはぐらかされるけれど、たぶん低学年の頃からずっと。
ちょっとでもバスケしているところが見たいのだろうなと察し、仕方がない協力してやろうと席を立った。
未だ石になっている凛花のマフラーを引っ張る。
「ほらっ、行くよ。内弁慶!」
グヘッとわざとらしい声を出して石の呪いを解いた凛花は、慌てて前を行く由美子たちを追いかけた。
「ちょ、まってよ!」
凛花も王子が見たいんだよね。
バスケの時だけはかっこいいと私も認める。
かなえもたぶん百瀬に恋をしている。
本人は絶対認めないけど。
私にはまだ、そんなふうに夢中になれる相手はいない。
好意を持つというレベルならば、誰かを好きになるのは簡単だ。
ちょっとでもいいなって思ったら、それを膨らませばいいんだから。
でもそれが本当に恋なのかと詰められたら、わからないと答えるだろう。
だって強引に膨らませた気持ちは、長くは続かない。
途中でトイレに寄っていた凛花が下駄箱から靴を出すともう、夕焼け小焼けの音楽が流れ出した。
「ほら男子、帰るよ〜」
運動場のバスケットゴールの下で暗い中ボールを跳ねさせている大葉たちに向かって、かなえが声を張る。
かなえの声に百瀬が振り返り、がら空きになった上を抜いて高木がゴールを決めた。
「やったね。スッキリ帰れる! 油断大敵だよ、ももちゃん。女子がそんな気になる?」
「別に、油断したわけじゃ……」
ムキになった百瀬と高木がじゃれあっている間に、大葉がドリブルしながらボールを片付けに走る。
物静かであまり主張しないけど、百瀬たちに比べて周りがよく見えているというか、ちょっと大人だ。
かなえがじゃれつく二人の火に油を注ぐ。
「もー。いっつも大葉が片付けてんじゃん」
「だってさとしが……俺、悪くないし!」
百瀬がムキになって自己弁護する。
その間に高木はさっさとランドセルを背負ってしまう。
「ももちゃんおそーい。女子といちゃいちゃしてるからぁ」
「はぁっ? だーれが、こんなやつと!」
「いーから、百瀬。ランドセル背負って。帰るぞ」
大葉が百瀬の肩に腕を回しコンクリートの上に放り出したランドセルまで連行する。
持ち上げるとロックされていないランドセルから中身が盛大に落下した。
「あーあ、もう何やってんの」
かなえがさっと助けに走る。
「ほら、ももちゃん。こんなやつとか言ったの、高橋さんに謝って?」
「いいわよ、別に。こっちだって、ももちゃんなんかお断りだし」
「もー、うるさい」
「いいから、百瀬は早く拾って」
高木がまたからかって、百瀬が文句を言って、大葉が宥めて……なんて平和なんだろう。
時に心無い言葉が飛び交って小さな傷を作っても、ちゃんと誰かが埋めてくれて、関係は続いていく。
私と、檜山とは違って。
「真っ暗になっちゃったね」
暗闇に由美子の息が白く浮かぶ。
かなえが百瀬のランドセルを叩く。
「あんた、ランドセルちゃんとロックした? 気をつけて帰んのよ」
「はいはい。もーわかってるから。じゃーね」
「ふふ。高橋さん、ももちゃんのお母さんみたい」
私も高木と同じ想像をしていた。
「は? 冗談……」
私と由美子で怒り出したかなえの腕を取り、正門へ向かう。
置いていかれるまいと凛花があわててついてくる。
「じゃーね、また明日」
裏門へ向かう大葉たちに向かって手を振る。
三人とは方面が逆なのだ。
大葉がちょっと指をひらひらさせかけて、恥ずかしくなったのかぺこりと頭を下げて顔を背けた。
高木はじゃーねーといつまでも大きく手を振っている。
本当に見掛け倒し。
うんと小さな子供……というか犬。
大型犬みたいだ。
突然凛花がガッツポーズする。
「はぁ〜〜〜〜〜。クールな顔立ちにあの邪気のない微笑み。……天使!!」
凛花にはどうやらそのように映るのらしい。
「うん。まあ、イケメンよね。イケメン」
叫ぶ凛花の口を塞ぎ、同意してやる。
正門を出て大通りの信号を渡ると由美子たちとも別れる。
また明日と手を振って去る二人の後ろ姿を凛花と見送り、はあっと息を薄紫色の手袋に吐きかけた。
曇り空の今日は一日中気温が上がらなかったせいか、もうずっと息が白い。
由美子は駅前の商店街の方。
かなえは私たちみんなが通った幼稚園の方。
そして私と凛花は線路を跨ぐ歩道橋を超えた向こう側に家がある。
歩道橋に差し掛かった頃、マフラーに顔を埋めた凛花が急に真剣な顔で口を開いた。
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