第5話 仲直りのきっかけに
保健室に来てくれた由美子は、トレーナーの下に着込んでいたブラウスに遮られてなにも見えなかったよってフォローしてくれたけど、未だに思い出すと胸がひゅっとなる。
それくらいショックだったし、今も立ち直れたとは言えない。
「あんなことされたのにチョコレートって……わざわざ優しくしてやる意味ってなに。ほっときなよ」
イライラと踵を床に打ちつけ憤るかなえを見て、後ろの席で聞いていたらしい男子まで話に入ってくる。
低学年の頃から割と絡みのある百瀬・大葉・高木の三人組だ。
「俺も檜山はやめといた方がいいと思う。触らぬ神に祟りなしだね。特に吉永さんは目の敵にされてるし」
百瀬が小声で囁くと、一緒にいた大葉が一見キツく見える切長な目をふにゃっと細めてフォローした。
「吉永がどうこうって言うより、檜山は女子全般がダメなんだ。男子ってだけで悪者にされるって恨み溜めてるから」
檜山は女子を恨んでる?
何もしてないのになんで恨まれなきゃいけないんだろう。
「ま、悪者にされる感じはわかるけどね。女子って向こうから嫌なことしてきて都合悪くなると泣くじゃん。……だからって俺は檜山みたいなやり方はしないけどさ」
百瀬から飛び出した言葉にエッとなる。
あの日私は苦しくって泣いたけど、都合悪いことを誤魔化すためなんかじゃない。
あんなに嫌な思いをした私を、百瀬はずるいって思ってるの?
同じように檜山も、先日の過呼吸を自分が悪者にされたエピソードに数えたりしているのだろうか。
驚いて何も言えないでいると、かなえが百瀬に噛み付いた。
「は? 嫌なことしてきたのは檜山の方じゃん。杏は抗議しただけだよ? あんなことして、おかしいよ」
「ももちゃんが思い浮かべてんのは檜山じゃなくて自分のおねーさん達のことでしょ。ももちゃんち、お父さん単身赴任でいないから男一人だもんね。家は女ばっかで、しかも聞いてるとかなり強烈みたいだし」
百瀬より頭一個以上背の高い高木が、百瀬の頭に顎を乗せ、べったり覆い被さった。
途端に凛花が石のように固まって静かになる。
凛花は一年生の頃から高木のことが好きなのだ。
本人のいないところでは彼を王子と呼んでいる。
そしてその相手の姫は、なんと百瀬らしい。
確かに高木は呼び名の通り、少し垂れ目だが気品のある整った顔立ちをしている。
華奢で女の子のようにも見える百瀬にイケメンがくっつくと、べたべたいちゃついているカップルみたいにも見えるの……かもしれない。
本人たちにそんなことは口を裂けても言えないが。
百瀬は鬱陶しそうに肩を後ろに回して、高木の手を振り払いながら返答する。
「そうだよ。
「いつも泣かされてんのは、ももちゃんなのにね?」
高木はいつも百瀬のことをももちゃんと呼ぶ。
どんなに嫌がられてもだ。
私たちもいないところではこっそりそう呼んでいるけれど、一応本人の前では言わないようにしている。
彼に可愛いは禁句なのだ。もちろんちゃん付けだって嫌に決まっている。
百瀬は思い切りはずみをつけて、高木に肘鉄を喰らわせた。
「うっ、暴力反対! 女子だけじゃなくて僕にも優しくして?」
「さとしがウザ絡みするからだろ」
大袈裟によろめく高木の背中を受け止めながら、大葉が呆れたようにがっくり肩を落とした。
「どっちもどっち。話それてるし」
流れを読まない彼にすっかり話を持っていかれてしまった。
高木は多くの女子を魅了する甘い見かけに反し、中身はてんでお子様。甘ったれのかまってちゃんだ。
「あーあ。男は泣いても弱虫ってバカにされるだけなのに。女子はこんなに同情されて。気楽でいいよ」
日頃よほど降り積もるものがあるのだろうか、百瀬はまだ不満げに口を尖らせている。
「気楽? あんた杏のどこを見てそんなこと言ってんの。個人的な恨みを持ち込まないでくれる?」
キッパリ退けるかなえは私のナイトだ。
こういう角が立つかもしれないことを口にする勇気が、私にはない。
それ以前に言葉にできる賢さもないんだけど。
「男の子だって泣きたい時もあるのにね」
由美子がまるでお母さんのように寄り添うと、百瀬はふいと顔を背けた。
「別に。……でもまあ檜山の場合はわざわざ自分からからんでるし、吉永に責められて当然だよ。さとしと一緒でな!」
「えー。そんなぁ、ひどくない?」
高木が垂れ目をますます下げて泣きつく。
百瀬は自分も泣きたいんだとは認めようとしなかった。
認めると弱虫になるとでも思い込んでいるのだろうか。
百瀬はバカじゃない。
さっきの女子云々が失言だったってことくらいわかっているだろうに。
訂正しようとしない百瀬の意外な頑なさにがっかりする。
「ほんと、自業自得よ。なのにチョコをあげるだなんて。杏が機嫌とる必要なんかどこにもない」
「……うん。でも仲直りのきっかけになるからそうしなさいって、ママが。あの件で恨まれても怖いし」
かなえの正論にママを持ち出して言い訳する自分が情けない。
私は本当はどうしたい?
その答えを知りたくなくて誤魔化している。
認めて押し通す勇気が、私にはないのだ。
うーんと由美子が首をかしげる。
「逆効果になると思うけどなあ」
「そ……そうよ。好きでもなんでもない人にあげるなんて、邪道極まるんだからっ!」
男子が会話に加わってからと言うもの一言も口を挟まないでいた凛花が、いきなり叫んで教室を飛び出した。
恥ずかしいけど、どうしても言いたかったのらしい。
普通に喋るよりよっぽど目立つと思うけど。
高木がひらひら手を振る。
「遠山さん、いつも元気でいいなあ」
凛花と入れ替わりで、教室に檜山が入ってくる。
目の端で確認した百瀬が、私たちに解散の目配せをした。
すぐにチャイムの音が鳴る。
「とにかく、もう一度よく考えな」
かなえはそう言い残し、席に戻った。
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